ケチなわたしにはフリーランスが難しい
「なんでそんな考え方しかできへんの?人間性疑うわ」
ひねくれ者でケチなわたしが、お人好しの夫から3ヵ月に1回ぐらいの頻度で言われるセリフだ。
言われるたびに、ふさがりきらない心の傷口に針を30本ぐらい突き刺されたような痛みを感じる。
国語の授業で読んだ『おじさんのかさ』のおじさんに小学校1年生ながら共感したネイティブケチは今もなかなか変わらない。ただ、本音をさらけ出して生きているかどうかが変わっただけだ。
この性格のおかげで小学校6年生のころクラス全員からガン無視された。
集団で示し合わせて1人を無視する行為については今でも卑劣だと思うし全否定するが、自分の性格は受け入れざるを得ない。
学生生活は口も世界も閉じていたって卒業できたが、社会人ではそうもいかない。本当の本当の本音をさらけ出せば社会で生活できない不適合者なので、嘘にならない程度の本音をさらけ出してなんとかサヴァイヴしている。ひねくれていても、嘘はつけない性格なので。
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そんなわたしは最近、本音といい顔のあいだでよく葛藤している。
とくに仕事の交渉で。
たとえば居酒屋なら、どんなにひいきにしてくれる常連さんでも、マナーの悪い一見さんでも、ビール1杯の値段は変わらない。
常連さんには「店長の粋なはからい」が要所要所で発動するのだろうが、基本的にはビールの値段も枝豆の値段も均一だ。
でも、わたしはそういうわかりやすい原価のあるものを扱っていない。みずからの知識・経験・スキルを商品としている。
ビジネスの師匠は「仕事とは困っている人を助けること」と口ぐせのようにおっしゃるが、それは頭では理解していても、どうしても金勘定をしてしまう。ビール1杯580円とはいかない。
力になりたいけれど、ちょっと割に合わないよな…
この金額でお引き受けしたら、わたしの時給はいくらになっちゃうのかな?
わたし、またケチ発動してる?これってケチに該当する?
形のないものを提供しているし、業務内容もクライアントによってさまざまだからこそ、本音といい顔が代わる代わる表れる。
少し割安でも力になりたいと意を決して引き受けたお仕事が音信不通になることもある。安易に割引するものじゃないなと反省する。
2年前までは来るもの拒まず料金交渉もせず、なんでもYESマンだったためにつねに肌はガサガサで、腰も痛めてしまった。
そんなふうだから、いつもよくしてくれるクライアントさんには感謝しかないし、すすんで多少のサービスもしたくなる。
それらを経たわたしは今、ケチなんだろうか。
…たぶんケチなんだろうな。
師匠をはじめ仲間をみていると、「うわー、わたしはそんなふうに考えられない」とよく思うから。(そして自分が恥ずかしくなる)
ケチなわたしには仕事って難しい。
でも、必要な葛藤なんだろうと思う。
なんとなくでしかないが、発想がガラッと転換するようなできごとが、近いうち自分の身に訪れる予感がしている。
それまではもがこう。向き合おう、ケチな自分と。
そんな本音をさらけ出した晩である。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが誰にもさらけだせない本音はなんですか?