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下北沢とカレーとライブハウス

体調不良で行くかどうか迷いに迷った末、3か月ぶりにライブハウスへ行って自信が付いた話。好きなカレー屋にも行けて満足。



🔹冬のライブハウス面倒くさい問題

ライブが好きだが、昨年夏頃から自律神経の不調で積極的に行きたいと思える状態ではなくなった。

体力はあるので物理的に行くことは可能だが、終わった後に頭が膨張し、動悸が激しく、不快感が数日続く。日常生活に影響するのがしんどくて躊躇する。

自律神経としては、なるべく平穏でいてほしいのだ。上がったら下げるのがお仕事。
自律神経に詳しい整体の先生いわく、「エンタメは自律神経に影響大」と。そりゃそうだ。

今年に入り、ちょっとだけ状態が回復して来たので、下北沢のライブハウスで開催される2マンのイベントに行ってみようかなと実験的な気持ちになった。チケットは昨年のうちに入手している。

しかし、「冬のライブハウス面倒くさい問題」が余計に腰を重くする。邪魔なコートをコインロッカーに預けなければならない。
ライブハウスにコインロッカーやクロークがあれば問題ないが、会場の「下北沢CLUB Que」にはない。

駅のロッカーは十分ではないので当てにしたくない。以前は駅付近に常設のコインロッカーがあったが、街の開発と共にいつの間にか無くなってしまった。
コインロッカーの需要がある街なので、カラオケ屋でクロークを受け付けることもあるようだが、ネット情報は定かではない。
空いている公演ならコートを持ち込んでも良いが、完売公演なのでそういうわけにいかない。

さらに腰を重くする理由として、「精神的にストレスな熱狂マニアおばさんと鉢合わせたくない問題」「転換中の時間を持て余す問題」もある。元気な時なら大したことないが、弱っている私にはそこそこ負担だ。

行ってしまえばライブは楽しいことは経験値でわかっているが、残念ながら今の私は及び腰である。ライブの1週間前から「チケットもったいないし」「でもやっぱしんどい」という問答が繰り返された。

じゃあ下北沢に是が非でも行きたい理由を見つけてみよう。
そうだ、カレーを食べよう。好きなカレー屋があるのだ。私は食い意地が張っているので大きな理由になる。

「美味しいカレーを食べに行く」
「乗り気でなければ目当てのバンド(アクトが先)だけ見て帰る」
「コートは会社からライブハウスまでの乗り換え駅のロッカー(常に空いてる)に預ける」

これらで自分と折り合いをつけ、当日を迎えた。

「転換中の時間を持て余す問題」に加え、スタンディングのライブハウスでは「開場から開演までの時間を持て余す問題」もある。とりわけ完売公演は窮屈な状態を長時間強いられるため。

整理番号は悪くはなかったが、開演ギリギリに行くことにした。視界は悪いだろうが、音を浴びることが目的なので。

平日なので会社から向かう。ドアツードアで約40分。乗り換えの千代田線・霞ヶ関駅(定期圏内)で、改札の外に出てコインロッカーにコートを預ける。ここのロッカーはいつでも空いている。
霞ヶ関駅から地上に出ず、小田急線直結で下北沢駅に行けるので、寒くなく気楽だ。

方向音痴なのでコインロッカーの場所がわからなくならないよう写真を撮ってしまう

開演が18:45なので、18:30過ぎぐらいにライブハウス着が目標。開演待ちの列に並ぶのも嫌なので、列が無くなった頃合いが良い。
並び中、熱狂マニアおばさんが視界に入る可能性を潰すためでもある。

おばさんはもともと知り合いだったが、演者(今日見るバンドとは別)のストーキングをして得た情報を仲間内でキャッキャッと共有していたので気味悪く思い、距離を取るようにしたところ、現場ですれ違いざまに「ゲッ!!!」と発声されたことがある。なんか、ゴリラみてぇだなぁとぼんやり思った。

「プライバシーの侵害」と言う法律がある。加害者意識を放棄し、気に食わない外野につばを吐く。なぜ幼稚な世界に生きているのか不思議でならないが、執着は人を狂わせるのかもしれない。そういった人々の抱える闇は、ある意味興味深いとも思う。

ファンの母数が増えるほど様々な人種が存在するわけだが、熱狂的なマニアほど良い金づるではあるので(言い方)、人気商売は大変だなぁ。

思ったより早く着いてしまったので、ライブハウス近くの「TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢」で時間を潰す。数年前にできたのは通りがかりで知っていたが、入店するのは初めてだ。本屋は見ているだけで楽しい。

