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いつかの情景、いつかの想いを綴るエッセイ 『こはる日和にとける』を書いています。 写真…

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いつかの情景、いつかの想いを綴るエッセイ 『こはる日和にとける』を書いています。 写真はすべてsakuraさん。 昭和50年代、九州の小さな炭鉱町が舞台となる幼少期の話を軸に、季節にふれて蘇った記憶のかけらを紡ぎました。 ひと息時間のお供に読んでいただけたらうれしいです。

最近の記事

【こはる日和にとける】#4祖父とレンゲ草

そろそろ上京して30年になる。 胃がしくしくと泣くような痛みが記憶に染みついて、いまだ東京の春は苦手だ。 それは大学時代。 嫌がおうにも突きつけられる"自分"という、存在。 不安のかたまりのようなわたしには、春はにぎやかで無邪気で眩しすぎて。 特段、苦しく、そして寂しかった。 大学構内には幾種類もの花がぎっしりと咲き誇り、複雑で甘ったるいにおいを漂わせ、そこかしこで新入生たちが眩しい光を放って溢れかえっていた。 二十歳のわたしは3年目となっても慣れない東京で、めいっぱい

    • 【こはる日和にとける】#3ふゆのおまもり

      二月終盤のその日。 母は産院の桜が満開だった、と言う。 誰もが一笑に付し、またかと呆れる話だ。 わたしは「そんなことあるわけないだろう」と表向きは皆に合わせて笑うけれど、 ほんとうはその話を聞くたびに、微かな温もりのようなものを心うちに抱いてきた。 真冬に満開の桜。 しかも「あれは薄いピンクのソメイヨシノだった」と母は言い張る。 ありえるだろうか。 幼い頃からつど自問してきた。 いや。 ありえてもらっては困る。 ありえないからこそ、その話には価値があるのだ。 二月のそ

      • 【こはる日和にとける】#2 はじまりのクリスマス

        わたしは九州のとある炭鉱町で育った。 木造平屋のおんなじ形の長屋が連なる町。 狭い町だがそこには特有の文化があり、コミュニティがあり、住む人にとればそこが世界のすべてだった。 日常はささやかで、一日はたっぷりと長く、変わらないことが正義のような。 まるで二分音符が、たーたーたー、と延々と鳴っているような町だった。 そんな町に溶けこむように一軒の古い洋菓子店があった。 黄色い庇のちいさな店。 両開きのドアを開けると、すぐ目の前にケーキのショーケースが広がる。 メイン通り

        • 【こはる日和にとける】#1 蝶々の手

          美しい爪の指先にほんのりと赤みが差し、細く、厚みのない華奢な手にあこがれた。 大人になれば自分もきっとそんな手になれると思っていたのに、悲しいかな。いつまでたってもわたしの手はずんぐりと短く、分厚く、指先までしっかりと丸いままだった。 蝶々のようにひらひらと手を舞わせて喋り、本を捲る手はその本に馴染んで美しい。 さらにピアノの鍵盤の上を弾む優雅な手は、時にしっとりと美味しそうな料理をも生み出す。 ついぞ、どれもこれも叶わなかった。 叶わなかった反動か。大人になり、手に

        【こはる日和にとける】#4祖父とレンゲ草