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修論を手放す瞬間と、藤井風『満ちていく』との邂逅

修論を手放す瞬間と、藤井風『満ちていく』との邂逅

修論審査が終わった。
これで修論には一区切りがついたことになる。

前にも少し書いたが、書き終えたことに対する爽快感は微塵もない。
むしろ、いよいよどうにもならなくなってしまったと思う。

修論の出来に自信がないわけではない。自分が修論で取り組んだ内容及び成果は、多くの職業研究者を前にしても、胸を張って示していいと思う。しかしながら、修論の出来とは無関係に、いよいよ手遅れに、どうにもならなくなった

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修士論文、完走した感想

修士論文、完走した感想

(RTA勢みたいな小ボケはさておき)
修士論文、無事書き終えましたー!

9月くらいからコツコツと書き続けてきたので、とりあえず提出出来て良かったなと。終わったーー!という解放感よりも、毎日やっていた修論関連の作業がなくなったことによる戸惑いの方が今は大きいです。あと張り詰めていたものが解けた分、むっちゃ体調悪い…

僕が取り組んだのはレビュー論文(経験的研究を伴わない論文)なんですけど、やっぱり

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いよいよ修論に向けてバリバリ書いていく時期に。恐ろしいことはたくさんあるが、面白いものが書けたらと。

システムとして卓球を考える3:戸上隼輔に足りないのは本当に「引き出し」なのか

システムとして卓球を考える3:戸上隼輔に足りないのは本当に「引き出し」なのか

オリンピックが終わった。

結果として女子は団体銀、シングルスで早田が銅とメダルを2つ獲得したのに対し、男子は団体4位、シングルスで張本がベスト8と、メダル無しに終わった。

はじめに強調しておく、日本の男子卓球が弱くなったわけではない。

張本は精神的にも肉体的にも技術的にも東京より良いプレーをしていたし、戸上も初出場ながら堂々のプレーを繰り広げた。何より世界ランキング10番台の選手にこの3年で

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梅棹忠夫『知的生産の技術』を読んで

梅棹忠夫『知的生産の技術』を読んで

機会があって随分昔の本を読むことになった。『知的生産の技術』は1969年に刊行された書籍だ。研究や出版、教育などの情報を生産する活動にあたり、必要となる技術について述べた書籍で、手帳の書き方、カードの効果的な使い方、整理整頓のやり方や日記の付け方まで、細かく述べられている。

そのなかでも特に印象的だったのはカードの使い方についてだ。この本では常に紙のカードを持ち歩き、研究の過程やちょっとした思い

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リンクとの関係性から読み解く『ブレワイ』『ティアキン』のストーリー

リンクとの関係性から読み解く『ブレワイ』『ティアキン』のストーリー

(このレビューにはティアキン・ブレワイのネタバレがあります)

2023年も様々なゲームが発売された。その中でも、5月に発売された『ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム』は一際注目を浴びた作品である。はじめに言っておこう。このゲーム、買って損はない。シリーズ続編としても単体作品としても楽しめる作品で、遊びのボリュームもたっぷり。僕は5月にこのゲームを買ったが、12月になった今でも全然楽しめる。

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研究はそこそこ順調に進んでいるんだけど、趣味の物書きの方がなかなかうまくいっていない。題名だけつけて書いてみて、でもそれが面白く思えなくて。趣味だから無理に書く必要はないのだけども。

システムとして卓球を考える2:異質ラバーは「考える」

システムとして卓球を考える2:異質ラバーは「考える」

ラケット、ラバー、ウェア、シューズ… 卓球には様々な用具が存在する。特にラバーは卓球用具市場の花形とも言える存在で、毎年各メーカーから新商品が出されている。ラバーの種類には裏ソフト、表ソフト、粒高などがあり、一部のニッチなメーカーを除き、卓球メーカーは裏ソフトだけでなく、表ソフトや粒高も製造・販売している。

が、しかし。特に男子卓球では、フォアにもバックにも裏ソフトを貼る「裏裏」が完全にスタンダ

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怒涛に怒涛を重ねた新年度が過ぎ去り、酒を飲み、束の間の安息を享受している。色々嬉しいことありがたいことあってこれからも頑張りたいと思う一方で、これからなんてなくていいとも思う。そんな気分。

https://spotify.link/wcTGS9Br5Ib

僕は「批判」が出来ない

僕は「批判」が出来ない

私は今大学院に所属している。M2(修士2年)なので、今年度は修士論文を書くことになる。一応研究者志望であり、TA(大学の授業補助)をしたり、申請書を書いたりと、徐々にだが研究者としてのキャリアを踏み出しつつある(もちろん準備期間であり、まだまだ序の口なのだが)。

しかしながら、研究者に自分がなれるとは、正直言って思えない。なぜなら自分には論理的に考える能力が欠如している、そう感じるからだ。

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