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中学生の私の頭の中で何が起こったか、心理言語学的に振り返る

最初の気づき

日本語と中国語のバイリンガルだった私は、英語の授業にまるでついていけないことにショックを受けていました。
中学2年の3学期には英検2級をパスすることになるのですが、最初はaとtheの使い分けや三人称単数のsなどさえ、まるで正しく運用できなかった(※1)のです。

そんなわけで追試の常連だった私ですが、ある日転機が訪れます。

学校の授業が疑問詞に入ったころ、ルールの多さに中学生だった私は相変わらず絶望していました。
あまりにも感覚がつかめず、例文を1~2時間ほど呆然と眺めていたところ、ふとある違和感が頭をよぎりました。

例文:"How old is he?"
私 :「あれ?なんでいきなりhowが頭にきてるんだろう?」

その違和感はすぐに別の感覚に変化しました。

私:「誰が、を示されずにいきなりHowって言われると疑問を感じるな…」

この感覚には覚えがありました。
言葉を口に出す直前、一瞬だけ頭をよぎる「意味を持ったかたまり」です。

私:「そうか!英語は『誰が』、『何をしたか』を中心に考えるんだ!」
私:「これが崩れた時違和感になって、それが疑問や命令になるんだ!」

※言語化されていない、主観的な感覚を無理やり言葉で表現しています。
これが正しいと言いたいのではなく、あくまで自分の中の感覚を表現したものです。

家でテレビ番組を日本語から中国語へ同時通訳することがよくあったのですが、その時は必ずこのかたまりを媒介にしていました
後で知ったことですが、この「言葉になる前の意味のかたまり」は、心理言語学の分野では「Preverbal Message」としてよく知られているものでした。

この「意味を持ったかたまり」を探ることを始めてから、段々と読解や作文ができるようになってきました。

構造解析から統語処理へ

今にして思えば、この時に起こった変化は極めて本質的でした。

人間の意味認識や文産出の過程の多くは脳が無意識化で処理しています。
私が知る限り、この過程を最も直感的に表したのはLeveltによるモデル(※1)です。
元の図は難しいので、ポイントだけ抽出して和訳したものを作りました。

※原典にあたりたい方はこちら(https://www.mpi.nl/world/materials/publications/levelt/Levelt_The_Ability_to_speak_1995.pdf

このモデルは脳の外傷による言語機能障害の症例などから推測された、脳が実際にもつであろう機能をベースにしています。
そのため、これは実際の脳機能と我々の感覚を結びつける重要な手がかりになります。

このモデルによると、脳は言葉になる前の「言いたいこと」をもとに単語を持ってきて文章にし、「心の声」として私たちの意識に聴かせます。

そして私たちの意識はこうして聴いた「心の声」と「言いたいこと」があっているかを比較し、合っていれば口に出します。

さて、ここで大事なことは私たちの脳が行う言語処理が受け取るのは、あくまで言葉になる前の「言いたいこと」である点です。
つまり、文法事項などの言葉による規則の説明を一歩超えて、「そもそも言いたいことは何か?」まで理解を進めてはじめて、我々の脳は文産出の処理をしてくれるようになるのです。

偶然にもこの感覚にたどり着いた私は幸運でした。
それまでは意識の力で頑張って文を解析しようとしていたのが、脳の言語処理過程を使えるようになったのです。


2度目の気づき

2度目の気づきのきっかけになる試練は、最初の気づき以降とんとん拍子に成績が伸び、天狗になっていたころにやってきました。

私の通っていた中学には、帰国子女向けの英語のクラスがありました。
そして、英検2級に受かれば帰国子女でなくてもそのクラスに入ることになっていました。
英検2級に受かった私は意気揚々とそのクラスに乗り込むのですが、そこで行われていたのはTOEICの長文の速読でした。

毎度の音読には「As fast as you can」というルールがあり、舌を噛みそうになりながら読むと"Too slow. Faster."と言われて最初から。
授業はすべて英語で、それも帰国子女ペースで話すものだからまるで分らない。目の前の文の意味を考えると先生の説明を聞き逃す。

そんなこんなでスタートした帰国子女クラスでしたが、中学生の脳の適応力はすごいもので数か月する頃には何となく話にはついていけるようになりました。

その「とにかく早いスピードについてく」という過程では無駄な処理、特に「日本語化」のプロセスが除外されていったように感じます。

無駄な処理の省略

何が無駄な処理なのかを考えるため、人の単語の認識プロセスを見ていきましょう。
単語の認識プロセスは人の言語処理過程の中では比較的単純なのでこういう議論に便利です。
詳しくはこちらの記事をご参照ください。

話が長くなるので本記事では詳しい説明は省きますが、まずネイティブが母語の単語を認識したときはこのような反応が起こります。

次に、外国語を勉強するときにありがちな状況を同じフォーマットで描くとこうなります。
(アメリカ人が日本語を勉強している場合の図)