高校が小田急線の経堂駅だったので、下北沢には学生時代によくお世話になった。30年以上前だよ。20代の頃は下北沢のライブハウスによく通った。

中年になってからは、理由がないと足を運ばなくなった。開発が進みすっかり様変わりしてとまどうこともあるが、変わらず好きと思える街だ。
コロナで全国的にライブハウスの存続が問題になったが、下北沢CLUB Queはずっと今もあるのが本当に尊い。

🔹3か月ぶりのライブハウス

多次元制御機構よだか meet スロウカーヴ

狙い通り、並びがない状態でライブハウス入りした。完売だが、前方にふんわりした隙間がある。始まったらギュッと詰まるパターンだ。

前回ライブハウスに来たのは約3か月前、同じくここ下北沢CLUB Queだったが、その時は完売公演ではなかったからゆったりで快適だったな。

目当てのバンドは、ファンになってからまだ2年も経っていない。若い頃から長らく好きなバンドはたくさんあるが、新たに好きになりライブハウスへ行きたいと思うバンドができたことを嬉しく新鮮に思っている。

同世代のバンド達は大きくなったので、小さなライブハウスで演奏することがめったにない。あったとしてもチケットの倍率が高い。転売ヤーに憤りを否めないことも数え切れない。
小さなライブハウスで、気軽に好きなバンドを見るという喜びを、再び体験させてもらっている。

先月のチケットも持っていたが、気持ちがせめぎ合った結果、諦めた。だから余計に今日来れて良かった。

お馴染みの登場SEが流れ、気持ちと身体が上がる。少し前まではヘドバンとかしちゃうと頭がクラクラするような状態だったけど、今日は身体が軽い。
いつでも帰って良しと言う選択肢を持ったことで、余力を残さねばと言うプレッシャーが消えたのも良かったと思う。

盛り上がり必須の3曲目、ギター&ボーカル氏の間奏ソロの音が気持ち良く、「うわああああ今日来れて良かったああああああ」という気持ちで満たされた。よく知る至福感だが、久しぶりに味わった。

私よりだいぶ年下のギタボ氏。音楽のかっこ良さに年齢とか関係ないよなぁ。藤井風とかVaundyとか20代なのが信じられんしな。もちろん大御所にしか出せない熟練もあるけれども。

2025年1発目のライブと言っていたが、気合いや前のめりな感じも心地良かった。

氏がギターを置いてヌンチャクを振り回す定番のエンタメに今日も盛り上がる。カンフー風味の曲。ステージが低いので、ヌンチャクだけが宙を舞っているように見えるシーンがあって愉快だった。

楽器を弾く手元も見えたら見えたで楽しいが、音に埋もれて、演者の息遣いを感じられるのがライブハウスの魅力でもある。埋もれる心地良さ。

少し前に、別のバンドのホール公演へ行った。私はそのホールがあまり好きではなかった。バンドのライブを見るには大き過ぎるからだ。
しかし、体調のせいでスタンディングのライブに不安がある今、ホール(椅子あり)なら大丈夫かもしれない、と妥協したのだった。

わかってはいたが、ホールで見るロックバンドの「コレジャナイ感」を強く再確認した。
ホールは8,000人収容で、今日は280人だ。スクリーン越しに演者の全身を眺めるより、視界が悪くても息遣いを感じる方が性に合っている。
ホールならではの演出や音の響きの素晴らしさもあることは理解するが。

新曲が披露された。ギタボ氏が「ハイウェイ・ラピスラズリ」と高らかにタイトルコールした。

「ハイウェイ」という名曲を連想させるワード。ハイウェイ・スター(Deep Purple)とかハイウェイ(くるり)とか中央フリーウェイ(荒井由実)とか。フリーウェイが混ざっちゃったけど。

その後に「ラピスラズリ」という意外な言葉を食らったのが面白かった。

我々の世代でラピスと言うと、「りぼん」を筆頭とする少女漫画誌の広告で「恋愛運アップ!」と執拗にアピールされていたパワーストーンを連想する。1980年〜1990年代頃。憧れた少女も多数いただろう(私)。
ラピスには何の罪もないが、そのせいで大人になってから少々胡散臭いというイメージもを持ったままの人もいるのではないか。

一般的には「耳をすませば」(ジブリの映画、柊あおいの漫画)に出て来る石として知る人が多いかもしれない。
柊あおいと言えば、「耳をすませば」よりも「星の瞳のシルエット」が記憶に濃い。「りぼん」でリアタイしていたから、懐かしいな。

