たぐちあい

どうでもいいことを思い出しながら、エッセイを書いています。|会社員+広報・ライター|全然乗り気じゃなかったけど、夫の祖父母の家を継ぐことになり、東京から地方へ移住。

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    とにかく読んでよかった本のこと、綴っています。

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星野源さんのおかげで音読の宿題を乗り切ることができた、小1とその母の話

長男が小学校に入学し、3ヶ月。家族全員で壁にぶつかっている。 何に対してものんびりで、人と比較せず、でも変なところ完璧主義で、いろんな意味でマイペースな長男。それは長男の良いところであり、同時に私たち親の悩みの種でもある。 それがとことん発揮されたのが「宿題」だ。 そもそも長男はひらがなを覚えずに入学した。 保育園のときから、うんこドリルでひらがなの勉強をすることもあったが、変なところにこだわる完璧主義が発動し、少しでも線が曲がったり、思い通りに書けないと「もうやだー

    • 5歳児に峯田和伸イズムが注入される瞬間を見た

      音楽でも文学でも美術でも、心にブッ刺さる瞬間が、人間にはある。 すぐに言葉にはならないけど、身体中が感じる「あ、これ……!」って思うやつ。 私もたくさんそういう経験をしてきたけれど、他の人がその経験をする瞬間ってあまりみたことがない。 でも先日、友達の子供(5歳)がその瞬間を迎え瞬間を見た。 しかもそれは、またも峯田和伸に起因する。 私がこの春書いた『私のなかに、小さい峯田和伸がずっとずっといるって話』というnote。このnoteはなぜか知人や夫の友達からの反響がた

      • コミュ力が高くて優しいママ友を見てると落ち込むけど、私は私でいいか。

        母親になって6年以上経つが、私にはママ友も言える友達がほとんどいない。 ママ友とカウントしていいとすれば、おそらく2人だろう。 以前、保育園で近所に住んでいる同級生を、緊急連絡先で書いてくださいって手紙が毎年来ていていた。例えば金曜日に休んだときに、布団や上履きなど、週末持って帰るものを預ける相手を書くなのだが、これが本当に嫌で。 数少ないママ友は、ちょっと住むエリアが違うから同じ地域内で探さないといけない。でもそこまで仲良いママはいない。どうしよう思っていたら、ちょっ

        • 木枯らしのビル街の彼を「からだに気をつけてね」って心配するより、私は家の落ち葉をどうするかの方が心配だ

          1975年に発売された太田裕美さんの『木綿のハンカチーフ』。 もう発売して49年だそう。びっくり…確かに親の世代の曲ではあったが、それにしても半世紀過ぎているのか。 作詞 松本隆、作曲 筒美京平という、太田裕美のゴールデン期を支えた最強タッグのこの曲。 私は太田裕美さんの曲が大好きだ。透明感があって天に抜けるような声はもちろん素敵なのだけれど、やっぱりこの2人が作り上げた世界観に惹かれる。 『木綿なハンカチーフ』は、遠距離になった男女の手紙でのやりとりを歌ったナンバー

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          4本

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          過去に「好きなもの」を否定されたことをいまだに根に持っているけど、やっぱり星野源さんが好きだ

          「あ〜なんだろう、すっきり〜〜〜!」 これは、先日わたしが星野源さんの新刊『いのちの車窓から2』を読み終えたときに、一番に思ったこと。 星野源さんは、愛情深くて、とても繊細で、そしてほんとうに一生懸命生きている。その姿を文字に乗せて、見せてくれたように思う。 とりとめのない日常に目を向けているのは、『そして生活はつづく」から変わっていないのだけれど、『いのちの車窓から2』ではより生きる強さを、周りの人への愛を深く深く感じるエッセイばかりだった。(そして、本当に文章がお上

