木枯らしのビル街の彼を「からだに気をつけてね」って心配するより、私は家の落ち葉をどうするかの方が心配だ
1975年に発売された太田裕美さんの『木綿のハンカチーフ』。
もう発売して49年だそう。びっくり…確かに親の世代の曲ではあったが、それにしても半世紀過ぎているのか。
作詞 松本隆、作曲 筒美京平という、太田裕美のゴールデン期を支えた最強タッグのこの曲。
私は太田裕美さんの曲が大好きだ。透明感があって天に抜けるような声はもちろん素敵なのだけれど、やっぱりこの2人が作り上げた世界観に惹かれる。
『木綿なハンカチーフ』は、遠距離になった男女の手紙でのやりとりを歌ったナンバー。最後は別れちゃう、って分かってても、無垢100%って感じのあの声で歌われると、いつ聴いても、グッときてしまう。
都会に出て行った恋人と田舎に残った女性。
今の時代なら、LINEで終わるやりとりを手紙でしているんだよなぁ。すごいなぁ。しかも、どんどん彼の気持ちが離れていくのを感じながら、それでも彼を想う彼女。
掛け合いが進む中で「ん?この男、都会に出て、ちょっと勘違いしちゃってないか…」って雰囲気をどんどん醸し出していくけど、彼女はまったくぶれていない。無垢で真っ直ぐ。
結局、彼は「帰れない」と言い放つのだけど、明るいメロディに乗せられるその言葉に、余計に彼女の一途さを感じずにはいられない。
・・・
私は今朝、歌詞のこの部分を思い出しながら、木枯らしってもっと情緒あるものだと思っていたのにと、木枯らしの現実のシビアさを目の当たりにした。
先日、ものすごい強風だった。
いつもの道を車で運転していても、風で煽られて車が揺れ、ハンドルをちゃんと握っていないと吹っ飛びそうと感じるくらい。
でっかい木の枝の塊が道に落ちていて、「これが木を枯らすような強風か…」と納得した。
この日、近所で行われていたイベント会場では、朝からテントが倒れたらしい。準備していた友人はもう心が折れたと言っていた。
「それはたいへんだねぇ」と思っていた私だけど、その翌日、私の心も折れた。
だって、すごかったんだもん。枯葉が。
見てくれ、強風2日後の我が家の家の前を。
強風の翌日。この現実を目の当たりにしたにもかかわらず、見なかったことにしてスルーし、掃き掃除を怠った。
でも流石にその翌日である今朝、このままだとご近所に怒られる(もしくは呆れられる)と反省し、この現実を直視することにした。
玄関前から敷地の出口まで、落ち葉。しかも松葉。とにかく松葉。
側溝を埋め尽くす松葉。
てぬぐいによくある松葉の柄って、たくさん並んでて可愛いのに、現物はこんなにたくさんあったら、もう絶叫しそう。
しかも、写真はほんの一部で、もっと広範囲に広がっている。
掃いても、掃いても、松葉。
いつも朝息子を見送って簡単に家の前をほうきで掃き、すぐに自分の準備に取り掛かるのだが、今日は流石にすぐには終わらない。
シャッシャッシャッ
朝の町にわたしのほうきの音が響く。
そもそも、家にデカめの松葉生えてるのやめてほしい。植えたのは私が夫に出会う前に亡くなっている夫のおじいちゃんだから、文句も言えない。いや、ご健在だとしたら余計に文句言えないよね。無理無理。
木枯らしってようは、強風だよなぁ。なんだか切ないイメージがあるけど、現実はこれだ。落ち葉だ。
太田裕美さんの歌う「木枯らしのビル街」には、私のように文句を言いながら落ち葉を掃除している人がいるのだろうか。いてほしい。
美しくて切ないイメージが湧く木枯らしは、我が家にとってはいたって普通の、誰かが片付けなければならない落ち葉である。
※気象予報などの世界では、おそらくちゃんと「木枯らし」の定義があるの思うのですが、秋に吹いたとても強い強風と歌詞のイメージから「木枯らし」という言葉を使っています。