ラピスラズリと聞いただけで、このように少女漫画の世界を思い出した。私の妄想をかき立てる、強いタイトルだな。

歌詞はしっかり聞き取れていないが、得意とするフレッシュな青春物語だったと思う。ハイウェイを駆け抜ける原石たち。多分。

私の一番好きな曲は聞けなかった。曲の世界観的に「ハイウェイ・ラピスラズリ」と被るからかなぁ。

一番好きな曲はあるにはあるが、活動歴が浅いので持ち曲は決して多くはないし、私がライブを見た回数もまだ両手で足りるほどのため、何を聞いても嬉しいし楽しいし、新たな発見がある。

この曲はライブで聞くとよりベースとドラムの勢いが肌で感じられて感動するなとか、この曲は聞けば聞くほどコーラスの生身感が良いなとか、歌い出しがサビ始まりのアレンジになって感動が増すなとか。

昨年8月のワンマンで初めて聞いた、バラードの新曲をまた聞くことができた。サビの出だしが好きだったので、それを聞いて明確に思い出した。とても懐かしい、昭和歌謡のような香りがする。

ワンマンで、サポートベース氏が「ZARDとくるりのマッシュアップのようだと思った」と言っていた気がする。
確かに、Aメロは淡々としているのと、ピアノの音も入っていたので、くるりの「ばらの花」に通じるものがあるかも。これ、聞けば聞くほど好きになるやつだな。

ワンマンの時に比べると、ライブが始まっても思ったよりギュッと詰まらなかった。客の様子を見るに、初見もそれなりにいたと思われる。
そのせいで、数曲終えた妙なタイミングで、後部から「詰めて下さぁい」という、スタッフらしき人の囁き声が聞こえ、少しずつ圧が来た。ライブハウスあるある。

完売公演は、開演前に隙間を詰めるようスタッフが声がけするケースも多いが、規模の小さなライブハウスではそんな野暮なことをしなくても客が勝手を知るのでそれなりに落ち着くものである。

しかし今日は小さなライブハウス慣れしてない人もいたのだろう。背後からの圧に驚き、怪訝な顔で執拗に何度も振り返っている人がいた。私には新鮮な反応に映った。

終盤で披露されたキラーチューンに、「今日が最後なんて嫌だ!って思えたなら 命はいつでも 僕に微笑みかける」という歌詞がある。
聞く日によって自分の受け取り方が変わるが、今日も今日なりに身体が感じるものがあって、じわっとした温かさが広がった。

終演後の「本日はお越しいただき誠にありがとうございました」と言う定番アナウンスがアップデートされていた。
「心のミラーボールなどお忘れ物のないように」「物販について」など。もうちょっとさらっと短めの方が、余韻があるなぁなどと勝手なことをうっすら思うが、とても楽しいひとときだった。

🔹途中で帰るという自由意志

1時間にも満たないのでまだまだ元気だが、後でズシンと来るのはわかっているので、次のバンドは1曲だけ聞いて出ようかな、と思う。

先週も、仕事帰りにガラガラの映画館で映画を1本見ただけで、予想外に回復が遅くて我ながらびっくりした。それだけ気持ちが揺さぶられたのだろう。過覚醒気味のため、始めは映画館の爆音にすら少しビクついた。
でも、今日のライブハウスの爆音は始めから平気だったなぁ。

出やすいように入口近く、ステージがギリギリ見える位置に立っていた。
女性がやって来て、私の隣にいた女性に話しかけ、勢いで私がステージが見えない位置に押し出された。たまにある、主張が強い人々にいないものとして扱われること。存在感が薄いのだろう。まあ被害妄想とも言う。

「開演に間に合わなかったのぉ!」
「ええー!見えた!?」
「見えたけどぉ!」
「今日の入場、50番台からだったんだってぇ!」
「うわあ!良い位置に行けたのにぃ!」

という興奮、高揚が繰り広げられていた。些末な内容でそこまでテンションを上げられる元気が羨ましいと心から思う。

やっぱもう帰っちゃおうかな。ステージ見えるところに移動するのもめんどくさいし。

これから演奏するバンドのギタボが、きりりとした表情でセッティングしてる姿をわずかに拝むことができただけで、ありがたみと満足を感じてしまった。

ギタボ氏は星野源に似ているのでルックスも好きだ。星野源が知的さとスマートさを増したような感じ。(私は星野源が好きで20年以上ファンだ。音楽よりも先に劇団「大人計画」で俳優として知ってずっと好き、つまりディスりじゃないよ。)

せっかくなのでトイレに寄っていく。ライブハウスのトイレは楽しい。知らないバンドのフライヤーとかポスターが山ほど貼ってあるから。
「楽しんご」という懐かしワードが目に入った。昔のものか最近のものかは確認しなかったが、なんとなくニヤリとしてしまう。

後攻バンドを見ないという選択をし、地下のライブハウスから抜け出すために階段を上がる。
物販が目に入り、反射的に頭を下げてしまったら、物販の方も会釈をしてくれて、余計にスミマセンという気持ちになる。見ずに帰ってスミマセン。

