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坂巻菱生の自己紹介 ~僕がnoteで創作活動する理由
【この記事は、約8分で読めます。】
ご訪問いただき、ありがとうございます。
noteを始めたのが、2024年の4月。
フォロワーが150人を超えたというのに、自己紹介もなく今日まで来てしまいました(フォロー頂いている皆様、本当にありがとうございます!)。
そして、今日僕はいい加減お前何者なんだ?
と自己紹介の必要性があると思い、ここに筆をしたためました(遅い!)。
さて、改めてはじめまして。
僕は、坂巻菱生(サカマキ ヒシオ)と申します。
生粋の発達障害(ASD)当事者で、障害者雇用の正社員として働く一家の主でもあります。
ちなみに、坂巻菱生はペンネームです。
悪しからず。
この記事では、自己紹介という意味で「坂巻菱生という人物像」と「なぜ僕がnoteで創作活動を行うのか?」にポイントを当てます。
どうぞこの記事を通じて、「坂巻菱生」が何を目指したいのか知っていただく機会になれば、幸いです。
1.我が坂巻菱生の、身の上話
①いじめ、うつ病、自殺未遂、そしてASDと診断されるまで
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僕のざっくりとしたプロフィールは、小学校から高校までいわゆる普通学級で過ごしてきました。
しかし、デリカシーのなさ・承認欲求の強さから周りに煙たがられてはいじめを受けてきました。
学生時代は、これ見よがしに自分に注目してくれと言わんばかりに悲劇のヒーローを演じる、とても痛い子でした。
事実、そうした言動にしびれを切らして先輩からは「僕を大学の中で本気で怒らせたのは、君が初めてだ」と縁を切られました
さらに、過干渉の母親・無関心の父親のもとで育てられ、障害特性以外での認知のゆがみを起こしては相手に誤解や齟齬を与え続けてきました。
決して悪気はないのに、関われば関わるほど気の利いた一言や擦り合わせもできず、「お前にはココロがない」と見限られたことも。
当時所属していたサークルでは「お前、退部」と突き放され、自殺未遂も犯しました。
何か他の人とは感覚がおかしい・自分はADHDではないかと、メンタルクリニックにも通院しましたね。
しかし、当時はうつ病と誤診。
間違った薬を飲まされては体重も増え、授業中はいつも睡魔と戦う日々を過ごしていました。
生き辛さは、社会人になってからも続きます。
聞くだけに必死になるせいで、電話を取りながらメモが取れない。
計算するだけでいっぱいいっぱいで、接客しながら金勘定ができない。
当時の課長からは大目玉を食らわれ、会社でも居場所をなくしていました。
そんな中、たまたま僕は大学時代教職課程で発達心理学を学んでいました。
当時のノートを読み返し、「もしや自分は発達障害ではないか?」と改めて疑うようになりました。
その後、近くの開業医からの紹介状を経て大学病院で診断を受けたところ、広汎性発達障害(ASD)と診断されました。
診断された瞬間「ああ、やっぱりな」と開き直った一方、「やっとこれで自分の生き辛さが晴れる」と胸をなでおろしたのを覚えています。
②障害者雇用として定年まで骨を埋めようと決心するまで
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しかし、ASDと診断されたからといって、人間関係が改善できるわけではありませんでした。
適切なタイミングで報告・連絡・相談ができない。
ましてや自分が何に生き辛さを抱えてるかも、言語化できない。
言ったところで、会社は「それはお前が甘い」「意味が分からない」と一蹴されるだけ。
何をしても、八方ふさがり。
職場で障害特性の理解が得られる機会はありませんでしたし、むしろ診断された影響で退職をほのめかされる方向に持っていかれました。
一方、当時僕はまだ両親と同居していた中、母親からは「早くこの家を出ろ」だの「社会人になったから居候費を払え」と催促され、家でさえのけ者にされていました。
このまま今の環境に居続けても、何も得られるものはない。
意を決して、僕は社会人5年目に転職し、帰郷しました。
その後も、世の大多数を占める定型の中でもまれながら働き続けました。
それでも、両親から離れたおかげで何とか幼少時代に置き去りにしてしまった、自分自身の感覚を取り戻してきました。
家内との出会いや、当事者会での交流が大きなきっかけだったかもしれません。
幸いにも、帰郷後の勤め先は作業が定例化していたからか人間関係は良好でした。
最後の1年は残業続きながらも、社長から「坂巻はいつも頑張ってるから」とボーナスも上乗せしてくれました。
しかし、この年次男の誕生により家から勤め先まで1時間以上かかる距離では、家内への負担も増えてきました。
結果、安定就労を実現できていても、僕は転職したのです。
ただ、この転職先がいわゆるブラック企業でした。
毎日突発的な業務で、残業続き。
予測ができない仕事の中でコンディション維持も難しく、7カ月で辞めてしまいます。
