そろそろ上京して30年になる。 胃がしくしくと泣くような痛みが記憶に染みついて、いまだ東京の春は苦手だ。 それは大学時代。 嫌がおうにも突きつけられる"自分"という、…
二月終盤のその日。 母は産院の桜が満開だった、と言う。 誰もが一笑に付し、またかと呆れる話だ。 わたしは「そんなことあるわけないだろう」と表向きは皆に合わせて笑う…
わたしは九州のとある炭鉱町で育った。 木造平屋のおんなじ形の長屋が連なる町。 狭い町だがそこには特有の文化があり、コミュニティがあり、住む人にとればそこが世界の…
美しい爪の指先にほんのりと赤みが差し、細く、厚みのない華奢な手にあこがれた。 大人になれば自分もきっとそんな手になれると思っていたのに、悲しいかな。いつまでたっ…
haru
2024年10月13日 12:55
そろそろ上京して30年になる。胃がしくしくと泣くような痛みが記憶に染みついて、いまだ東京の春は苦手だ。それは大学時代。嫌がおうにも突きつけられる"自分"という、存在。不安のかたまりのようなわたしには、春はにぎやかで無邪気で眩しすぎて。特段、苦しく、そして寂しかった。大学構内には幾種類もの花がぎっしりと咲き誇り、複雑で甘ったるいにおいを漂わせ、そこかしこで新入生たちが眩しい光を放って
2024年10月6日 12:08
二月終盤のその日。母は産院の桜が満開だった、と言う。誰もが一笑に付し、またかと呆れる話だ。わたしは「そんなことあるわけないだろう」と表向きは皆に合わせて笑うけれど、ほんとうはその話を聞くたびに、微かな温もりのようなものを心うちに抱いてきた。真冬に満開の桜。しかも「あれは薄いピンクのソメイヨシノだった」と母は言い張る。ありえるだろうか。幼い頃からつど自問してきた。いや。あり
2024年9月29日 11:00
わたしは九州のとある炭鉱町で育った。木造平屋のおんなじ形の長屋が連なる町。狭い町だがそこには特有の文化があり、コミュニティがあり、住む人にとればそこが世界のすべてだった。日常はささやかで、一日はたっぷりと長く、変わらないことが正義のような。まるで二分音符が、たーたーたー、と延々と鳴っているような町だった。そんな町に溶けこむように一軒の古い洋菓子店があった。黄色い庇のちいさな店。
2024年9月22日 11:20
美しい爪の指先にほんのりと赤みが差し、細く、厚みのない華奢な手にあこがれた。大人になれば自分もきっとそんな手になれると思っていたのに、悲しいかな。いつまでたってもわたしの手はずんぐりと短く、分厚く、指先までしっかりと丸いままだった。蝶々のようにひらひらと手を舞わせて喋り、本を捲る手はその本に馴染んで美しい。さらにピアノの鍵盤の上を弾む優雅な手は、時にしっとりと美味しそうな料理をも生み出す