haru

いつかの情景、いつかの想いを綴るエッセイ『こはる日和にとける』を書いています。 毎週日曜に投稿です。 写真はすべてsakuraさん。 昭和50年代、九州の炭鉱町が舞台となる幼少期の話を軸に、季節にふれて蘇った記憶のかけらを紡ぎました。 ひと息時間に読んでいただけたらうれしいです。

haru

いつかの情景、いつかの想いを綴るエッセイ『こはる日和にとける』を書いています。 毎週日曜に投稿です。 写真はすべてsakuraさん。 昭和50年代、九州の炭鉱町が舞台となる幼少期の話を軸に、季節にふれて蘇った記憶のかけらを紡ぎました。 ひと息時間に読んでいただけたらうれしいです。

最近の記事

【こはる日和にとける】#10 音痴はうたう

かつてわたしの音痴は、ぺらぺらのベールに覆われて危うくも巧みに存在していた。 それは両親でさえ気づかない。 なんなら小学校の音楽会でソロパートを任せる先生なんかもいて、音楽の時間はいつバレるかとひやひやしたものだった。 慎重にまわりを見て、歌えるふうに背伸びして。 それはまるでつま先立ちでよろよろしながら歌っているようで、ほんとはずっと居心地悪かった。 けれどよほど巧く立ち回れていたのか そのベールは剥がれることなく無難に大人になり、しかしそれはある時あっけなく露見する

    • 【こはる日和にとける】#9 マリーゴールドの花籠

      隙間だらけの小屋の波打つトタン戸を、くっと持ち上げながらそおっと開ける。 「あ」 と、試しに声をあげ、中の様子を息を止めて窺った。 外の光がまだらに射し込み、決して真っ暗というわけではない。 それでもわたしにはそこが異世界への入口のように不気味に感じる。 加えて、いつ現れるともしれないアイツの存在も。 目的のモノは、奥の棚に置かれている。 いっそう慎重に、足を踏み入れなければならない。 一歩、二歩・・・と ドサッ!ガサッ!シュイーン! 目の端でアイツが勢いよく飛び

      • 【こはる日和にとける】#8 20時の花火

        洗いたてぱりりと乾いたタオルケットは昼のにおいがする。 わたしはそれを体にぐるり巻きつけ、布団の上を勢いよく転がりまわっていた。 あっちから転がってくる妹とわざとぶつかっては腹の底からおかしみがこみあげて、互いに笑いが止まらなくなる。 家の中で唯一、クーラーのある茶の間である。 それは、ゴオーッと地響くような大きめの音をたて八畳ほどの部屋を冷やす役目を懸命に果たしていた。 母の号令で畳をすっきりと拭きあげた後テーブルを端に寄せ、茶の間は家族分敷きつめられた布団でいっぱ

        • 【こはる日和にとける】#7 まぶしい日傘

          てのひらにすくったプールのみずが 水飴のようにまあるくひかる とろり、とろりと 手のなかでゆらすと じっさいには バシャッ、バシャとはねて 弾けながら プールにもどっていった はあ、と あからさまにためいきをつく なんど顔をつけても 手と足をのばしても ちっとも浮きやしない このみずに水飴のような弾力があれば きっとわたしをかるがるのせて プールのはしからはしまで運んでくれるだろうに まったくもう とりつくしまもない 「1年生でおよげないひとは なつやすみ中にお

          【こはる日和にとける】#6 シロイノリ

          そとは、雨 ゆれる雨 それはやむことをわすれて ふかくねむる そらの寝息のよう ようちえんまでのみち ながぐつであるく草のみちは みずをふくみすぎていて 足がいつもよりしずむから わたしはなるたけ じゃりのみちをえらんであるいた ももぐみのへやにはいると おおきなストーブが焚かれていて まるで冬みたいなにおいがする かばんからアルミの弁当箱をだし ハンカチをほどいて ストーブのちかくにならべる みんなおんなじ ぎんいろのかんかん わたしのはキャンディキャンディ

          【こはる日和にとける】#6 シロイノリ

          【こはる日和にとける】#5 ひみつきち

          ちいさな炭鉱町の空は春と初夏をいったりきたり、 季節を決めかねているようだ。 音もなく降る雨が朝を冷やしたかと思えば、 日中、若い緑はその身に日差しをたんと蓄え 存分にひかりを放っていた。 わたしが通う小学校の敷地の一辺は背の高い笹薮となっている。 それは学校の内と外とを区切るフェンスの役目も担っていて、頑丈に茂っている。 しかし気温上昇とともにたがが外れるのか、 ある一定数の衝動を抑えきれない男子達が 幾度となくそこを越えようと躍起になるのである。 結果甲斐なく、たん

          【こはる日和にとける】#5 ひみつきち

          【こはる日和にとける】#4祖父とレンゲ草

          そろそろ上京して30年になる。 胃がしくしくと泣くような痛みが記憶に染みついて、いまだ東京の春は苦手だ。 それは大学時代。 嫌がおうにも突きつけられる"自分"という、存在。 不安のかたまりのようなわたしには、春はにぎやかで無邪気で眩しすぎて。 特段、苦しく、そして寂しかった。 大学構内には幾種類もの花がぎっしりと咲き誇り、複雑で甘ったるいにおいを漂わせ、そこかしこで新入生たちが眩しい光を放って溢れかえっていた。 二十歳のわたしは3年目となっても慣れない東京で、めいっぱい

          【こはる日和にとける】#4祖父とレンゲ草

          【こはる日和にとける】#3ふゆのおまもり

          二月終盤のその日。 母は産院の桜が満開だった、と言う。 誰もが一笑に付し、またかと呆れる話だ。 わたしは「そんなことあるわけないだろう」と表向きは皆に合わせて笑うけれど、 ほんとうはその話を聞くたびに、微かな温もりのようなものを心うちに抱いてきた。 真冬に満開の桜。 しかも「あれは薄いピンクのソメイヨシノだった」と母は言い張る。 ありえるだろうか。 幼い頃からつど自問してきた。 いや。 ありえてもらっては困る。 ありえないからこそ、その話には価値があるのだ。 二月のそ

          【こはる日和にとける】#3ふゆのおまもり

          【こはる日和にとける】#2 はじまりのクリスマス

          わたしは九州のとある炭鉱町で育った。 木造平屋のおんなじ形の長屋が連なる町。 狭い町だがそこには特有の文化があり、コミュニティがあり、住む人にとればそこが世界のすべてだった。 日常はささやかで、一日はたっぷりと長く、変わらないことが正義のような。 まるで二分音符が、たーたーたー、と延々と鳴っているような町だった。 そんな町に溶けこむように一軒の古い洋菓子店があった。 黄色い庇のちいさな店。 両開きのドアを開けると、すぐ目の前にケーキのショーケースが広がる。 メイン通り

          【こはる日和にとける】#2 はじまりのクリスマス

          【こはる日和にとける】#1 蝶々の手

          美しい爪の指先にほんのりと赤みが差し、細く、厚みのない華奢な手にあこがれた。 大人になれば自分もきっとそんな手になれると思っていたのに、悲しいかな。いつまでたってもわたしの手はずんぐりと短く、分厚く、指先までしっかりと丸いままだった。 蝶々のようにひらひらと手を舞わせて喋り、本を捲る手はその本に馴染んで美しい。 さらにピアノの鍵盤の上を弾む優雅な手は、時にしっとりと美味しそうな料理をも生み出す。 ついぞ、どれもこれも叶わなかった。 叶わなかった反動か。大人になり、手に

          【こはる日和にとける】#1 蝶々の手