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ポエッセイ「即興詩人 AI UEOKAによる、萩尾望都『トーマの心臓』感想 」ネタバレ注意

鏡の前で
鍵を踏む

鏡の中踊る君の影を

眠る時にしか会えないのに
ずっと眠っていたかったのに

起こしたのはなぜ?



今回、読者さん読後前提の感想文を書いた『トーマの心臓』は、一言で言うなら『愛情ばばぬき』のようなものだと思った。

各キャラが手札を切っていく。
自分のカードは自分でしかつくれない。その上で、誰かのカードが誰かのカードに影響を与え、結果それが響きあって変化していく。

そして、強く優しく美しい『ジョーカー』が出し切られ……

全トランプの絵柄=漫画のコマとなる。



以下、昨日インスタに即興朗読=音声入力していったものです。多少思いつきの表現等を修正しつつ、推敲もそこそこにここに掲載してあります。

いつか誰かと『トーマの心臓』読書感想会をやるための、情報整理メモ、位の感じで読んでいただけたら嬉しいです。

それではどうぞ


どんな形であれ、愛情の扱い方を他人に命じられることや、他人の愛情の扱い方を自分のためにコントロールしようとすること、その違和感や嫌悪について考えさせられる物語でもあるなと思いました。

他人に、感謝や憐れみ、祈りや許しを仮に求められたとして、それを自ら捧げたいときに捧げたい様に捧げる自由が、あるのか?ないのか?

その「暴力」と「癒し」の違いについての物語でもあるなと、自分的には思いました。

見返りのない、それが無償なら『愛』。

有償であるなら、それは多分……。


たとえば、よく思うのだけど、『憐み』には、「憐み」独特の「香り」があるような気がしていて……。

アルコールの香りのような、独特の「憐憫臭」、のような。

その「匂い」に拒否反応を示しつづけたのが、主人公・ユーリなのかなと。

では何故ユーリは、その「香り」に拒否を示してしまうのか? 

自分をゆるせないいくつかの『秘密』を、とある瞬間抱えてしまったから。

と、要約するとそうなる訳ですが……逆に言えば、ユーリのかっこいいところはそこで、

「安易に自分をゆるさないところ」

とも取れる。で、なぜ、ユーリが自分をゆるせなかった、かと言ったら、

「トーマを愛していたから」=「ある瞬間、『自分はトーマに愛されるべき人間ではない』とそう思ってしまったから」

「トーマを愛していることをひたかくしにしてきたから」=「ある瞬間、『それ』を自身の弱さ故に行ってしまったことが、そのきっかけでもあるから」

そしてその「トーマが事故に見せかけて橋から飛び降り」、「その翌日、遺書としてのラブレターが届いてしまったから」=「その時はまだユーリには、トーマの真意がわからなかったから」であり、

片やユーリに恋するトーマは、ずっとユーリを見つめ続けた期間でのユーリの変化、特に、自殺する前の半年間、トーマはユーリが『屍』の状態であることに気付き、何か心に影を背負ってしまったことを悟り、そしてそれに対し、とてもストレートに純粋に、

「誰も愛していないの?」
「でもそれで生きていけるの?」

萩尾望都『トーマの心臓』小学館文庫より
一部引用

と、茶番劇に乗じて伝えてみたり

ひたすらに、基本無言の眼差しで訴え続け、結果

「これは単純なカケなぞじゃない
 それから ぼくが彼を愛したことが問題なのじゃない
 彼がぼくを愛さねばならないのだ」

萩尾望都『トーマの心臓』小学館文庫より
一部引用


と、それを成し遂げるために「周囲には事故にみせかけつつ」橋から飛び降りる。その秘密は、遺書を読んだユーリと、同室のオスカーにか明かされずに……。

そこがオープニングになるので、最初、読者は何が何だかよくわからない。

で、読み終わってみて、「多分トーマは、誰に対してもそうするのだろうから、『トーマには女神が棲んでいる』とみんなから愛されていたのだろう」ということが判明。

その『女神』の輝きは、トーマの自殺後、影写しのようにユーリの前に転校してきたエーリクも同様に全開タイプで。。

そのエーリクが自分に素直であることで、さらにユーリを無自覚に追い詰めてしまうのですが……。

「ぼくはトーマじゃない!」

トーマ同様、エーリクも、自身の中で当たり前に、自然に愛が湧くからこその、長所と短所があり、それも込みで周りにゆるされちゃうような、なんかとんでもない純粋さ・美しさがある上で、

