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angelspace
2024年7月29日 12:49
昨日の床稽古は予備動作なく、床に横たわった状態から始めました。横たわったらすぐに聞こえてきたのは、「目の玉を後頭部に落として、そのままどんどん落ちていく」という声。その形はまさにヨガの死骸のポーズであり、墓場に横たわる死体として、どこまでも落ちていく感じ。。。このように床に横たわるのはとても懐かしく、それは昔々、下北沢の稽古場でヨガの最後に死骸のポーズをした時にタイムスリップしたかのような
2024年7月20日 05:29
この動画の最後の言葉、「メディアを疑え、カリスマを疑え」という言葉と、「原始人の気持ちに戻って考えてみる」という姿勢に、とても強く響く力のようなものを感じたもので、しばしそれについて考えていました。たしかに今の時代が危うくなってしまっていることは認めた上で、これもまた次の文明次元に進む上で、必然なプロセスなのだと思うところがあって、そういう意味ではただ原始時代に戻れば問題が解決するというような
2024年7月18日 17:00
原初舞踏に惹かれたのはこういうことだと思った、今日の最上さんのポスト。「ただ身体そのものになる」というところ。神も女神も観音も聖母も仏陀もキリストもシバもカーリーも天皇もマルクスも出てこない。「ただ身体になる」ことはもっとも基本的なことでありながら、もっとも難しいことでもある。特別な何かになったり、神秘的な何かに奉納したりって、結局は対象化の道でしかないということなんだろう。僕
2024年7月16日 10:18
7月14日の原初舞踏の稽古のこと、まだフレッシュなうちに書いておきます。この日の稽古はいつもとは違った変則的な稽古でした。床稽古やスローの稽古をせず、オーム斉唱の後、フリーダンスを3回というものです。4人ずつ3組に分かれて順番に踊り、他の人はそれを見るという感じ。僕自身今日は力を抜いて気張りすぎないことと自分なりに決めていたということもあって、このフリーダンス1回目においても何も決めず踊りに入
2024年7月5日 12:13
「東京巡礼」という言葉に接して思い出した言葉として、「東京漂流」という言葉があった。「東京漂流」は40年ほど前に出版された本の名前で、当時衝撃を受けた本だ。表の東京に対して、裏の東京に目を向けているという点をとれば、「東京巡礼」と「東京漂流」は互いに通じるところがあるものの、その両者はまったくもって存在の質が違っている。何がどう違うのか、最初はおぼろげだったのだけれど、だんだんと見えてきた