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酒と花火とお蕎麦が笑った
週末の朝、一階の台所あたりから父と母が何やら言い合っている。
夫婦喧嘩、と言えばだいぶ大袈裟で、いつものちょっとした押し問答のような雰囲気である。
あれ?今日は二人で出かけるって言ってなかったかな?
不思議に思いながら、あまりいい趣味ではないけれど、眠気覚ましに聞き耳を立ててみようと思いつつ、アイスコーヒーを冷蔵庫へ取りに向かった。
「あんたの言う事はすぐころころ変わるもん!朝になって急に行かん!て言うたって、こっちも向こうも計画も何もあったもんじゃなかよ!」
「別にそがん(※そんなに)大袈裟な事じゃなかやっか!こん暑か中渋滞でもしてみろ!帰って来れんとぞ!盆にはこっち来らすどもん。そん時でんよかろた!(※お盆にはこっちに来るだろう。その時でいいじゃないか!)」
こんな風な会話であった。
よくよく話を聞いてみると、話の顛末は次の通りである。
父の運転でコストコへ行って、炭酸水やミネラルウォーター、キッチンペーパー、洗剤などの生活用品を買い、そのまま親戚の家に天然の鯛をお土産に届ける計画を一ヶ月前に立てていた。
親戚にも連絡をするととても喜んでいる。
お昼過ぎに着くようにし、少し早めの晩御飯をみんなで食べ、涼しくなってからゆっくり家に帰って来る。
一週間前になって父が、「やっぱり別の日にしよう!」と言い出したけれど、長年の付き合いからまた気が変わるだろうと予報士並みに推察したところ、案の定三日前になって、「やっぱりこの日に済ませよう!」と父が言った。そして当日の今日になり、「今日はやめとくぞ!」と、計画を反転させたようだ。
「向こうも用意とかあるとだけん、そんな急に行かんってなってもガッカリさすばい!ころころ話の変わって、何も信頼もなかもね!(※ころころ話が変わるから、何も信頼出来ないよ!)」
「だけんこっちの都合もあっどが!?(※こっちの都合だってあるだろ!)あれならまた盆明けに行っても良かろた!」
結局、母が親戚に連絡を入れ、また別の日に改める計画を立てたようだ。
「鯛は船に活かしていっぱいおるけん、また日にちの分かれば連絡するね。今日はごめんね。はい、そんじゃまた!」
母が電話口で謝っていた。
事情を聞いた私は苦笑いをした。
確かに市内への上りも下りも、今の時期かなりの渋滞で、タイミングが悪ければ往復約五時間の行き来が八時間に膨れ上がる事も考えられる。
「お父さんはまだおれが生まれる前は京都で大型トラックの運転手だったんでしょ?だけん交通には敏感なんよ。勘が働くんじゃないとね?夏休みの週末やし、ひょっとしたら帰って来れんかも知れんし、おばちゃんも分かってくれとるよ。昨日も国道で事故あったし、コストコも熊本で一店舗だけん、多分混んでるばい。レジ終わるのに何時間かかるか分からんけん、また今度にしなっせ!(※今度にしたらどう!)おれが休みなら運転するけん。」
そう言って、とりあえずは父の肩を持った。
いつの間にか父はおらず、母は肩をすぼめてやれやれというような仕草をしたので、私が笑うと、母もつられて笑った。
そんな少し慌ただしい、休日の始まりであった。
私は子供の頃、父にも母にもたくさん怒られた。
今にして思えば、怒られて当然だと反省しているが、その当時はやはりたくさん反発もしたし、いっぱい泣いた。
母は勉強に、父はスポーツに対して厳しかった。
「あんたみたいに一夜漬けで勉強して詰め込んでも何の意味もないと。そんなんはすぐに忘れてまた一からやり直しよ。梅干しもすぐには食べれんでしょ?長い時間漬け込んでやっと栄養のある梅干しになるんやから。」
「部活で練習してもみんなと同じやぞ!みんなが帰って遊んどる時に練習した分がお前の力になるんぞ。優勝と二番目では意味が違うんぞ。甲子園を見てみろ!優勝チームは何年経っても誰でも言えるけど、準優勝は時間が経てばどこやったか思い出せんやろ!」
そんな説教に対して、生意気な私は、
「点数さえ取ればそれでいい!」