トーマには、

「ぼくは成熟しただけの子供だ」

萩尾望都『トーマの心臓』小学館文庫より 一部引用

という、理知的な自己評価もある。

「だから この少年の時としての愛が 
 性(さが)もなく正体もわからないなにか透明なもの向って 
 投げだされるのだということも知っている」

萩尾望都『トーマの心臓』小学館文庫より

と、自ら考察した上で、

「今 彼は死んでいるも同然だ
 そして彼を生かすために
 ぼくはぼくのからだが打ちくずれるのなんか なんとも思わない」

萩尾望都『トーマの心臓』小学館文庫より

と、それを行った。
その上で、

「人は二度死ぬという
 まずは自己の死
 そしてのち
 友人に忘れ去られることの死」

萩尾望都『トーマの心臓』小学館文庫より

と、さらに心に綴り、詩に書き写し、それを内緒でユーリが管理する図書室の本の一冊に挟む。奇しくもその本、それ自体が、ユーリの心に翳を宿したきっかでもあるのだけど。だからこそ、そこに、それがはさまれることの必然こそが、トーマの愛なのだと感じられるような。。

そんな透明さによって、トーマは天使のように、いたるところからユーリを見守るかのように、ユーリの心の中に棲み、逆にそれがユーリを苦しめ、それがエーリクを『死神』として投影させていることに悩ませるが……

いたるところからユーリを見守るかのように、ユーリの心の中に棲んでいるトーマ。

「人は二度死ぬという
 まずは自己の死
 そしてのち
 友人に忘れ去られることの死
 それなら永遠に
 ぼくには二度目の死はないのだ
 (彼は死んでもぼくを忘れまい)
 そうして
 ぼくはずっと生きている
 彼の目の上に」

萩尾望都『トーマの心臓』小学館文庫より

逆にそれがユーリを苦しめ、果てにそれがエーリクを『死神』として投影させていることにエーリク自身が悩み、エーリクが、ユーリの秘密に辿り着く以前に、ユーリの『フー』=『正体』=ユーリの中の女神性に気付かされることで、エーリクはユーリを愛し、結果それがさらにユーリを追いこみ、ユーリは自身にすでに「翼がない」ことをエーリクに告白。

それを受けたエーリクは、

「天国へいたる翼?……のこと?」
「……僕の翼じゃダメ?」

萩尾望都『トーマの心臓』小学館文庫より

と、そう告白、それを受けてはじめてユーリは、すべてをすでにトーマに(同時にエーリクにも)ゆるされていたことを知る。

つまり、どんなことがあなたに訪れていようとも、あなたがどんなことを選んでいようとも、ぼくの愛は不変です、とそう証明するために、トーマは、ユーリが空を見上げて歩き出せるようそれを行い、ユーリが持つユーリの『フー・正体』は、誰にも傷つけることのできない永遠のもので、それはユーリにしかないかけがえのない翼であり、その羽根が自分にはずっと見えているから大丈夫だよ、

と、そう伝えるかのように、生きた軌跡を遺したトーマの人生、トーマの生き様、遺されたものたちのなかに生きるトーマ、それがどのように映し出されるのか? なんて、トーマは多分、考えなかったのではないか?

「これは単純なカケなぞじゃない」

トーマが賭けたのは自分にじゃない。

自分が生きて生まれてきた「ここにある想い」と、それを今、受け取る必要性のあるユーリに賭けたのではないか?

ユーリがみなに愛されるには理由があった。
本当にいい奴だったからだ。
でも、とある理由でユーリはユーリ自身の中にある愛を裏切り続けることを決めた。

それでも、ユーリはユーリだった。
冷たい態度を取ろうが、残酷を演じようが、どうしてもユーリはユーリ意外の誰かにはなれなかった。そのユーリの『フー・正体』に気付いていたからこそ、ユーリを愛したのがトーマであり、のちにそれに気付いたエーリクであり、そもそもユーリの人の良さ知り尽くしていたオスカーやバッカス、周りの親衛隊や後輩・教授たちであっただけに……。

終盤、オスカーの実の父である校長が倒れる。

オスカーやエーリク、ユーリたちも度々話す、

『ジョーカー』

最後の手札。

心の奥の奥に、どんなカードを持っているのか? つまり、その人の『フー・正体』に直結したその『ジョーカー』と『ジョーカーの切り方』こそが、その人の『フー・正体』をある意味表わす、とも言えるわけですが……。

ユーリに「自分が校長の実の息子であること」をカミングアウトしていたオスカーは、校長が心臓の病で倒れ意識不明の重体であるその際、「実は自分はあなたの息子であることを知っています」と、それをすでに知っていたことを告げられぬままに居て……。

そのオスカーに寄り添うためにやってきたユーリに、オスカーはその手札をカミングアウトする。校長が存在しなけばまた、自分も存在していなかったこと。自分の心をどこまで掘り起こしても、校長の『フー・正体』を否定する言葉が見つからないこと。情がつのるばりであること。その上で、

「もし彼が 
 死んでしまうなら 
 意識のなくなるまえに
 どうしてもいってやりたいことがあるんだ

 ーー愛してる!

