【こはる日和にとける】#2 はじまりのクリスマス
わたしは九州のとある炭鉱町で育った。
木造平屋のおんなじ形の長屋が連なる町。
狭い町だがそこには特有の文化があり、コミュニティがあり、住む人にとればそこが世界のすべてだった。
日常はささやかで、一日はたっぷりと長く、変わらないことが正義のような。
まるで二分音符が、たーたーたー、と延々と鳴っているような町だった。
そんな町に溶けこむように一軒の古い洋菓子店があった。
黄色い庇のちいさな店。
両開きのドアを開けると、すぐ目の前にケーキのショーケースが広がる。
メイン通りのちょうど真ん中に位置するその店は、何十年も町の人に愛され続けていた。
あれは、小学生にはなっていただろうか。
クリスマスが冬の風物詩となり、わたしの住む炭鉱町にも徐々に浸透し始めた頃のこと。
「クリスマスには家でクリスマスケーキを食べるんやね」
母がその洋菓子店に貼られたポスターからそんな情報を得て帰って来た。
「チョコレートのクリスマスケーキを予約してきたよ」
そう言う母が一番ウキウキしているように見えた。
なにせその店のチョコレートケーキは、バタークリームがたっぷりの、母お気に入りのケーキだったから。
そして甘いものが苦手な父を含め家族全員が大好きで、数年来それは我が家の誕生日の定番ケーキとなっていた。
そしてクリスマス当日。
箱を開けて姿を現したのは、サンタクロースやトナカイ、ヒイラギや鈴などで飾られた賑やかで、なんともかわいらしいクリスマスケーキだった。
いつもの誕生日のチョコレートケーキとは、同じようでぜんっぜん違う。
くぅ、なんてかわいい。
めずらしく、すこしだけ、世界が音をたてた。
ところが、母が包丁でガッシガッシと切り分けられるケーキの皿が置かれているのは、みかんと同じこたつの上である。
新聞やらティッシュケースやらも散乱している。
せっかくのクリスマスのキラキラ感が、膨らみきる前にあっけなくしぼんでいく。
やっぱり、煙突もない我が家でクリスマスケーキなんて、おこがましいのではないだろうか。
それなりの飾り付けもせず、歌も歌わず、取って付けたように「クリスマスですね」とケーキを食べるだけって。
これは、きっとクリスマスマナー違反だ。
わたしは誰が見てるわけでもないのにひやひやしてしまい、なぜかクリスマスに対して申し訳なく、肩身の狭い面持ちでこたつにうずくまる。
さらに「はいよ、はいよ」という勢いで、サンタやトナカイの砂糖菓子がそれぞれの皿にポンポンポンと配られると、断面がいびつで倒れそうなケーキの横に置かれたかわいそうなトナカイのその鼻をわたしは、あーあ、とため息まじりにつついた。
そのとき。
テレビからドリフターズの歌声が聴こえてきた。
毎週楽しみにしている『全員集合』の日ではないのに、と驚く。
どうやらクリスマスに合わせて特別な番組が始まったようだ。
いつもは舞台を駆け回るドリフターズの面々が、今夜はサンタに扮した小さな人形になって夜空を駆けている。
そして面白おかしく、ちょっとホロリとくるクリスマスの物語が映し出された。
人形たちの世界では、わたしの町では見られないあおく光る雪がたっぷりと降り積もっていて、
きらめく街灯も家々も、うちの炭鉱町とは雰囲気が違って、すごくお洒落に見える。
クリスマスってなんてきれいなんだ。
雪もドリフのサンタもケーキも、なんだかすごくワクワクする。
子供心に、胸が弾む思いがした。
二分音符だらけの世界がドクドクとリズミカルに鳴る。
家族揃ってこたつであじわうクリスマスが、急に愛おしく思えてきた。
皿のチョコレートケーキはもちろん安定のおいしさで、もうひと切れ食べるかどうか傍で母と妹が迷っている。
父はすでに横になり、こちらはクリスマスはとうに終わった様子だ。
わたしはテレビに釘付けとなり、ひとり、静かにドキドキしている。
こんにちは
第2話『はじまりのクリスマス』を
お読み下さりありがとうございます
「こはる日和にとける」
というエッセイを書いています
haruです
秋のはじまりに
クリスマスのお話で
スミマセン(笑)
このエピソードは
わたしが
エッセイで幼少期の話を書く
きっかけとなったものです
炭鉱町出身
ということが
昔はちょっと恥ずかしくて
まして
書いて残すなんて
考えもしなかったのですが
バタークリームのチョコケーキや
ドリフのスペシャル番組など
こたつで味わうクリスマスが
年を経て思い返すと
すごく温かな記憶となっていて
思いきって書いたのが
はじまりでした
サクラさんの写真は
ちいさなわたしが憧れた
キラキラのクリスマス
ドキドキと音が弾みそうです
さて
クリスマスマナー違反な
昭和のクリスマス
記憶で繋がれるかな?
また来週の日曜に
遊びに来て頂けたら
うれしいです
haru