「優勝でも準優勝でも、そこにいるのが大事やん!練習する過程が大切やん。勝ち負けはその次やん!?」
そんな矛盾に溢れた精一杯の反抗を試みていつも玉砕していた。
生意気な、世間知らずの、苦い想い出である。
二十一年前の秋、妻を病気で亡くした。
二人の小さい子供を連れ、私は熊本の実家に帰って来た。
父は、
「いろいろと大変やったな。仕事とかは落ち着いてからゆっくり考えていいけんな。まずはゆっくりのんびりして、それから今後の事も考えていけばいいけん。」
そう言って、私がハローワークに行っている間、よちよち歩きの息子の手を引き、公園で遊んでくれた。
母は、定年退職まであとほんの数年であったにも関わらず、私たち親子のために早期退職を会社に申し出た。
だから父と母の存在がなければ、私と子供たちは、行き場にない荒海に投げ出されていただろう。頼りのない小さな小舟に乗ったまま、今も漆黒の海を彷徨っていたかも知れない。
幼い頃、厳しく言われた全ての言葉が、大人になり、何かを背負わねばならない立場になった時、特効薬のように効いてくるような感覚であった。
親が子に伝える言葉は、時に重く、厳しいが、それはその場しのぎなんかでは決してなくて、その子の人生の地図でありコンパスになるんだと、今では思っている。
さて、今日は花火大会だった。
昼間にちょっとしたお祭りのイベントが行われ、小さい子供たちが可愛らしいハッピを着てパレードに参加していた。
毎年地元で開催される、恒例の行事である。
私はドラッグストア、息子はリゾートホテルで働いており、繁忙期や週末などは勤務の日が多いけれど、今日は二人とも休みだったので、庭でバーベキューをする計画を立てていた。
外はかなりの暑さである。
大きなシートで日除けを作り、冷風器を二台設置して準備を始めると、いつものように庭の子猫も集まって来た。
予定を変更した父がやって来て、
「お、結構いい肉やんか?どう、早めに飲もうかい?」
そう言ってキンキンに冷えた瓶ビールと保冷用の大きなクーラーボックスを持って来た。
「しゅんはハイボールやったな?ま、最初の一杯はこんクラフトビールを飲んでみろ!美味しいぞ!飲めるんやろ?」
そう笑いながらグラスに注いでいた。
「じぃじ、グラスまで冷やしてるなんて通やね!」
息子もグイッとビールを飲んでいた。
豚バラ串が、それはそれはいい香りと音を発しながら、食欲を充分すぎるほどにかき立てた。
お昼と夕食を兼ねたような時間でもあり、この暑さにも負けずおなかの虫が大きく鳴り始めた。
「二人ともたくさん食べんば、夏バテするぞ!」
父が張り切ってお肉を焼いた。
「あんたは飲みすぎんごつせんば、逆に脱水症状になっとだけん。」
と、母がタオルで額の汗を拭きながらやって来た。
「今日は運転もないし、私も飲もうかね!」
よく、「人生で最後に食べるとしたら何がいい?」
という話題になるが、こうやってお日様の下、汗をかきながらバーベキューをして、冷えに冷えたビールを飲むのがやっぱり最高なんじゃないかなぁとふと思った。
じゅうじゅうと音をあげる焼肉には、そんな魅力と魔力があるんじゃなかろうか?そんなふうに考えてしまうほど、美味しかった。
家族でいろんな話をして、笑いながら食べる食事は最高だなと思った。
やがて日が西の空に沈みかける頃、お待ちかねの花火が大小の鮮やかな花を夜空のキャンパスに咲かせ始める。
早番のカラスも慌てて家族の元へ帰って行く。
息子と並んで空を眺める。
去年と同じ光景なのに、こうして見上げる空にもたくさんの発見があり、胸を打つから不思議だと思う。
実家に二人の子を連れ帰って来て、初めての花火大会の夜を思い出す。
二人とも音に驚いて、大きな声で泣いたなぁ。
二人を両腕に抱え、慌てて走って家に戻ったなぁ。
息子が小児喘息で入院し、私も一緒に付き添いで泊まった。
売店で落書き帳とクレヨンを購入して、大きな花火を描いた。
退屈しないように、一緒にたくさんの花火をクレヨンで描いて、
「ひゅーどーん!ひゅー、どどーん!!」