 って
 大声で耳のそばでわめいてやる」

萩尾望都『トーマの心臓』小学館文庫より

誰にもそんなそぶりをみせたことがないことをユーリがオスカーに問うと、オスカーは、

「そうだよ
 ぼくのカード
 ぼくのジョーカー
 ぼくの望んだことは
 気づいてくれることだったんだ
 きみでも
 彼(校長)でも

 ぼくが愛してるってことに」

萩尾望都『トーマの心臓』小学館文庫より

祈るように待つ。それはゆるしを超えた信念の世界なのかもしれないなと、そう思いました。

その信念で、世界を眺めてきたオスカーが、愛する父やユーリのために、自ら無償で選び取る我慢や忍耐。それゆえに、オスカー自身、毒抜きとしての校則ギリギリもしくは逸脱前提の自由奔放さがあり、実の父である校長に、「愛していること」をカミングアウトしないと決めていた理由として、自身の素行の悪さをユーリに口にする。

それら一連を経て、『トーマの心臓』の神髄は、この『フー・ジョーカーゲーム』なのかもしれない、と今に想う次第です。

誰かが誰かを心底愛す。

それゆえに、自分で自分の『ジョーカー』を決め、自分で自分の『ジョーカー』を磨き、育てていく。

愛が深まるほど、『ジョーカー』の絵柄もその強さも質も変わっていく。それは秘密の宝箱に隠した宝石のようでもあるけれど、それを隠すも、隠さないも、そもそも自由。

『ジョーカー』

それ自体を翅のようにまとい生活することもできるし、『ジョーカー』そのものを、悪魔のように武器や兵器として悪用することだってできる。この物語に登場する、いわゆる悪人のシンボルのような人物は、「それが人間の本質なのだからそれを行いことが正義である」とさえ述べ、実際、その「強さ」に惹かれ、ユーリは闇に落ちるきっかけとなる門を、図らずも自らくぐってしまった。

それをオスカーは、

「忘れてしまえ」

とだけ、心の中で叫びつづけた。

オスカーの好きなとこは、この退学した奴(奴ら)と、基本関わりを持たず、最初から眼中に入れてないこと。そういう倫理観に対する肌感覚がいいなぁ。。と。

その上で小説版『トーマの心臓』作・#森博嗣 はこのオスカーの一人称で綴られていて。オスカーの言葉でその世界を再び体験できるとは思ってもみなかったので、そこに驚きつつ、さらに作品への理解は深まりました。

育ての父と旅行していた関係で入学が送れ一年留年している状態での編入となったオスカー。そんなオスカーが唯一話せるなと一目置いているのが『バッカス』先輩。

「『トーマの心臓』で一番好きなキャラを決めなくちゃならない場合、誰を一位にする?」

という無理難題を自分にあえて課してみたとするなら、

「トーマ!、と言いたいけど、ユーリ? う~~ん、ではなく、オスカー!かなぁ。。と思いつつも。。う~~~~~~~~ん、バッカス?」

みたいな位置にいる穏やかなキレモノさん。なによりバッカスパイセンの好きなとこは、そのてもとの『ジョーカー』を出すタイミング。

学校全体を見渡して、「それって愛なさすぎじゃね?」「みんなのためにそりゃないんじゃないの?」「そこまで無理したらダメっしょ!」というラインで『ジョーカー』を切ろうとする。

つまりは『心配』=心配りがバッカスの見えない技!
その上で、バッカス個人は、そのナイフで普段から全体の風紀の乱れをばっさばっさ切ることで逆に早急に整えちゃう良心のヒト・オスカーが大好き。

ユーリの問題に入り込み過ぎて自分が見えなくなっているオスカーに、
「そんなことあんたがいうとは!」
と凄まれようが、
「この上なくオレらしいよ。オレが心配してるのはね、お前のことだよオスカー」
と堂々と構えるこの姿勢。この落着き。

萩尾望都『トーマの心臓』小学館文庫より

そんな風に、誰かが誰かの『フー・正体』を見抜いてて、そこに惚れこんで回り込んで内緒で間も合ってたり、エーリクやアンテのように、ガンガン表に出したりと、それぞれそこにキャラ分け、キャラ設定がなされていて。ああ、リアルだなぁ……と思いつつ。

やはり何より好きなのは、盗難を疑われた(普段から手癖の悪い)レドヴィを「アウトローが好きなんだ!」って理由でアンテがかばってみせたり。そこに罪の意識を感じつつ生きているレドヴィの癒しが、図書館の本の一冊に隠された、トーマの描いたユーリの詩だったり。

当時「性格のいい人間になりたいと考えていた」らしい、作者・萩尾望都さんの、「人間を肯定しよう」とする部分と、「これはさすがに違うんではない?」の切り分けの巧さが、このキャラ配置によってクリアに描かれているようにも見えました。

