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なんかいい感じのゴール。
現在、毎月のイベントとして、海浜の清掃を行ってから、ビーチでヨガを行う活動を行っている。
いかにも「善い行い」だと、誰もが感じるだろう。
人によっては、その明確な善行に怪しささえ感じると思う。(私も自分自身を勘繰ってしまいたくなる。)
この企画は、ビーチヨガというアクティビティがあることで「面白そうだから」「気持ちよさそうだから」というごくありふれた理由で参加できるイベントになればいいという気持ちで始めた。
プロギング※がモデルになっている。身体を動かす活動にちょっとおまけがついてて、環境にも優しい、みたいな。
別に「善い人」にならなくてもいい、"なんかいい感じ"のイベント。
※ジョギングしながらゴミ拾いを行うアクティビティ。スウェーデン発祥。
このイベントは、ヨガの八支則の2つ目の段階(ニヤマ)における清浄(シャウチャ)をイメージしている。
清浄(シャウチャ)とは、身の回りや心を整え、綺麗に保つべしという教えだ。
物理的に行動を想像しやすい教えであるので、八支則の中ではとても親しみやすい。
一方で、精神的な清潔さを保つことは容易くできることではない。
清らかさのあるべき姿に、自分を責めたり、他人を攻撃してしまうこともある。
それだけ人は、傷ついたり傷付けられたりしていて、過去の記憶や未来への不安を許し受け入れるのは簡単では無い。
落ちているゴミは、人の過去を思い馳せる。
飲料、釣具、吸い殻など。ゴミとなる前の状態から捨てられるまでの情景がなんとなく想像できてしまう。
そして、名前も顔も知らないその人にたいして、疑問や怒りが湧いてくる。
その心の波立は決して穏やかでは無い。
では、ゴミの未来を考えたらどうなるか。このままでは海洋ゴミは増え続けてしまうだろう。
カラフルなプラスチックがいつのまにか足元を埋め尽くして、埃のような色の砂浜になるかもしれない。
ゴミを辿ってみた過去も未来も、あなたの心の波立の原因になる。
一方、海は風が吹いたら波立つし、ゴミも砂も生き物も全部飲み込んで、またどこかへ運んでいく。自然はいつもあるがままで、喜びも悲しみもしない様が清々しい。
人のごみに嫌になったら、その手を止めて、ただ海をぼーっと見つめていい。
シャバーサナで風の音に耳を傾けてみる。
自分の心地よさに素直になってアーサナをとってみる。
肺を新鮮な空気で満たす。
多分、あなたのマットの周りにゴミがたくさんあるよりも、何も無い砂浜でアーサナを取る方が心地よい。
善い人であろうとすると、プレッシャーもかかるし、自分以外の価値観の人を傷つけかねない。
正義感からこの活動をするのではなく、ただ単純に、海やヨガを楽しんでほしい。
ゴミ拾いも、やってみたら不思議とハマる。無い方が喜ばしいはずなのに、袋いっぱいになると達成感が出たりして皮肉なものである。
"なんかいい感じ"に楽しめて、ちょっと疲れたらオーシャンビューがなんとかしてくれるやろ〜って、こんな自然におんぶに抱っこなイベントあるだろうか。
「ありがたいなあ」と胸がじんわりしたら、あなたの心はととのって清澄になったかもしれない。