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ぐんぐん伸びる凸と、隠れていく凹

おいかけっこや、ボール遊びなど、外で走り回ることが大好きで、毎日身体をたくさん動かして楽しんでいる子がいました。
乳児ではなく、幼児さんです。

ある時、他学年が園庭を使うので、走り回ることが一時的に出来なくなり、
『ちょっと、先生と砂場で遊ぼうか』と誘ってみました。

『うん♬』と、砂場に来た彼は、スコップを砂の上で左右に振り始め、友だちが作る山を、笑顔で壊し始めました。 ゚ ゚ ( Д  )

彼は、一緒に遊んでいるつもりでした。彼は、スコップの使い方が分からなかったのです。スコップの使い方を見せながら、口頭で伝えても伝わらず、後ろから手を添えて教え、『分かった!』と覚えても、手首がうまく動かず、全く砂をすくえないのです。

かろうじてすくった砂は、後ろに飛んでいき、友だちが頭から砂を被ってしまいました。

それでも、彼は初めて山が出来たとき、とても満足そうな、嬉しそうな顔をしました。

身体を大きく動かして遊ぶのが好きだったのは、事実ですが、それ以外の遊び方を知らない、経験不足なのも事実で、その時まで、気付けなかったのです。


気になって、いろんな遊びに少しずつ誘ってみました。知らない世界を知っていくこと、出来ることが少しずつ増えていくことが自信となり、身体を動かす遊びだけではなく、いろんなものに、挑戦しようとする姿が出てきました。


粘土遊びに誘うと、粘土ベラで、粘土を切ることに、挑戦してみたいと、自らやり方を尋ねてくれました。

『このヘラを使って、上からぐっと押すと、チョキンできるよ♬』

と、やって見せると、キラキラした目で真似してみる姿。

すると、粘土の下にあった、自分の指に気付かず、なかなか切れないので、更にヘラでグッと押さえつけてしまい、怪我をしてしまいました。


注意して見ていくと、他にも色々な場面で、彼の困難さが見られました。

彼は、実は身体がうまくコントロールできないことや、力加減の難しさが背景に隠れていました。

それが、経験不足から来ているのか、それとも、先天的なものから来ているのかは、専門外なので分かりません。

ただ、身体を動かして遊ぶことが大好きな元気な子に見えても、実は彼は、早期支援が必要だったのです。


ほかにも、すごく主体的に遊んで見えている裏側で、違う遊びや、集団活動をしてみた時に、いろんな困難さを見つけることが、多々あります。

むしろ、困難さが隠れていないか、見つける為にやっている所もあります。



私がそうするのは、
自分の経験が大きく影響しているのです。


我が子は、園に通っているときには、大好きなことがたくさんあり、特に園でトラブルや困り事もなく、友だちにも恵まれ、親から見て、ポジティブすぎないか?(笑)というくらい、とにかく自信に満ち溢れていました。

小学校へ入学すると、その自信は一気になくなっていきました。

多くの子どもが小学校のルールに順応していく中で、いま思えば、我が子も必死で順応しようとしていたのでしょう。

いまなら分かります。学校で頑張りすぎていたのでしょう。帰宅したときには、ヘロヘロだったんだと思います。

でも、当時の私は凸に隠れていた、凹に気づけなかったのです。


やれば、5分で終わる宿題に、帰宅後やりたくないと毎日1時間以上も泣き続ける我が子を見て、あーうるさい。と、親もパニックになりました。


勉強が出来なかったわけでも、
いじめられたわけでも、
友だちがいなかったわけでもありません。


でも、数年かけて学校へ行くことが嫌になり、
自分でも、回りの大人も、何故行けないのか誰も分からず、
『みんなが出来ることが、僕には出来ない』と、ひたすら劣等感だけが増え続けていきました。


人一倍好きなものに囲まれていた子は、
波を繰り返しながら、最後は

好きなものが、なくなりました。

やりたいことも、なくなりました。


いままで主体的にイキイキとしていた子が、
みんなと同じことが出来ないと、挫折の連続に直面したときの、不安や恐怖、絶望感
親として子どもに何が起こっているのか分からない、もどかしさ…不安や焦り…後悔…いろんな感情を、私は知っています。



主体的な姿の裏に隠れていた、彼の困り感を、私は見つけられていなかったのです。
親の関わりかたも、悪化させた要因の大きな1つだったとが分かるのは、いまだからです。

それから、我が子の困り感をどうにか理解したくて、私はストイックに、発達の勉強をしました。



いま彼は、いろんなことを、時間をかけて乗り越え、再び『大好き』に囲まれて、彼のスピードで生活をしています(*´ー`*)


私は、主体性の裏に隠れてしまいがちな、凹を園で早期発見出来るように、園で知識を使うようになりました。


保護者に、発達を促す関わりかたや子どもの姿の理解の仕方を提示できるように、伝え方を考えました


その一部がこれです↓↓


保育の現場では『主体的』がテーマによく掲げられます。
主体的な保育は、本当に素晴らしいです。
こどもがイキイキと生活していきます。

その中で、『集団活動』や、『保育者が遊びを提案すること』は、主体的な保育を考える上で、しばしば議論となったりします。


良いとか、悪いとか、問題提起がしたいのではありません。


ただ、私見ですが、
関わる大人が正しい知識を持たないと、偏りやすかったり、見落としやすいものも、生まれやすいのではないかと、私は、思うのです。







その他、私のいろんな保育観の話はこちらです↓↓ コアな内容ではありますが、良かったら、読んでくださいね ↓↓


『読んだよ~』と、
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