          過去に「好きなもの」を否定されたことをいまだに根に持っているけど、やっぱり星野源さんが好きだ

          元彼に言われた「キラキラは、君らしくない」。今はネイルがキラキラで毎日幸せだ

          今年の目標のひとつ「ジェルネイルをする」を1月からずっと継続できていて、気づけば10ヶ月たった。 最初は「シンプルに……」なんてお願いしていたのに、10ヶ月経った今、「もっとキラキラのやつないですか?!」得意気味にネイリストさんにお願いしている私がいる。 ようは、テンション上がるんです!!自分の爪がキラキラしていると。 そこで思い出したのがもう15年くらい前に付き合っていた人に言われたこと。 私は元々、洋服でもバッグでも、シンプルなものを選びがちだ。そういうタイプの人

          元彼に言われた「キラキラは、君らしくない」。今はネイルがキラキラで毎日幸せだ

          移住先は「ふるさと」にはならないけど、ずっと暮らしていく覚悟はできてるよ

          2024年10月。私が東京から地方に移住して丸6年が経つ。 私はそれまで「地方に暮らしたい」と思ったことは一度もなかったし、移住も、夫が祖父母の家を継ぐことが決まっていたから来たけれど、元々、田舎暮らしに憧れを持ったことは一度もなかった。 だから地元に人には申し訳ないけど、何かその地に魅力を感じて来たわけでなく、「連れてこられた感」を常に持っている。 そもそも、東京で生まれ育った私は、東京の暮らしが好きだった。 5年近く暮らした品川では、私は商店街沿いに住んでいて、行

          移住先は「ふるさと」にはならないけど、ずっと暮らしていく覚悟はできてるよ

          あ、あ、あなた様が、あのnoteを書いた方ですか…⁈という感動を初めて味わった日

          こんな出会い方をする日が来るなんて。 先月、名古屋でおこなわれた、みずのけいすけさん主催の「書けるようになるnote勉強会」に参加した。 私は、昨年からみずのさんにパーソナル編集者として伴走してもらっているが、オフラインで会ったことはなく、ほかのパーソナル編集者の利用者とお話したこともなかった。 なので、みずのさん本人に会えるのはもちろん、他の参加者とお話しするのもとても楽しみだった。 当日。やっぱり楽しかった。 みずのさんの勉強会はスクールやコミュニティで何度も参

          あ、あ、あなた様が、あのnoteを書いた方ですか…⁈という感動を初めて味わった日

          アメリカ留学で知った「暮らす場所を自分で決めた」という強さ

          生まれも育ちも東京の私だが、今は岐阜県の片田舎に住んでいる。 夫の祖父母の家を継ぐためにこの地に来た。なにか家族の形を大きく変えるような問題が起きない限りは、ずっとここに暮らすことになる。 夫と結婚するなら近い将来的にここに移住する。そうわかっていて、自分で結婚を選んだ。住む町を自分で選んだわけではないけど、新しい場所での暮らし自体を自分で選んだことになる。 思えば、これまで住む場所については、ちゃんと自分で選んできた気がする。 自分の「住む場所」の決断が大きく人生を

          アメリカ留学で知った「暮らす場所を自分で決めた」という強さ

          時代と国を超えて、ふたりのおじいちゃんの心を繋げることになった話

          「ヒロシマとナガサキには、今、草木は生えているか?」 21世紀にそんなことを聞いてくる人が本当にいるのか、と私は驚愕した。でも彼は真剣だった。 15年前のこと。 長崎出身の被爆者の祖父を持つ、22歳大学生のわたし。アメリカ軍の一員として戦争に出征していた92歳のおじいちゃん。 この2人が出会った。この出会いは、私の4年間のアメリカ留学でもっとも忘れられない経験のひとつになった。 19歳で単身アメリカの大学に入学した私は、当時大学4年生で、博物館でフルタイムインターン

          時代と国を超えて、ふたりのおじいちゃんの心を繋げることになった話

          時を経て、祖母の想いを受け取った話

          この春、長男が小学校に入学した。迎えた入学式。 入学式の主役はもちろん子供だ。それは100も承知なのだが、この話においては私を主人公にさせて欲しい。 子供がいるからこそ、子供が小学生になったからこそ、感謝しないといけないことがある。それは、入学式で祖母が30年以上前に準備していた着物を着れたこと。 私が「ばあば」と呼ぶ、母方の祖母は私が小学1年生のときにガンで亡くなった。あれから30年も経つのに、入学式は祖母の存在を痛いほど感じる1日となった。 ・・・ 私はおばあち