と声に出してその絵を何度もめくっていた。
次の年の花火大会の夜、息子はなぜか泣かなかった。
そして笑いながら、
「ひゅーどーん!ひゅーどどーん!!」
と、両手を天に掲げて大きな声を出していた。
娘もお兄ちゃんの真似をして、バンザイをしていた。
下手くそな私の絵で遊んだ事を、覚えていたんだとびっくりした。
そんな遠い記憶を辿っていると、約二十分の花火の演奏は、走馬灯のように終わった。たくさんの余韻と、また新しい想い出を刻んで。
家に戻ると、ちょうど父がお風呂からあがっていた。
「おい!一杯飲もうか?いい焼酎とウイスキーのあるぞ!」
と言ってニヤリとした。
「ばっておつまみはそばしかないよ。後は焼肉の残り!」
と母の声が台所から聞こえる。
「お!そばいいじゃん!おれちょうどそば食べたかった!!」
と、息子が右手を挙げる。
「このお酒はな、じぃじがこの前東京に会議に行った時にな、偉い人からお土産でもらったんぞ。しゅんの給料じゃまだまだ簡単には買えんけんな!」
と父が得意気に語った。
「今日は特別に初めて開けるけんな。」
そう言って大層な箱から取り出した。
食卓に、即席のそばが並んだ。
ネギと、かまぼこ、天かすに一味が入っていた。
さっき見た、花火のようだった。
私はそばを食べる時、いつも必ず思い出す出来事がある。
子供達がまだ小学校低学年の頃、私はインフルエンザに罹患した。
身体中が痛く、頭痛もあってベッドに寝ている時、息子がドア付近から顔を出して、
「パパ、わかなと二人で何かご飯作って来るけど何がいい?リクエストとかある?食べれそう?」
と、少し心配そうな声で聞いた。
「そうやね。そんなたくさんは食べれんけん、家にあるものならなんでもいいよ。ごめんね、心配かけて。」
と答えた。
しばらくすると、息子と娘がひょっこり顔をドアの隙間からのぞかせ、
「パパ、これおれが作った。わかなはかまぼことネギを切って入れた!」
「あたし、たまごも入れた!」
と言い、一杯のおそばと私の好きなルイボスティーを置いてくれた。
少しだけ冷めていたそばが、胸とおなかに染み渡って行き、心がぽかぽか温かくなった。
スープまで一気に飲み干してしまった。
後日、母がこんな話をしてくれた。
「あんたのご飯、何にしたらいいのか、しゅんとわかなが聞きに来たんよ。インフルエンザの初日でしょ?雑炊とかがいいんじゃないかなぁって私は考えてたら、じぃじがこんな事言い出してね。『おーい!しゅん!パパは病気やろ?そんな時はパパが一番好きな食べ物を作って持って行ったら喜ぶんじゃないか?パパは焼肉かそばが好きやろ?どっちがいいかな。そやな、焼肉の方が多分好きやと思うけど、今病気やろ?焼肉なんて持って行ったら栄養があり過ぎて、すぐに病気が治って明日からすぐ仕事に行ってしまうんじゃないか?』って。しゅんとわかな、しばらく考えてね、結局さ、そばを作り出したんよ。あんたにしばらく休んで、一緒にいて欲しかったんよ。」
だから私は、
「もし人生で最後の料理は何がいい?」
と尋ねられたら、きっと、「そば!」と笑って答えるだろう。
その次が、焼肉とビールかも知れない。
さて、これはあくまで私の推理だけど、父が今日の予定をキャンセルしたのは、孫が休みなのを知り、一緒にバーベキューをしたかったからではないだろうか?花火の後、自慢のお酒を、こうして笑い、懐かしい思い出話に花を咲かせながら飲みたかったからではないだろうか。
と、考えている。
本当のところは、父に問わねば解らないが、きっとそうに違いないと、私は自信を持っている。
なぜかと言えば、もし私が父と同じ立場であれば、父と同じようにあれこれ理由をつけ、きっと予定をキャンセルし、天国の妻とちょっとした言い合いをしていただろうと思うから。
そしてバーベキューを楽しみ、夜はお風呂上がりに、大事なとっておきのお酒を持って来て飲み、父のように顔を赤くして目を細めているに違いない、そんな風に思うから。
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