人生のどん底でした。
数カ月は職安から失業保険が支給されるものの、いつかは打ち切られます。
このままでは、家計が危ない。
将来が不安になりました。
その後、知人の紹介を経て就労移行支援事業所に通所します。
そして、通所する中でスタッフの提案も手伝って、僕は安定就労の実現を目指して障害者雇用としての採用を決心したのです。
③障害者雇用として働いてから現在まで
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現在勤めている会社は、就労移行支援事業所に通っている中で見つけました。
善は急げと、会社の求人票が上がったその日に応募。
すぐに就労移行支援事業所のスタッフに報告したのを覚えています。
スタッフからは「ここは歴史が長いし、安定した会社だからぜひとも臨んでください」と背中を押されました。
その後、倍率10倍超の面接をくぐりぬけ、現在の会社に内定をいただきました。
この時、僕と会社では偶然の重なりがありました。
会社は、障害者雇用前提で採用するのは創業以来初めての出来事でした。
当時、会社は障害者の法定雇用率を満たさず、毎年罰則金を支払い続けてました。
そうした状況を、社長が「そろそろ何とかしないとなあ…」と見かね、当時の採用で必ず一人は雇う方向に踏み切りました。
社長のツルの一声が、僕に採用のチャンスを与えたのです。
一方、僕の方は面接へ行く際、フォローという形で就労移行支援事業所のスタッフと同行していました。
しかし、面接当日はたまたまスタッフとの調整が合わず、僕は一人で会社に向かいました。
つまり、僕は裸一貫で、会社の面接に臨んだのです。
そして、お互いの状況がマッチしたのでしょうか。
会社は、採用必達を社長から課された手前、誰か一人は内定を出す至上命題がありました。
僕は、同行者なしで面接に臨み、全て一人の判断で思いの丈を伝えました。
後に会社から聞くと、「誰からのヘルプも借りず、一人の力で自分の強みを伝えられた」のが採用の決め手だったというコメントでした。
初めの1年半は、契約社員として働きました。
採用当初から正社員登用を前提としたキャリアでしたが、契約社員である以上任期満了で雇用が打ち切られる場合もあります。
この期間は、どうにかして登用に結び付けようと、会社が求める方向に順応しました。
※ 当時の具体的エピソードは、過去こちらの記事をご覧ください。
そして、1年半後に僕は正社員へ登用されました。
さらに、現在も同じ会社・同じ部署・同じ雇用形態として働き続けております。
気づけば、今まで働いた中で一番長く同じ会社に留まっています。
大多数の定型と関わり、想像性の困難から誤解や齟齬、対応の遅さや詰めの甘さを指摘される機会は多々あります。
それでも、僕は60歳定年まで今の会社で骨を埋める所存です。
なぜなら、現在の会社は自分のペースで仕事が進められ、1から10まで決まりきった仕事をこなせられるからです。
対人関係の調整を、他のメンバーに任せているのも安定就労を続ける要因です。
ただ、そうした環境に甘んじる慢心は抱えたくありません。
社会と関わる以上、他人との擦り合わせや価値観の共有は、ミスコミュニケーションを生まないための重要な要素です。
これは、会社との信頼関係にも関わってきます。
もし、一瞬でも信頼関係が崩壊しようものなら、僕はまた居場所をなくしてしまうでしょう。
僕の仕事は、総務・庶務業務で社員のユーザーアカウント管理・社内の清掃・備品の受発注などを行っています。
正直、地味で目立たない仕事ばかりしています。
しかし、僕がこなさなければ社員は当たり前のように、メールが使えない・社内の清潔が保たれないといった弊害が起きます。
当たり前に存在するものが当たり前でなくなり、会社のモラルにも影響を与えます。
僕はそうした仕事に陰ながら関われることに、やりがいを持っています。
確かに、一般枠時代に比べたら年収は落ちました。
学生時代の同期が課長・部長と昇進する中、僕は未だにただの歩兵です。
それでも、僕は一兵卒で満足です。
これは、昇進を諦めたという負け惜しみではありません。
何より1年を通じて安定したコンディションで働くための、必須条件だと信じています。
※具体的エピソードは、過去のこちらの記事をご覧ください。
4社目にして、ようやく手に入れた働きがいのある職場。
今後も相手の意見に怖気づきず、指示された内容に指示通りに応えることで究極の平凡を目指す所存です。
2.僕がライター活動を行う理由
①自分の好きな分野で実績を作り、自信を得るため
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まず、僕がライター活動を行う理由は、自分の好きな分野で実績を作り、自信を得るためです。
僕は、書くのが大好きです。
なぜなら、書くのは話すのと違い、考えを整理できる時間があるからです。
僕にとって、書くのは障害特性からとっさに状況に適した伝え方ができない、しどろもどろになる障害特性をカバーしてくれます。
また、人から自分の記事が気に入られると、正直に嬉しいものです。
