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独りからはじまる文化研究
2019年11月15日 03:36
文:Rin Tsuchiyaこんにちは、今日はこの村の人々と動物との距離感の話をしたいと思います。あくまで個人的な印象を書いておりますので、そのことを踏まえて一歩引いていただけたら幸いです。ここはとある民族誌に「農牧地域」と称されているように、市街地を出れば牧場が広がっています。飼われているのはウシ、ヒツジ、ヤギ、ウマ、それにこの地域特産のブタです。マドリード周辺の地域や南部アンダルシアで
2019年8月20日 22:49
文:Rin Tsuchiyaこんにちは。今日はスペインでも京都でもなく、とある大分県の町の話です。正月ぶりに帰省し、今回こそは羽を伸ばそうと海に行ったり山に行ったり川に行ったり釣りをしたり、かつては日常的にやっていたことを物珍しげに再体験しています。かつては日常だったのに、いざ客観的になってみると再発見することがたくさんあります。水道水がやたらうまいとか、植生が違うとか、おばあちゃんが発
2019年7月31日 22:10
文:Rin Tsuchiya私は自他共に認めるように感情の起伏が言葉にも顔にも出にくい人間だと常々思います。ブリキの人形のように血も涙もない冷徹な人間とまではいかないしよく笑いもするけど、いわゆる「テンションが高い」状態があまりありません。特に表に出ないのが「ありがとう」の感情で、こちらとしてはめちゃくちゃ嬉しいけど顔にも言葉にもうまく表現できない。なんと褒め甲斐、祝い甲斐のない人間でしょ
2019年7月23日 16:19
文:Rin Tsuchiya人間はもはやサイボーグだと論じた人類学者がいる*。読者諸賢におかれては、これを全て額面通りに受け取る必要はない。ご存知のようにあなたの身体は人工知能で動いているわけでもなければ奥歯に加速スイッチも仕込まれていないので、わざわざ確認しなくても大丈夫だ。ただしこの奥歯の仕組みが分かる方は特定の年齢層以上であるという事実を突きつけられる**。人間がサイボーグだというの
2019年7月4日 23:01
文:Rin Tsuchiyaこんにちは。Rinです。今回私はYK2さんの記事「赤い!黄色い!派手すぎる!」(https://note.mu/_bunka/n/n25b11f888c42)についてコメントしてみたいと思います。中国で、仏像が金色に輝き、寺が七色にライトアップされているとのこと。確かに中国は何かとカラフルなイメージがありますし、その固定観念に反しない、「いかにも」中国という感じ
2019年6月17日 13:57
文:Rin Tsuchiya以前、スペインで挨拶する際に身体接触が多くてあっけにとられたという記事を書かせてもらった(https://note.mu/_bunka/n/ncfbc16735964)が、今回もスペインの挨拶で戸惑ったことについて書きたい。私の滞在する村は大きくも小さくもない、人口でいうと3000人の村だ。一歩住宅地を抜けるとヒツジがメエメエ鳴き、ブタがぶぅぶぅ鳴いている平和な
2019年6月9日 13:28
文:Rin Tsuchiyaスペインは一般的にカトリックの国である。今でも熱心な信者も多いし、安息日とされる日曜日は皆仕事をしない。大手のスーパーだって日曜日は閉店しているところもある。初めの頃は「今日なに食べよっかな〜」なんて能天気な気持ちでいたら、日曜であることをすっかり忘れていて困ったものだ。しぶしぶ鮮度の低い食品を扱っていることで有名なスーパーに駆け込んだこともあった。あの時買ったス
2019年6月5日 08:06
文: Rin Tsuchiyaスペインでは日本同様に挨拶をする。朝起きた時、その日初めてあった人に、しばしお別れする時、その日別れる時、などなど。毎日のように挨拶をし、1日のうち何回挨拶するかわからない。日本でいう「おはよう」「こんにちは」「またね」などに当たる挨拶をするのだ。私の村では、友人や知人ならもちろん、すれ違った見知らぬ人でもすることがある。ソンナコトイワレンデモアタリマエヤン
2019年5月30日 10:46
文:Rin Tsuchiya世の中にはなんと一人走りした日本語の多いことか、と私は時折考えることがある。日本の若者言葉だけではない。例えば海外の人のTシャツやタトゥーについてもそうだ。「その言葉でいいのか?」とつっこまざるを得ない、むしろつっこまねばならないという責任感すら感じることがある。ただし義務ではないので常につっこみは心の中で抑える。あるとき、スペイン人の友人がこんな写真を送ってき
2019年5月26日 08:10
文:Rin Tsuchiyaアタリマエとはなんだろうか。ひとまずは「我々にとってそれをするのに疑問を持たずに行える何か」とでも言えようか。国の数だけ、もしかしたら人の数だけアタリマエというのは存在しているかもしれない。普段はそれが我々の骨身にまで浸透しているため、アタリマエが当たり前に存在していることには気づかない。歩く時には足を動かすし、仏壇の前では手を合わせるし、食べる前には「いただき