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聴覚障害のある演者が、『手話狂言』を披露し、障害の有無関係なく、誰もが笑顔へ!

こんにちは、翼祈(たすき)です。
この記事のテーマは、『手話狂言』です。まず、『手話狂言』について説明したいと思います。

『手話狂言』とは、日本ろう者劇団が和泉流狂言師の三宅右近師の指導で、昔から継承された狂言特有の所作、室町時代から江戸時代までの古い狂言の台詞、演技をそのまま継承し、手話表現の研究を重ね、古典芸能にふさわしい狂言を作ることを努めた芸術です。

間の取り方や手話の声と台詞のタイミングにも工夫を重ね、手話の豊かな表現力と古典芸能の強靭さを併せ持つ、『手話狂言』が産声をあげました。

台詞を声や手話で表情豊かに表現し、聴覚障害があっても無くても、一緒に楽しむことができます。

そんな『手話狂言』ですが、2024年3月に、聴覚障害を抱えている、「日本ろう者劇団」の演者が務めた演目が、行われました。

2024年3月20日、「ろうや手話文化への理解を深め、多様性が尊重される社会の在り方を考えたい」との催しが東京港区の赤坂区民センターで開催され、ろう者などで構成された「日本ろう者劇団」が、伝統芸能の狂言を『手話狂言』で上演しました。

手話による狂言は、演者が台詞を手話で表現しながら舞台上を動き回り、それに合わせて狂言師が声を発する演目となっていて、手話が分かる人も分からない人も一緒に楽しめる演劇として、「日本ろう者劇団」が40年以上に渡り国内外で上演を続けています。

今回は、「日本ろう者劇団」が上演した、『手話狂言』について、お届けしたいと思います。

「日本ろう者劇団」が上演した『手話狂言』の当日の様子


都人権啓発センターが主催した演目「六地蔵」は、新築した地蔵堂に6つの地蔵を安置するため、東京都に仏師を探しに来た田舎者を、詐欺師がだまそうとする内容で、演者がアドリブを入れると、およそ400人の観客からは何度も大きな笑いが沸き起こっていました。

また、『手話狂言』を始め、その芸術を高く広めた、ろう者芸術の第一人者で、2023年に70歳で亡くなった米内山明宏さんのインタビュー動画も流され、女優の黒柳徹子さんから、『手話狂言』を提案された思い出などが、司会者が紹介しました。

参考:ろう者の劇団が手話で狂言 “手話やろう文化への理解を” 東京 NHK NEWS  WEB(2024年)

学校で手話を勉強中だという6歳の女の子は、「耳が聞こえなくても狂言とか様々なことができるんだなと感じました。学校で手話をもっと学びたいです」と語りました。

また、6歳の女の子の50代のお父さんは、「聞こえる人と聞こえない人が一緒に楽しめるところがとても素晴らしい演目だと思います。それをもっと広く受け継いでいって、誰もが楽しめる環境になればといいと思います」と述べました。

赤坂区民センターの専門員の男性は、「聴覚障害がある人も無い人も同じ空間で、狂言を楽しみ、会場全体が『手話狂言』の理解を深める機会になりました」と語りました。

演目「六地蔵」の主演を務めた「日本ろう者劇団」代表の江副悟史さんは、「2023年亡くなった前代表の米内山明宏さんが残してくれた『手話狂言』を、後進の私も含め、全員で伝承していけたらと思っています。狂言の面白さと、手話が入ることでさらに演目が面白くなることを感じて頂けると嬉しく感じます」と手話で喜びを述べていました。

私と狂言

私の中で狂言と言えば、狂言自体は観たことがありませんが、やはり野村萬斎さんの存在が大きいです。

萬斎さんのことを初めて知ったのは、朝ドラ[あぐり]で主人公の夫役を演じた時からでした。小さかったので内容はよく覚えていませんが、とてもユニークな性格で、好きな役柄を演じていたなと、子どもながらに思っていました。

学校か何かだったでしょうか?学校で、狂言の演目をビデオで観ました。その時に、萬斎さんが演じていましたが、美しい所作や台詞回し、演技力の高さに圧倒され、釘付けで、その演目を夢中になって観ました。

今でも狂言の第一線で活躍されながら、ドラマや映画でも主演、助演でも演技が光る役をされていて、大人になってからも、萬斎さんの演技力の幅の広さに、毎回驚かされています。

この記事のテーマの『手話狂言』は初めて知りましたが、狂言自体観たことなくても、十分に楽しめる内容になっていると思います。

自分が知らなかっただけで、障害当事者の劇団は、沢山あるんだと思いました。今後も、素敵な演目を、お客様へ届けて欲しいですね。

参考サイト


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