自分の思いが伝わった・認められれば、ライターとしての創作意欲もかき立てられます。
ご存知かもしれませんが、noteの理念は「創作を楽しみ続けること」「ずっと発表し続けること」です。
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僕は、いつもこの理念を大事にしてライター活動を行っています。
なぜなら、楽しくないと本業以外の限られた時間が充実しないからです。
また、発表を止めてしまったら過去の記事も埋もれてしまいます。
誤解を恐れず言うと、僕はnoteの掲げる理念に則って、本業や家庭では実現できない承認欲求を達成できます。
それが能動的に生きる原動力となり、本業や家庭でも過剰適応せず生きていける要因になっています。
好きな分野で認められ、自信を得る。
その結果、本業や家庭でのパフォーマンス発揮に役立てられる。
ライター活動で得た自信は、益々の安定就労への拍車を果たしているのです。
②定型と当事者がすれ違う本質を突き詰め、互いが歩み寄る方法を言語化するため
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2番目の理由は、当事者の立場として定型と当事者がすれ違う本質を突き詰め、互いが歩み寄る方法を言語化するためにあります。
なぜなら、当事者の発信は、実際の経験者として意味のある・説得力のある伝わり方ができると信じているからです。
僕の記事にたどり着いた方は、少なからず「安定就労の実現」「過剰適応なき社会生活」を望んでいるかと思います。
さらに、そのような目標は発達障害当事者のみに留まらないと考えています。
当事者を支える親御様・職場の同僚・学校の先生・あるいは友人知人にも共通した悩みではないでしょうか?
僕は2010年に発達障害と診断されてから、当事者会活動を通じ、実に500人以上の当事者支援者とお会いしてきました。
その中で、共通して彼らが抱える悩みは「会話が長く続かない」「悪意はないのに、すぐ関係がこじれる」といったものです。
僕は、なぜ両者が分かり合えないのか・寄り添っているようで寄り添えないのか、長く疑問に思っていました。
そこで気づいたのは、お互いそもそも生まれながらに持っている「本質」の違いでした。
定型は、自分が100あるうち50伝えれば、相手も50理解できるという前提での会話を好みます。
それも、お互い「無意識」にです。
対して、当事者はマルチタスクの困難から、100あるうち100伝えなければと必死です。
さらに、その100も当事者にとっては100てまあっても、定型にしたら10だったり1000だったりと濃淡の差が激しい傾向にあります。
その結果、言い過ぎや伝え漏れが起こり、ミスコミュニケーションを生み、生き辛さを抱えてしまいます。
僕は、こうした社会適応への困難さ・定型との温度差を、当事者が言語化してこそ意味のあるものと考えています。
なぜなら、当事者は実際に否定体験を味わった経験者であり、生々しい体験は具現性を帯びているからです。
しかし、伝わり方も相手が理解できるものでなければ、響きません。
そのため、僕はnoteを始める前、ライター講座を3か月かけて受講しました。
※ 僕が受けたのは、こちらのサイトです。
お陰様で、閲覧者数は毎月上昇し、先月は自己紹介なしで1,500人を超えました。
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また、通算の閲覧者数は7カ月で5,000人を超えています。
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特に、当事者の悩みは就職・学業・安定就労・居場所づくりに集約されるようです。
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僕は、今後もこうしたテーマは定期的に発信する必要があると感じています。
そのために、僕は本業での経験を踏まえ、発達障害でも工夫次第で定型と同じ土俵で働ける・コミュニケーションできる自信を与えたいと考えます。
自身の体験談を交え、当事者も定型も歩み寄る方法を言語化し、実践する。
僕はここnoteでの創作活動によって、お互いにとって誤解を解き、称え合う関係性が築けるきっかけ作りを実現したいのです。
3.僕がnoteで実現したいこと
①書籍・講演・当事者会につなげる橋渡し的役割を果たす
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僕は、noteを当事者が安定就労ならびに過剰適応なき社会生活を送れるための実践例を発表する場所と位置付けています。
手前味噌ながら、noteを通じ世の大多数を占める定型発達と上手く折り合いをつけるヒントが伝えられれば、その使命は果たせると考えています。
ただ、noteだけでは伝わる範囲や影響力も限られたものになると予想しています。
なぜなら、文章だけでは坂巻菱生という「実像」が理解できないからです。
