人生何もしなくていい 2023年6月【4】
がむしゃらに働けない
時代物に出てくる男性は、よく「男として生まれたからには、何か大きな仕事をしたい」というようなことを言います。女性もまた、良妻賢母を求める周囲に反発して「男性と同じように社会で活躍したい」と言います。
これを書いている私は37歳の男性。もう5年以上無職です。それ以前もパートタイムが精一杯。「がむしゃらに働く」なんてことができません。
似たタイプの人の中には、社会で活躍できない自分が嫌で、バリバリ働きたいと願う人も多いです。
でも私はそうではありません。社会で活躍したい系の人を見ると「そんなに力むことはないのに」と思います。
不登校になって焦る日々
私は高校時代に不登校になりました。もう20年も前のことになりますね。集団生活になじめなくなったのです。図書館にこもって本を読む日々を過ごしました。
スマホのない時代です。また我が家にはパソコンもありませんでした。私はインターネットにつながっていないひきこもりでした。
通信制高校に週1で通っていましたが、淡々と授業を受けるだけです。10代後半の2年半、友人は皆無で、話し相手は家族しかいませんでした。
血気盛んな年頃ですから「何かしなければ」と焦っていました。でもできませんでした。ひたすら悔しい気持ちをノートに書き綴り、本の中に友を求めて読み漁る日々でした。
老荘思想が心の支え
そんな日々の心の支えになったのが、老荘思想です。古代中国の思想家、老子と荘子の教えです。人間は何もしなくていい。むしろ何もしないほうがいい。そういう内容です。
この思想によると、世界は既に完成しています。それを人間が引っかき回してしまう。人間が何もしない状態が100。人間が何かするたびに、世界は欠けていくのです。
「上善は水の如し」というのが老子の教えです。水のように生きるのが最善であるということです。空から降った雨は、山をくだり、大海原に流れていきます。自然に逆らわずに生きれば、急流を経て、最後は大きくて穏やかな海にたどりつくのです。
強い風と闘ってはいけません。大きくてかたい木は、強風が吹くと折れます。一番強いのは柳のようなしなやかな木です。風を受け流していれば折れることはありません。
自然に従い、何もしないから、生き残ることができる。これが老荘の教えです。
世の中を眺めるのが楽しい
何もしないなんて退屈でしょうか。私はそう思いません。たとえば、人を眺める。これが結構楽しいものです。
電車などは、座っているだけで人がひっきりなしに入れ替わります。私は女性を見るのが好きです。もちろん失礼のないよう、不快感を持たれぬよう、チラッと見るだけです。近頃は中高年の方々にも魅力を感じるようになったので、ほとんどの女性が見ていて楽しい対象になりました。
公共交通機関では、近くに誰が来るかわかりません。運がよければ素敵な人が隣に座ります。もちろん大柄の人が来て窮屈になったり、体臭の強い人が来てつらくなることもあります。そのあたりに一喜一憂するのも楽しいです。
中性的な男性もいいですね。ファッションを参考にします。見ていて楽しいのは断然女性なのですが、自分が男性の骨格を持っている以上、男性から目を逸してはいけない。そんなことを考えたりします。
不快に感じる男性を見かけたら、なぜそう思うのか考えるのもいいですね。服が好みではない、眉毛が整っていない、姿勢が悪い……。いろいろと思いつくと思います。そして自分がそうならないように気をつけます。
こうして書いてみると「人を眺める」という行為は、能動的ですね。でも一般には「電車に座って何もせずに過ごしている人」と評されるでしょう。
世の中は、眺めているだけでも結構楽しいものです。
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