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「自分のために」生き、「自分のために」死なない。
最近、感情の共感覚アートを描けていない。時間を決めて描こうか、しかし心を揺さぶられることのあまりない在宅中心の今の私からは、たいした変化のある色は出てこないのではないだろうか。
前にもそんなことを言っていたような気がする。どうせ暗い色しか出ないだろうと思って描いたら思いのほか「希望」の色が見えていたということ。
もう、2年前になるのか。2年前は孤独と痛みとの闘いだった。心身を痛め、それを真っ向から受け止めながら治していく日々は、決して簡単なものではなかった。その時痛めていた手で握れなかったカメラを持って、昨日久しぶりに撮影の仕事を行った。
あの時はもう、カメラを持った仕事をすることなんて無理だと考えていた。そのために、相棒だったカメラを一台手放した。持つにはあまりにも重すぎたのだ。だけどすべてを手放せなくて、一台は手元に置いていた。その一台を持って、私は撮影の仕事を滞りなく終えた。
帰宅後少しじんじんと手が痛むが、2年前ほどではない。2年前はトイレットペーパーや、コンビニの袋を持つことすら激痛だった。何度もnoteには書いているが、心因性の腱鞘炎だった。
色々な絶望があった、だけど上の記事のように実は「希望」を心に秘めていたのは、周りの人の支えや、諦めたくない夢の存在が大きかったのだろう。
「大切な人たちが泣くのを見たくないから生きている」という私の生きる意味は、「自分の夢を叶えたいから生きる」に徐々に変わっていった。生きる意味を他の誰かに託すのではいけないと、いろいろな出来事を経験しながらそう感じた。
だからこそ今は「自分のために」生きて、「自分のために」死なない。
当たり前のように感じるかもしれないが、人のために生きていた私からすると革新的な変化だ。そしてそれは人に生きる意味を見出していた頃にはなかった「強さ」を生み出した。
私が私のために生きていくから、死なせまいと強くなる。夢を追うために恐れをなくして突き進んでいく。だけどそれは自分だけの力ではなく、周りがいるからだという感謝を忘れない。そして、幸せの連鎖だ。
自分が苦しければ、人を幸せになんてできない。
この世には「自分を不幸せのままにして」他人へ幸せにするよ、とささやく詐欺師のような人たちが蔓延している。
他人に何かを助言するのは、まず自分が満たされないと無理だ。
なんでも自分から、見つめるべきは自分から。他人に目を向けても、自分を見つめることはやめてはならない。それは習慣化させるべきことで、「終った!」はない。
自分が幸せか?を常に問いかけながら生きていくのだ。
それがこの人生という長い長い道の攻略法のひとつではないだろうか。
山口葵
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