原初
この動画の最後の言葉、「メディアを疑え、カリスマを疑え」という言葉と、「原始人の気持ちに戻って考えてみる」という姿勢に、とても強く響く力のようなものを感じたもので、しばしそれについて考えていました。
たしかに今の時代が危うくなってしまっていることは認めた上で、これもまた次の文明次元に進む上で、必然なプロセスなのだと思うところがあって、そういう意味ではただ原始時代に戻れば問題が解決するというような単純な話ではないのだと思います。
それでも、この動画は響くものがあったので、シェアしたくなりました。個の欲求を満たしたいと言う思いと、世代を超えていく人類という種の意識と、果たしてどこに自分の居場所を見出すかによって、その人の生き方や選択は変わってきます。
これはどこに自分の居場所を見出すのかという話でもあるのでしょう。
ある意味、今は漂流せざるを得ない時代と言えるのかもしれません。今や三世代どころか最小単位の家族という共同体さえ危うくなってしまったということなのでしょう。
それは神話を失ったことに起因するのかもしれませんが、結局のところ、「個」を求めるという本能のようなものが人間にはあり、それゆえにそれは起こるべくして起こってきたこととも言えるのではないかと思います。
昔は社会という共同体の一員として生きればよかったのに、今では個人個人が生きる意味を見出さなければなりません。いろんな可能性を求めて、人間はさまざまな体験を積み重ねながら、経験値を高めているところと言えるでしょう。
何を拠り所とするのか、どのような価値観に自分の人生を委ねるのか、うまくいくこともあり、失敗することもあるでしょう。
ヘライザー総統のように「原始人のスタイルに戻ろう」と言う人がいてもおかしくはありません。神話を取り戻そうとか、教育勅語が大事と言うのも、もしかしたら同じ方向性を向いていることなのかもしれません。
しかし、最初に書いたように、次の文明次元へと進むために新しい道を見出そうとするならば、垂直性が鍵になるだろうと思います。レッドオーシャンではなく、ブルーオーシャンにこそ漕ぎ出すべきという気がします。
この世界に最適化する方向ではなく、衝動に身を任せるような方向に、直観に身を任せるような方向に、何らかの鍵があるのではないかと思ったりします。
そう言う意味で「身体」「内在」の方向に基盤を見出そうとすることは、ある意味必然なことのように思うのです。
そういう意味では原始人ではなく、もっと根源的な「原初」に立ち返ることが大事なことなのではないかと思いました。おそらく「原初」は「神話」よりもさらに深い根源に通じているのではないかと思います。
メディアを疑い、カリスマを疑い、神話を疑い、「身体そのものに立ち返る」ということ。個人がそこに立ち返り、そこに大地を再発見していくとしたら、それこそが超人に通じる道なのではないかと思うのです。