自分の活動を文章に起こす手伝いをお願いしている中で「共感覚をギフテットと表現してもいいですか?」と言われた。
私の中で共感覚=ギフテットの認識はなく、驚いたが学術記事を検索するとそれなりに出てくる。
この定義を見ると、知能指数など完全に全ての共感覚者が当てはまるのか…少し疑問に感じるが色々と学術記事を調べてみると、このようなものを見つけた。
ここには、ギフテッドの発達障害と超活動性についてのアメリカでの教育について述べられていた。
才能教育プログラムという教育をギフテッドの才能児に与えよりより環境で学ばせるというものであるが、その中に「共感覚」が含まれていた。
このように共感覚を教育の早い段階から認識、ギフテッドと判断し、教育をする現場を確立させているアメリカには、日本はまだまだほど遠いが「共感覚が当たり前の社会」になる展望に対して、少し希望が見える。
HSPという言葉は昨今広く広まり、認知はとても広くなってきている。これくらいの認知を日本でも共感覚にあてはめることはできないだろうか。
共感覚は発達障害と間違われやすいとのことだが、定義は違っていて混合しないように気を付けないといけないということだった。
しかし併発する可能性は高いように思う。混合せずに「発達障害と共感覚者である」ということを認識させるべきである。
共感覚を夢物語のような存在で留まらせず、早い段階からお子さん、親御さんが受け入れられる対策を学校側がとることが容易にできるようになると、
共感覚での苦労は軽減し、感覚を伸ばしやすくなる。
スピリチュアルと混合してしまう程度の今の認識ではこうなることはまだまだ難しい。
共感覚の自覚のない子供たちは(私の子供時代含め)数字が人と見えるため数学に取り組むことが困難であったり、多感な時期に感情から反応する色や音が煩わしい。
感覚をひとつに集中する、意識を散らすなどの訓練や対処法を当事者や親御さん、社会自体が知っているとこれらはかなり軽減するのではないだろうか。
このような共感覚に対して教育の先進国がある、それだけでもこれからの希望となる。
山口葵
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