「チュニジアより愛をこめて」 第7話
ところが、私ときたら、基本的に宗教というものに興味、関心のない人種だった。「あなたの宗教は?」と聞かれれば一応日本人として「仏教」と答えるが、その実仏教に関してはほぼ何の知識も信条も持ち合わせていない、というのが正直なところだった。
後に彼がチャットの中で書いたように、「お前に話をするのは、壁に向かって話しているようなものだった」というのも、当然のことだったろう。私は私で、彼がなぜ普通の恋人同士のような愛の語らいをせず、一貫して “神とは” 、 “人生とは” 、とか、 “男とは” 、 “女とは” 、とか、説教のような話ばかりするのか理解できずに狼狽していたのだから。
――とは言うものの、純粋な好奇心として、私はすっかりイスラム教に興味を持てしまっていた。正確には、 “イスラム教に” というよりは、ムスリムのものの考え方や生活様式などに、ということだが。それまで知らなかったことに出会い、知りたいと思うと、とことん調べたくなってしまう。彼との生活を解消して日本に帰った後も、私は本を読んだりインターネットで調べたりして、イスラム教についての知識を得ようとした。三巻に渡るコーランの邦訳版を買い求めさえした。
私は、その当時手に入れられるだけのイスラムに関する書籍を買い求めた。それは、「イスラムとは」といった宗教解説本から、アラブ世界の歴史、いわゆる中東情勢に至るまで、多岐に渡るものであった。その間、イスラム教を知ろうとすれば必ず関連して出てくるユダヤ教にも、私は出会うことになった。それらは呼び方は違えど全く同じ “唯一の神” を崇拝し、言わば兄弟のような間柄の宗教だった。先ほどイスラム教とキリスト教について、同じ地盤に咲いた別種の花のようなものだと言ったけれど、イスラム教とユダヤ教の関係は、 “宿り木” のようなもののように思われる。それもあまり上手くいっていない関係性の宿り木である。お互いに相手の母体に食い込みながら、憎しみを注ぎ合っているといったような……。
ユダヤ教というものがあるのは知っていたけれど、それはユダヤ人というひとつの民族が崇拝している独立した宗教形態のことに過ぎないと漠然と思っていた私は、この二つの繋がりについて全く知らなかった。例えば、私の読んだ日本語訳のコーランでは、しょっちゅう “ユダヤ人達を見返してやれ” とか、 “ユダヤ人達に言ってやれと” とかいう文言が出てくる。コーランというのは神の言葉を写したものであるはずだが、まるで神が自ら喧嘩をふっかけているような印象を持ってしまう。一方、ユダヤ教の方はユダヤ教の方で、聖典である “旧約聖書” の始まりの部分、 “創世記” の中で、「人類の始祖とも言うべきアブラハムは長い間正式な妻との間に子供ができず、妻の召使いであった女に子供を産ませることになった。その後、妻との間に男の子を授かるが、先に生まれていた男の子とその母親は素行が悪かったので追放され、神のお慈悲により、その男の子はアラブ民族の始祖となることになった」という記述を残し、イスラム教徒の圧倒的多数を占めるアラブ民族を無言の内に見下している。知識を得始めて、その始まりから諍いの匂いがした。……アラブ世界の歴史、いわゆる中東情勢、西洋諸国も絡めて現代のそれは、ひと言で言って “混迷” としか言いようのないものだった。知れば知るほど、独学で学べば学ぶほど、この世界がいかに錯綜してもつれ合ってしまっているかということを、私は思い知らされた。
ところが、ものごとには表があれば裏があるもので、世界の東の端に住む我々が国際ニュースの表面を見ているだけではまず知ることのない、逆説的な裏の顔がイスラム世界にはあった。改めて考えてみれば、ごく標準的な日本人である私の知る世界――アメリカ・ヨーロッパを始めとする白人社会、すぐ隣の韓国・中国から東南アジアやインドに広がるアジア世界、後は中東とアフリカと南アメリカがある――は、ごく単純なイメージでの区分けに過ぎない。その大雑把な区分の隙間を緻密にくぐって、世界各国に存在するイスラム教徒の数を数えていくと、その数に驚嘆する。――二〇一〇年の統計によるイスラム教徒の数は十六億人、キリスト教徒の数に次いで二位である。
――つまり、今まで私の意識していなかった、巨大なイスラム文化圏が存在するのだ。