僕は過去当事者会を開催した時「リアルの場で、リアルの交流」を重んじていました。
対面での場でこそ、その場で得られる共感力や同じ感情の共有が得られると信じていたからです。
会そのものは、円卓になって僕がファシリテーターとして誹謗・中傷以外何を話してもOKという安全・安心の場を提供していました。
限られた時間で自分の内面を言語化し、参加者とともに自身の感情と向き合う。
こうした経験は、自分を客観視し相手からの新たな視点を受け入れるきっかけになります。
実際、僕自身が立ち上げた当事者会は3年でのべ200人以上の参加者が集まり、YouTube配信で人気の某有名当事者会とコラボした経験もありました(身バレするため、具体的団体は差し控えます)。
僕はnoteを通じ、過去関わっていた当事者会活動を復活するための草の根活動に充てようと考えています。
そして、当事者会とnoteでの実績を経て、書籍発行や学校での講演・セミナーへとつなげようと企てています。
僕のnoteはいわば、今後の運営を行う上での橋渡し的な役割であるのです。
②不労所得を得て、老後の生活基盤を作る
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そして最大の目的は、noteでの収益をきっかけに老後への生活基盤を作ることです。
なぜなら、今後年齢を重ねる中で安定した収益を定年後でも継続できれば、ゆとりのある余暇を過ごせたり病気へのリスク回避につながるからです。
僕は、障害者雇用の正社員として働いています。
当事者からしたら、良い身分だとうらやましがるかもしれません。
しかし、僕はこれでもまだ満足できない事情を抱えています。
僕は、他の社員と比べたら年収が低い方です。
正直言うと、入社2~3年目の社員と同等の金額しか稼いでいません。
職位が一番下である他、過度の残業禁止で就労時間が抑制されているからです。
確かに、仕事には誇りを持ち、会社には発達障害である自分を雇ってくれて感謝しています。
しかし、僕は会社から障害特性がゆえに今以上の昇進・昇格はないと断言されています。
すなわち、入社の段階から頭打ちを宣告されているのです。
※ 具体的エピソードは、過去記事をご覧ください。
そのため、今以上の収入を望むなら、他の場所で稼ぐ必要があります。
ただ、稼ぐなら自分の好きなこと・得意なことで自信を得ようと考えました。
本業を抱えている中、限られた休日を楽しまなければ、副業もつまらないものになるからです。
自分にとって楽しい瞬間って何だろう?
考えに考え抜いた結果、僕は「書くこと」が楽しい瞬間だと分かりました。
そして、書くことが楽しいんだと決定づけたのは、この著作でした。
川代紗生さん。
人の慢心や繊細さに鋭く突っ込み、年上の僕も記事を読むたび気を引き締められます。
一方、稼ぐといっても私利私欲を満たすものでは、信用も責任も伴いません。
稼いだ分、何か自分にとっても、相手にとっても有益な形で投資・還元しないといつかは仲間から離れ、事業は失敗するでしょう。
あなたが勤めている会社にしたって、従業員が食っていけるために経営者は毎日汗水たらして奔走しているのです。
自分の将来の目標は、書籍・講演・当事者会を通じて一人でも多くの当事者が生き辛さから解放されることです。
その結果、少しでも当事者にとって安定就労と過剰適応なき社会生活が送れるためのヒントが提供できれば本望です。
もし、応援していただけるのであれば、ぜひとも坂巻をフォローし、継続的に記事をお読みいただければ嬉しいです。
さいごに
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
以上が、「坂巻菱生という人物像」と「なぜ僕がnoteで創作活動を行うのか?」に的を絞った僕の自己紹介となります。
正直noteを初め、7カ月でフォロワー150超え・訪問者5000超えは想定を上回る数値でした。
これも、皆様の閲覧やフォローあっての賜物です。
改めてこの場を借りて、厚く感謝御礼申し上げます。
来年は有料記事展開も行い、充実した情報提供と収益化にもつなげ、副業としての安定軌道に乗せたいところです。
ぜひとも、有料記事を公開した時は、僕宛に手厳しいコメントをいただければ、嬉しいです(お前はマゾか、笑)。
批評や批判は、大歓迎!
第三者からの意見は、良質で価値のある記事を書き続け、自分自身を成長させるためのチャンスと捉えています。
アドレスは、keep.my.rolling.life@gmail.com です(@を小文字に変えて)。
※ 第三者、特にライター活動を生業としている方からの、経験に裏打ちされたご意見をお待ちしております。
僕はこのnoteで、当事者と定型がすれ違う本質を自身の体験談を交えて突き詰め続けていきます。
その結果、互いが歩み寄る方法を模索し、実現できる形で充実したコンテンツを提供してまいります。
どうぞ、今後とも末永く坂巻菱生を、よろしくお願いします。
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