春にして君を離れる、読書運とシンクロニシティの正体(上)
物凄くツイてるとか持ってるだとか、
そんなおめでたさは年々減っていくのだけれど
(リアリティという黒帯9段と肥大した未熟な自我という白帯初段の手合わせは前者に圧倒的な分があるのは火を見るより明らかで)
でもこと読書という分野に関しては
わたしはかなり恵まれているようだし、そう思い込んでいる。
必要な時に必然性を持って、出会うべくして出会っていた、ような気がする。
しかも!自分からガツガツ探しに行ってないんですよ?!笑
まるで、「こっちは当分彼とかいいかな~って思ってたんだけど、あっちがどうしてもって〜」と女友達にマウンティングの一つも取ってみようかしらと思うレベルのモテ状態。
今をときめく三浦崇宏が、R25でモテること(女好き)について
2パータンあると言っていたけど、私は完全後者!この分野では。
1つは「セックスが好きな男」。これは女の子を流行の店に連れていくとか、テクニカルな技を駆使してヤろうとする。これに対して「女という存在が好きな男」は、セックスが目的じゃなくて、女の子の相談に乗ったり、女子会とかでも楽しそうに話を聞いたりするのが好きな人。
こっちがめちゃくちゃモテる。
思い起こせば一番最初の記憶、
カフカの〈変身〉を読んだ次の日に毎日新聞で大々的にカフカの書評が載っていて
「どうして私が好きで読んでたらこのタイミングで?」
と思ったことを始まりに。(そして当時ネット環境はございません!)
大学受験で通っていた塾の講師が、ダウナー必須なので
村上春樹の、特に〈ノルウェイの森〉は受験後に読むようにと自身の体験談から急にアドバイスされ(田舎の高校生なので現代作家とかあまり知らなかったんですね…)
その翌日の全国模試的な現国の試験で〈風の歌を聴け〉が引用されていて
春樹との衝撃の出会いを果たしたり。
恋愛の、くだらなくでも本人的には真剣なゴタゴタ中に平野啓一朗の〈マチネの終わりに〉が発売され、現実で解決しなくても物語に救われることが本当にあるんだと生まれて初めて実践的に理解したり。
その平野啓一朗は、自分でお金を出して買った初めてハードカバーだったりするし〈日食〉。
読んでいた本や漫画が読了のタイミングで賞を取ったり映画化されたりってこともままあった。
とにかく、その時々、そのタイミングで興味を持ったことが人生の次の展開に関わるというか、大げさに言えば「あのタイミングで読んでいなかったらどうなっていたんだろう」と思えるような出会い。
そしてその本を起点にして、世界が引き寄せられるような感覚になる。
単純になんてうれしいんだろう。
自分の”好き”が媒介となり世界と関わりができる。
人生は信じるに足るという、それは約束に思えた。
web検索をかけたりサイトを踏むと関連情報たちにリタゲされるあの感じ。
現実世界で全世界が自分をリタゲしてくるのだ笑
このような感じを「シンクロニシティ」というのだと成長の過程で知ることになる。
シンクロニシティ。そう、幸福な偶然。
どうしてこういうことが起こるのか、その方程式をついに私は発見するに至るのである!
それは、好奇心を起点にした強い集中力が生み出す磁力、なのだと。
山岸凉子先生の伝説的漫画〈日出処の天子〉で(名作!)
ストーリー上トリカブトを出したいけど、その古語がわからない。
(もちろんネットなどさらに全くない時代)
情報は本に頼るしかなく、本屋の書棚で古代の植物名をまとめた本を一発で見つけたというエピソードを対談で話していて、
対談相手の氷室冴子先生が「いくら探してもわたしは見つけられなかった!」と驚いていたのを読んだことがあり。
そう、
感情をゆすぶる〝好き〝を発動させたり、興味関心に深く入り込むことで
今まで通り過ぎていくだけだった情報や見逃してきたありとあらゆる事象が急に意味を帯び、そこにあることに気づく。
文字は、まるでマーカーを引いたように目に飛び込んでくる。
山岸凉子先生が、トリカブトの古語を作品で使いたいという気持ちが
今までは通り過ぎるだけだった書棚からそのタイトルを見つけ出すように。
強い集中力で引き寄せる、一見偶然にも見える、でも理屈の通った現象。
これをラッキーだと享受できる能天気さ。人生との素敵な約束。
これがシンクロニシティの正体なのだ。
そして今、強烈にシンクロニシティされている(←こんな言葉あります?)
本があって。
それはアガサ・クリスティの〈春にして君を離れ〉なのだ。
(下)に続く。