地上に出ると、心臓がバクバクしている。ま、階段上がったからね。

途中で帰ったけど、素敵な対バンだったことは間違いないとわかる。
先ほどギタボ氏がMCで話していた。対バンのバンドに会うのは初めてだが、前身バンドでお世話にになった人が共通していたことが判明。
その方は残念ながら亡くなってしまったが、今日は見に来ているかなぁ、と。

ギタボ氏は、お世話になった方を「ゴッドファーザー」と表現していた。ナチュラルにゴッドファーザーと言う単語が出て来るのが、映画好きなギタボ氏っぽいなぁと、変なところが気になってしまった。

全然関係ないが、ヌンチャク曲のイントロは「仁義なき戦いのテーマ」をオマージュしているのだろう、と聞く度にニヤける。(トランペットの♪チャララーン)
フレッシュさもありつつ、妙なベテラン感もたまに感じさせるところも魅力なんだよな。

🔹旧ヤム邸シモキタ荘

ライブハウスを出て、コート無しで寒空の下を歩く。5分しないぐらいのカレー店「旧ヤム邸シモキタ荘」へ。
会社の近くに六本木店があったので気軽に利用していたのだが、残念ながら閉店となってしまった。気軽に行けなくなった分、余計にここのカレーが食べたいという欲が募っていた。

店頭には整理券の発券機が設置されている。私は空いている時間帯(平日の夜)にしか来たことがないが、ランチ時は混雑するのだろう。

下北はいつの間にかカレーの街になった。大昔はこんな美味しいカレー屋はなかったな。

3種類の全がけをオーダー。パクチートッピングとアップルラッシーも。林檎がゴロッと入ったラッシー、珍しい。カレーがスパイシーなので、やっぱりラッシーは相性が良い。

・🐔スパイス栗きんとんと食べる
ほんのり爽やかな鱈の和風みぞれ鶏キーマ

・🐷さっぱり蓮根のいちご煮のせ
エビ出汁香るココナッツポークキーマ

・🐮柚子と白菜のマリネのせ
ジンジャーオレンジの根菜牛豚キーマ

カレーは月替わりでメニュー変更する。どれも珍しい組み合わせなので、食べたことのない複雑さがあるが、優しい味わいで美味しい。身体も喜ぶ。
スパイシーなので鼻水が出る。ポカポカになるので、コート無しでも駅まで寒くなかった。

カラフルなネオンが眩しい下北沢から、色彩のない霞ヶ関へ舞い戻り、コートを着て帰路につく。

翌日、それなりに疲れが残った。
でも、無理して最後までいるよりはマシだったと感じる。今の私には、フルタイムで働いて、ぎゅうぎゅうのライブハウスに長時間滞在することはちょっと厳しい。

ライブが好きで音楽が好きなので、「対バンは全部見たい、見なければ!」という気持ちがあった。対バンライブを途中で帰る、ということはあまり記憶にない。

でも、「しんどい時は、好きな時に帰ってもいい」という自由を自分に与えられたことで、気が楽になった。当たり前のことなんだけど。

カレーを食べて地元に戻った後、コーヒーが飲みたくてミスドに入ってドーナツも食べちゃった。

ライブをフルで見ていたら、コーヒータイムはなかったな。こういう贅沢もあるな。

翌日、「TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢」で見かけて気になった書籍をKindleで購入した。「自分とか、ないから。」と言うキラーワードに惹かれて。私も最近、それが真実ではないかと思っているので。仏教で言うところの無我。

読み始めたが面白い。まずはブッダの話をわかりやすくユニークにかみ砕いて。ブッダについて、全然知らなかったな。

自律神経が不調になってから、哲学に助けられているなと思う。自分をガチガチに固めていた、歪んだ認知が緩む。

やっぱ行ってよかったなぁ、下北沢。
ゴリラは見かけなかった。


🔹バンドについて

目当てのバンド(ソロプロジェクト)。


見ないという選択をしたバンド。

見ない選択をしたが、「また今度」と思う。

そう思って次が無かった経験は多々あるのだけれど、今は仕方ないと思うしかない。



つい先ほどthe pillowsの解散を知った。
突然で大変驚いた。

昨年秋、久しぶりに見たいとツアーのチケットを取ったのに、旅行と被ってしまったので手放した、「また今度」と思って。

自分が残念だ。私が好きなバンド世代がみんな大好きで、影響を受けたバンド。私も好きになった。

でも、35年も続いたかっこいいバンドが出した結論は尊い。
冒険家のように道なき道を進んで、立ち止まる日が来たんだな。

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