          時を経て、祖母の想いを受け取った話

          想像のはるか上をいく大相撲のグッズ

          もう、いろんなところでいろんな人に何回も言ってるのだけど、大相撲グッズの開発チームの方と話してみたい!!! 一体どうしてこんなにオタクの気持ちがわかるんだ。 そして一度たりとも裏切らない。 改めてそう思わされたのは、最近オンラインで掲載されたこちらの商品。 その名も『なりきりフェイスパック』。 まさに、フェイスパックに力士の顔が印刷されていて、パックとして使える…と。 目や鼻や口元に切り込みが入っているので、一体顔につけたらどんなことになるのやら…いい意味でカオスし

          想像のはるか上をいく大相撲のグッズ

          ムカデを駆除できた自分に拍手!移住6年で強くなったよ、わたし

          今日の夕方のこと。トイレに入ると、違和感を感じた。「自分以外の何かがいる」と瞬時に感じた。 振り返ってみるとやっぱりいた。ムカデさん。 私が一番苦手とする虫だ。そもそも都会育ちの私には、自分の家にムカデが出るとか、そこらへんに普通にムカデがいるとか、ありえないのだ。そんな経験をしたことがない。 見た目、動き、そして刺されたらめちゃくちゃ痛くて腫れるという攻撃性、全てにおいて無理。考えただけでゾワゾワする。あぁぁぁぁ、何回考えても無理なものは無理だ!!!! 初めて自宅で

          ムカデを駆除できた自分に拍手!移住6年で強くなったよ、わたし

          noteの下書きがたまるだけ素晴らしい。だって私には書きたいことがあるんだもの!

          書きたいと思うことはたくさんあるのに、なかなか書き上げられない。 この悩み、この半年くらいずっと抱えていた。 息をするようにnoteを書いている人を見ると、「すごいなぁ」「いいなぁ」って思っていた。 ライター仲間で「下書きがない。アップしちゃう」って言っている方がいて、なんてかっこいいんだろうかと思う。自分の下書きは溜まっていくのに一向に書き上がらない。 なんでだ! でも実際、あんまりに仕事や子供のことが忙しいと、毎日に余白がなくて書こうと思っても書けないこともある

          noteの下書きがたまるだけ素晴らしい。だって私には書きたいことがあるんだもの!

          30代で体感したカルチャーショックはある意味パンチが効いていた

          30代に入ってから受けるカルチャーショックは、20代のそれより明らかにパンチが効いている気がする。 30歳のとき、夫の祖父母の家を継ぐのことが目的の移住をした。離婚しない限り半永久的な選択だ。 引っ越して5年半経ち、今は楽しんで暮らしているのだけど、やっぱり初めは大小さまざまなカルチャーショックがあった。 カルチャーショックと言うと、ネガティブな印象を持つかもしれないが、今回紹介するのはどれも「なんで⁈」って思ったものばかりなので、笑い話として気軽に読んでほしい。 ①

          30代で体感したカルチャーショックはある意味パンチが効いていた

          私のなかに、小さい峯田和伸がずっとずっといるって話

          私はこう見えて、中学1年から大学4年までバンドでベースを弾いていたバリバリの元バンドマンだ。 練習はそんなに好きじゃなかったけれど、とにかく重低音ですべてを包み込み、こっそりバンドを支えているような、リズムとメロディのあいだで静かに揺れ動いているような、ベースという存在が大好きだった。 いまだに自分の性格はベースにぴったりだったと思うほど。 大学卒業後からほとんど音楽はやらずに来た。子供も生まれてさらに楽器が遠くなったきがする。 でも30代後半になり、最近私は気づいて

          私のなかに、小さい峯田和伸がずっとずっといるって話