イスラム教、つまり “この世の全てをお作りになった唯一の神に帰依する教え” は、イスラム教徒の生活に直結している。彼らコーランに従う善男善女は、朝は夜明け前に起き、夜の明ける間にお祈りをする。その祈りは特別な唱句と動作を伴って一日に五回、夜明けの後は正午前と午後、日の暮れる時間、そして夜に行われる。それだけでも結構な軛のように思われるが、彼らは日々の仕事や雑事をこなしながら、当たり前のように易々とこれを行っている。その上、一年に一度、彼らは徹底した断食を行う。断食月と呼ばれるその一ヶ月間は、日中、つまり太陽が昇ってから沈むまでの間は、食事はおろか水も摂らない。そしてそれは、 “貧しくて食べられない人の気持ちを知る為” だという。イスラム教徒のするべき行いのひとつに “喜捨” というものがある。それは、ある一定の期間(一年なら一年)に、自分が働いて得た利益の一部を、恵まれない人に見返りを求めずに与えることである。なるほど食べ物を食べられない辛さや苦しみを、断食によって身をもって知っていれば、貧しい人に施す時も、進んで与えようという気になるだろう。これは凄い考え方だと私は思った。イスラム教徒には、五行という行わなければならない行為があって、それらは信仰告白、一日五回の礼拝、断食、喜捨、巡礼ということになっている。五つ目の巡礼はハッジと呼ばれ、一生に一度は、サウジアラビアにあるメッカに 赴いて、規定通りの祈りの儀式を行って来なければならない。有名なあの黒い箱のように見える建物、カーバ神殿の周りを回る、人々の群れの波のような様子はその一連の儀式のクライマックスであり、中国で彼らが回教徒と呼ばれるようになった所以である。
この五行について考える時、私の心をよぎるのは、憧憬にも似た感心だった。なぜなら、私が今まで育ってきた文化・環境による基準からすると、これらの行為は修行僧や修道士など宗教に帰依することを誓った特別な人々が行うものである。ところが、イスラム教の場合は、そのような立場の人は存在せず、一般社会の人達が皆、当たり前のように生活に密接して宗教に帰依しているのだ。イスラム法など特別な勉強をして高い知識と教養を身につけたイマームと呼ばれる宗教指導者も、神の下では等しく帰依する者として、一般社会から切り離されることなく市井の人として暮らすそうだ。人生の中で起こる出来事は、いいことも悪いことも、全て神様の御恵みであり、御意志……。人に何か手助けをしてもらったとする、例えば急な雨降りで親切な人が車に乗せて送ってくれることになった、そんな時、ムスリムは助手席でこう呟く、「神様、ありがとう」。そして運転席のムスリムも、自分の施した親切は、神の御意志そのものだと当たり前の顔をしている。
女性が身に纏うベールの美しさと神秘性も、私の関心のひとつだった。砂塵吹き荒れる砂漠地帯の民族の暮らしでは、髪や目や鼻に入り込む砂を防ぐ為に伝統的にベールを着用してきた。突き刺さるような日射しから肌を守る役目も果たすそれは、実用的な意味合いから始まったものかもしれないが、イスラム以降は、女性の着用において別の意味を付与されるようになった。誤解されがちなことだが、イスラムの基本的な理念としては、女性は価値のある存在で、大切に守るべきであると考える。力仕事などは勿論のこと、外出など女性の行動に制限を設けている代わりに、対外的なことに関しては、男達はせっせと彼女達の世話を焼く。母親や妻に頼まれれば、例えば一丁先の食品店に牛乳を買いに行くといったような些末な用事でも、彼らはすぐにこなしてくれる。妻が食事の支度をしている間は、喜んで子供の面倒を見る。……西洋世界のフィルターを通して見るイスラム教徒の社会とは違う暮らしが、そこにはある。女性のベールとヒジャブ着用の真意も、おそらくは私達が抱いているイメージとは別のところにある。それは伝統、旧来の価値観の押しつけ、もしくはただの民族衣装の一形態に過ぎない、という風に、私は漠然と考えていた。けれどもそれの意味するところは、歴史や伝統だけに限られず、もっと奥ゆきの深いものだった。モントリオールで彼が話していたように、イスラム教徒の女性がヒジャブを被るのは、 “神に近づく為” 。夫にそうするように言われたからとか、両親の躾によってなどではなく、彼女達は自分の “意志” で髪を隠しているのだ。ここに法や教義によって抑えつけられているわけではない、彼女達の積極的な生き方を見ることができる。ベールを被っている彼女達の姿を、抑圧されている女性の象徴と決めつけてしまうのは、やや短絡的過ぎるのかもしれないと私は思った。――そして、髪や体の線を隠すということは、夫以外の男性に、いたずらに欲望を抱かせないようにするという抑止効果を持っている。これは、浮気問題を発端とする夫婦間の不和を防ぐのに、強力な効果を発揮するのは間違いない。……また、女性自身の視点からも、ベールはある別の力を持っている。あるエジプトの大学に留学した日本人の女子学生が体験したことだというが、ある時彼女は、ベールを着用するというのはどんな気分がするものだろうかと好奇心を抱いて、エジプト人の友人に借りて着てみたという。そしてその姿で大学に行ったら、何とも言えない心地良さに気づいたそうだ。ベールを纏っていると、男子学生達にジロジロ見られなくて済む。その安心感と気安さを実感した時、日頃どれだけ自分の体が男子学生達の欲望を含んだ無遠慮な視線に晒されていたかということがわかった、と彼女は言っていた。ベールやヒジャブは、抑圧の象徴というイメージを持つ傍ら、男性の視線からの防御という側面も持っているのである。
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