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「ノーと言え」byジョブズ(ビジネスに効く名言)
「重要なことに集中したいなら、ノーと言え。」(名言はこちらからお借りしました)
スティーブ・ジョブズのこの名言、なんだかチープな自己啓発セミナーのスライドにでも出てきそうな響きですよね。ええ、わたしも正直、最初はそう思いました。「ノーと言え」だなんて、そんなの小学生でも言われるじゃないですか。「嫌なことは断りなさい」って。
でも、ちょっと待ってください。これ、本当にただの自己啓発じみたスローガンで終わる話でしょうか?ここに潜む深淵を、わたしは見逃しませんでした。だって、これ、単なる「断る勇気を持て」じゃないんです。スティーブ・ジョブズが言う「ノー」は、もっと狂気じみた哲学の果てにある、血と汗と涙とアップル製品の光沢のように滑らかで鋭い「ノー」なんです。
ジョブズの「ノー」は、選択と集中の極限にある。この男、そもそも人生そのものを「削ぎ落としの美学」で生きてきたわけです。禅に傾倒し、必要以上のものを徹底的に削る。その結果、あのミニマリスティックなデザインのiPhoneが生まれたわけですが、これ、単なるデザインの話じゃないんです。ジョブズが「ノー」を言い続けた結果、あのデバイスが「イエス」に進化した。つまり、「ノー」とは、無駄をそぎ落とすだけでなく、選ばれた「イエス」を輝かせるための鋭利な刃物なんです。
でも、「ノー」と言うのって、めちゃくちゃ怖いですよね。だって、「ノー」を言うということは、何かを捨てることですから。わたしたちは、捨てることに対してとてつもない恐怖を抱いている生き物です。進化心理学的に見れば、「捨てる」という行為は、生存のリスクを増加させるからです。原始時代に「ノー」と言いすぎて食べ物を分けてもらえなかったら、飢えて死ぬしかありません。だからこそ、脳内の扁桃体(恐怖や不安を司る部分)は、「ノー」という選択肢を提示された瞬間に警報を鳴らすんです。「おい、やめとけ。これを拒否したら、後で後悔するぞ」って。
しかし、ジョブズはその扁桃体の警報にすら「ノー」と言った男です。「ノー」を言い続けることで、自分のビジョンに集中し、余計なノイズを一切排除した。その結果、彼は大量の「イエス」を断り、たった一つの「イエス」に全力でコミットできた。これ、もう宗教的な域ですよね。吉田松陰が「死して屍拾う者なし」と覚悟を決めたような、一種の自己犠牲の美学すら感じます。つまり、「ノー」を言うというのは、自分の中の小さな死を受け入れる行為なんです。
ここで自分語りをぶち込んでいいですか。わたしも経営コンサルという仕事柄、よく「ノー」を言わないといけない場面に出くわします。でも、正直に言うと、「ノー」を言うときって、いつも胃がキリキリするんですよ。「これ、断ったら仕事が減るんじゃないか」とか、「相手に嫌われたらどうしよう」とか、つまらない不安が頭をよぎる。わたし、まだまだジョブズにはほど遠いな……と、自虐的に笑ってしまいます。
でも、わたしは思うんです。「ノー」を言うことの怖さを知っているからこそ、それを乗り越えたときの快感は格別だと。これはもう、変態的な喜びに近い。断ることで得られる自由、それはまさに知的なお漏らしのような解放感です(ええ、安心してください、朝なので知的おむつ履いてます)。
結局、「ノー」を言えるかどうかって、その人の本気度を測るリトマス試験紙みたいなもんなんです。自分にとって本当に大事な「イエス」を見極めるためには、痛みを伴う「ノー」が必要です。そして、その「ノー」を言える覚悟がある人だけが、人生の舵を自分で握ることができるんです。だから、わたしも今日から、もっと勇気を出して「ノー」と言ってみます。たぶん、胃が痛くなるでしょう。でも、その痛みこそが、覚悟の証なんだと思います。
さて、これを読んでいる間に図らずも知的なお漏らし感を覚えてしまったみなさん—今、この瞬間、何に「ノー」と言いますか?