一度読んだ時は、

「おおおお!すごい話だった」

で、一旦ひといきつけたんだけど……。

「いや、待てよ。多分ちゃんと理解できてないな」

と、二回目を読み、

「おおお!こことここがこうつながっていたのか!」

と、伏線がさらに見え、

三週目、

「ええええ!!全部メタファーでつながってる完璧な作品じゃないですか!!」

と『トーマの心臓』のそれこそ『フー・正体』に辿り着いた気に成り、

四周・五週目、それぞれのキャラクターのセリフももう頭の中に入って来てる頃に、

「なるほど!だからこのとき、この言葉を選ぶのか!」

と、考察はさらに解像度を上げ、

六週目

「『トーマ』って一体、どんなこだったんだろう?」

って、想像しはじめたころにはすでに、自分のまわりの『トーマ』くん・『トーマ』ちゃん・『トーマ』さんに気付かされている自分に気付き、

「うわ~~~これ今劇場アニメで上映したらそれこそ世界的にヒットしてもおかしくない名作になりそうなのに……」

を、安易にアニメ化させてこなかった漫画家の方々、僕の好きないくえみ綾もそういえばサブスクにないなぁ……『よつばと』もサブスクにないし……など考えつつ


「萩尾望都さんに会ってみたい……

 うち、つまりポエレーベルから、
 
 詩集『トーマの心臓』出したい……」……

とか思いつつ……

七週目。

インフルも最高潮のその最中、

「『純粋な想い』かぁ……」

とか思いつつ、うなされたり、葛藤したりしながら

八週目

「『禊』、心の傷や汚れが洗い流されるという体験は、自給自足できない。『禊スイッチ』を押せるのは自分だけだけど、『禊スイッチ』は自分ひとりではつくれない」

ということを、まざまざと思い知らされ、九週目を経て、

「あ、氣が晴れたかも」

と、春が来たかのような気持ちの芽?
もしくは小さな種を感じ、昨夜いくつか詩を整理して今。

現実は漫画のように美しくもなく、とも言える世界もあるし、現実が漫画よりも輝く瞬間だってたくさんある。それは各個人の人生とその経験や今そこにある感覚によりけりケースバイケース。

個人のなかでも変り続けたり、そもそも定義したりするものでもないのでしょけど……。

物理法則が違い過ぎる前提があるので、そもそも比べようがない、ということもあるでしょうし。

その上で、

『過去』

それを『物語』として眺めたとき

そこにどんな言葉や解釈を与えていくのか?

そこに

ここにある「今」

「今の自分性」のようなものは如実に出るな、とは思います。

「過去と他人は変えられない」なら、戦争など含め『暴力』はそもそも人は選ばないんじゃ?と、今はシビアに、あらゆる面からそのものごとを考察しますし。

その上で、

「過去なら他人も過去も自由に変え得る」ことの、内的自己成長の可能性のようなものも、またここ数年、考えさせられる問題としてここにあったり。

なにともあれ、最近想うのは、

「物語を創るのが楽しい」

そして、できることなら

「完璧な物語を創りたい」。

で、自分のいう

「完璧なもの物語」とは?

「物語が終わってみればわかる完璧さ」、でいい。

であり、じゃ、「物語が終わってみればわかる完璧さ」とは何か?

と言ったらやはり、

「予想していなかった形でその物語が想像以上のものとなること」

で。

では、その「想像以上」とは何か?

と言ったら、

#究極の情報 でもある

「思い掛けない情報との出会い」。

つまり、

「未知のハッピーエンドに出逢うこと」

それに尽きるかと思います。

自分の手持ち、

いつくかまだ未完の小説や詩集。

それは僕に「『フー・正体』を見抜かれることを待ってくれている」。

いくつかの作品を、納得のいく形で仕上げてみて、ようやくわかりかけてきた、自分の求める『完成』や『完璧』

今だからわかる、この感覚。

ま、とにかく焦らずいきます。

まわりに、安心して頼ることのできるひとたちがいるんです。

だから安心して見守っていてください。

きっとどうにかなります。

というか、なるようになります。

その上で毎日

自分の頭で考えながら自分のカラダに聴きつつ、生きています。

それをまわりのみんなに素直に伝えれば、また周りのみんなも奏で返してくれる。

そして僕も奏で

繰り返し

繰り返し


あ、

今朝書いた詩をここに。




「トーマ」


永い夢だった

でも

覚めた今

ここにある風は『屍』じゃない

「青空よりも澄んでいる」なんて思わない空

九年の夢

正夢のように

思い出浮かぶ

今がここに

流れ過ぎた風が廻るように私を支える

「私は常に幸せだった」

その言葉は

変わらずずっと

私の空で








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ポエレーベル/即興詩人 AI UEOKA
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