Miki Hattori

小学校教員(タイ・日本)→広島大学教職大学院→母になりました。育児をしながら、赤ちゃん…

Miki Hattori

小学校教員(タイ・日本)→広島大学教職大学院→母になりました。育児をしながら、赤ちゃんの発達と子育てする人へのケアについて学んでいます。 好きなことは、料理・読書・音楽・映画・散歩・お相撲

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直線と曲線のグラデーションー自己紹介に代えて

はじめての子を産んでから、半年が経ちました。 産んですぐ母になるわけではなく、じんわりゆっくり、本能に従いながら、母になっていっている、というような感覚。 小学校教員や大学の事務職員として働いたり、大学院で研究をしたりしていた頃は、前へ進むこと、高みを目指してゆくこと、学び続けること、結果を出すことにとらわれて生きていました。 そこにはどうしても、他者軸というものがついてきて、誰かに評価される環境に、あまりにも馴染みすぎていました。私も職業柄、誰かを評価する立場にもありまし

    • 妊娠6ヶ月から8ヶ月ごろのこと

      2023年11月 実地研究と学会発表 産院にて、体重増加のペースが早いので気をつけるように言われる。この頃から、毎日食事記録と便通状況、体重をレコーディングし始める。 オートミールごはんを取り入れたり、おやつはさつまいも団子や小魚にしてみたりするが、食欲は相変わらず旺盛で、たくさん食べてしまう。 エコー写真から、骨がしっかりしてきた様子が見受けられる。胎動も感じ、ニョロニョロ、ポコポコ動いている。健診でエコー中、おしっこしている様子が見られたので、すでに膀胱が育っている

      • 妊娠発覚から妊娠5ヶ月頃までのこと

        これまであまり表にしてこなかった、妊娠期間のこと。 心と身体がダイナミックに変化していく日々。ままならなさとどう向き合ってきたのか、どこかのタイミングで文章として記録しておきたいと思っていました。 一年前の記憶を手繰り寄せながら、当時の日記を読み返しつつ、こちらに書いてみようと思います。 10年後、あるいは20年後、もっと先まで。 時間が経ってから、妊娠、出産の経験が、自分の人生にとってどのようなものとして残ってゆくのだろう。 2023年7月 生理がこない なんとなく身

        • 【簡単なレシピ付き】おいもへの愛がとまらない

          妊娠期、小腹がすいた時の定番といえば、さつまいもだった。 蒸して丸めて団子にしたり、焼き芋にしたり。 出産後も、授乳の合間のおやつとして、さつまいもには日々お世話になっている。 今日はそんなさつまいものことを少し。 先日、お誘いを受けて、さつまいも掘りへ。 さつまいもを掘るのは、小学生の時以来かも。

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        直線と曲線のグラデーションー自己紹介に代えて

          小さいけれど、確かにある声

          今月末には、衆院選挙がありますね。 街を歩くと、選挙カーや選挙ポスター、街頭演説の風景を見かけるようになりました。 各メディアでも今度の選挙に関する報道がなされるようになりました。 先日のNHK情報番組「あさイチ」で、選挙に行く人、行かない人、なぜ行くのか(あるいはなぜ行かないのか)インタビューしている様子がありました。 行く人へのインタビューでは、 「選挙に行っていないのでは、政治に対して文句を言えないから」 「若者は選挙に行きなさいと祖父に言われたから」 「当然の権利

          小さいけれど、確かにある声

          身体の土台づくりーコリほぐしのはなし

          2026年に、赤ちゃんの発達と子育てする人のケアを主とした事業を立ち上げることを目標に、今現在、赤ちゃんとの暮らしをしながら学んでいます。 (ここに辿り着くまでに、見てきたこと、感じてきたこと、前職である小学校の教員から赤ちゃんと子育てする人にフォーカスしてお仕事していきたいと思った背景については、おいおいnoteで書いていこうと思います) 受講している講座では、週に一度の発達にまつわる講義のほかに、 月に一度、先生との個別セッションがあります。 そのセッションは、子育

          身体の土台づくりーコリほぐしのはなし

          「わかるよ」なんて言えない

          先日、東京・青山にあるギャルリーワッツの山本詩野さんと写真家の中川正子さんのトークイベントに行ってきました。 (そのときのことは、Instagramアカウントでもpostしています) トークテーマは、「こころのひだ」について。 ギャルリーワッツを立ち上げた、今は亡き川崎淳与さんの生きざま、 おふたりの子育てや仕事のこと、そして、数々の経験に裏打ちされた哲学に触れる時間。 思わず言ってしまいそうになる、上のような共感のことば。 もちろん、共感のことばによって救われる場合だ

          「わかるよ」なんて言えない