このように、間に母語がかむ分、脳のリソースが余分に奪われたり、反応が遅れたり、場合によっては意味を取り違えたりします。

当時の私の場合は、Preverbal Message(上図の「概念」に相当する)と英単語の紐づけがある程度できていたので、上の図よりは幾分ましな状態でした。

しかし、英語を英語のまま処理しながら、同時に日本語も思い浮かぶような状態が続いていたのです。

後半は明らかに不要な処理です。
スピードに追われる環境の中で、この不要分がそぎ落とされたのは大きな前進でした。


直近の気づき

もはや「中学生の私」ではないのですが、話せるようになったのが最近なのですこし手短に紹介します。

実は上2つの気づきから就職するまで、大きな変化はありませんでした。
順当にテストのスコアは伸び、大学入学時にTOEIC840点、そして就職時に940点を取得し、またまた私は天狗になっていました。

これがへし折れたのは、就職後でした。
初年度に海外現地採用のメンバーが日本に来る研修会があり、その懇親会の席で言いたいことがほとんど言えなかったのです。

実はその前に英語を話す人が多いキリスト教の教会に通ったりもしていたのですが、会話に参加できるだけでうれしくなっていたのか自分がほとんど話せないことを認識していなかったのです。

そこからは、アウトプットが足りないんだと当たり前の仮説を立て対策を練りました。
アウトプットを増やすにしても、実際に言いたいことが言えるようにならなければ意味がありません。
話せそうなトピックを設定し、無理なく話せる範囲話すロールプレイ的な練習をしても効果が薄いと考えました。
そこで、自分の日常のアウトプットをすべて英語にするようにしました。
具体的な施策は次のようなものです。

・考え事をするときは必ず手帳に英語で書く
・毎日テーマを決め、一人でそれについて即興で語る
・英語で映画を見ながら英語で突っ込みを入れる

英会話教室に通わなかったのは、あくまで無理なく反応速度を上げたかったからです。
私の場合、相手がいる会話ではどうしても早く言葉を繋げないとと思って焦ってしまいます。
そうなると難しい表現がいつまでたっても口から出てくるようにならないと考え、とにかくいろんな表現を使って自分が思っていることをアウトプットするようにしました。

1年くらい続けた後に英語の会議に出席したところ、今度はスムーズに話せるようになっていました。


使うことによる効率化?

正直、最後のプロセスについては最も直近の出来事でありながら、自分自身何が起こったのかよくわかっていません。

おそらく、前述したような本質的な変化は起きていないと考えています。
というのも、これまで私が話せなかったのは単純に適切な表現が出てこないことによるものでした。
聞けばわかるが言えないというのは、正しい意味の目録とその運用法はすでに持っている状態と考えることができます。
そう考えると、あとは文産出過程がそれにアクセスするすべを持っているかが問題になります。

ここは単純に慣れがものを言います。

もう一つ、大量の主張を英語で吐き出したことにより、自分にとって使いやすい表現が固まってきたり、口癖のようなものもできてきました。
つまりよく使う表現が増えたことで、その組み合わせで表現できるロジックが増えたのではないかと思います。

まとめ

以上を総合すると、やはり英語が使えるようになるのに必要な前提条件は、
・Preverbal Messageレベルの意味と単語の紐づけができていること
・日本語を介さない英語運用ができること
の2つではないかと思います。

サンプル数は1ですが、広く受け入れられている文産出理論と突き合わせても矛盾はなさそうであり、上記の想定は一定の妥当性があるものと考えます。

英語を話せるようになった日本人は多くいますし、その体験談や勉強法を紹介している方も多いのですが、私にはどうも彼らが本当に学んだことの本質は勉強法にはないという気がしていました。

その部分をあまり理論的にその理由を論じたものがみあたらなかったので、今回自分の体験を分析してみました。

ここからPreverbal Messageを意識するためのワークや、適切なPreverbal Messageの探り当て方などの方法論が組み立てられたら面白そうですので、次はそのあたりの議論にトライしたいと考えています。

ちょっとまとまりのないサマリーになってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました!

(※1) このころ、英語がわかるためにはまず英語の言語感覚を感じ取れないといけないが、そのためのとっかかりがないことが一番のボトルネックでした。教科書にある文法の説明に頼るしかないのですが、文法というルール集をいくら頑張って咀嚼してみても、英語の言語感覚に1ミリも近づけた気がせず、途方に暮れていました。


(※2)Leveltは聞いたことがなくても、ソシュールは聞いたことがある方が多いと思います。実はこのモデルにおいて、心的辞書は本来Lexicon、Lemma、Formsの3つに分けられるのですが、これらは詳しく見ていくとソシュールのいうところのシニフィエとシニフィアンを拡張したものに当たります。だから何だという話ですが、一般によく知られている話からそこまで外れた議論でもないですよ、ということがお伝えしたかったです。

2022/2/14 タイトル修正しました。認知科学と心理言語学がごっちゃになっていました……



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