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二人ぼっち

ひいらぎ 小さな頃は家族5人と居候していた従妹がいたので考えた事もなかったが 虐待から統合失調症になった頃友人は多かったが漠然とした孤独を感じる 事になりやがて家族がいないという事からの孤独であったのだという事が 判った。 独りでアパートに暮らしていた頃は、私が料理が得意だったので友人 たちが食材を抱えて私の部屋に来て泊まっていっていた。 毎日楽しかったがやはり友達は友達で(それでも大きな価値はあるが) それぞれ親を持ち家庭を持ち少なくとも帰る所はあった。 私には安心

    • 入ったら病む?

      閉鎖病棟覚書 ひいらぎ ープロローグー 夫が死んだ。いつものように透析に連れて行く為に夫の部屋に行った。 いつも寝ているのと同じような姿勢で寝ていた。 「いつまで寝てるの?」と、声をかけながら揺り動かした。 冷たい。 慌てて鼻と口に手をかざしたら息をしていない。すぐに救急車を呼んだ。 蘇生しながら救急車を待った。 すでに亡くなってから数時間経っていたという事から警察と病院から 医師が来た。死亡診断書を書いてもらってから親族に連絡をして翌日に お葬式になった。簡単

      • 天女になった娘

        ひいらぎ 1986年9月5日、偶然フレディ・マーキュリーの誕生日と同じ日に娘は生まれた。 2820g元気の良い産声を聞いた。当時、私はB型肝炎のキャリアだったのだが 妊娠中に肝炎になり、命をかけたような出産だった。ハイリスク妊婦だった。 医師は子供はあきらめるように言ったが、有事の時は私の命を優先させると 念書を書かされた。そのため大学病院での出産になった。 娘は生まれてすぐに免疫系の予防接種を受けた。これで、B型肝炎のキャリアに ならないと医師は言っていた。 私は新し

        • 二人ぼっち

          ひいらぎ 小さな頃は家族5人と居候していた従妹がいたので考えた事もなかったが虐待から統合失調症になった頃 友人は多かったが漠然とした孤独を感じる事になりやがて家族がいないという事からの孤独であったのだという事が判った。 独りでアパートに暮らしていた頃は、私が料理が得意だったので友人たちが食材を抱えて私の部屋に 来て泊まっていっていた。 毎日楽しかったがやはり友達は友達で(それでも大きな価値はあるが)それぞれ親を持ち家庭を持ち 少なくとも帰る所はあった。 私には安心安全

          自閉症と生きるということ

          ひいらぎ 38歳の時に私は自閉症の確定診断を受けた。ショックだった。まさか 喋る自閉症がいるとは思わなかったのである。きっかけは娘の幻覚だった。 「ママ、お風呂場に生首がある。」 と怯えていたので、児童精神科に連れて行った時だった。 娘は自閉症の二次障害で統合失調症になっていた。私の言動がおかしいと 娘の主治医に言われ知能検査を受けたところ私もまた自閉症の二次障害の 統合失調症と診断された。 記憶を辿っていくと一番古い記憶は赤ん坊の頃だった。紫のベッチンのおぶい紐の

          自閉症と生きるということ

          依存症と私

          ひいらぎ 私にはいくつも依存症がある。パチンコ・ニコチン・カフェイン・氷食症。 パチンコに初めて行ったのは3歳くらいの頃である。父親のバイクの後ろに乗って連れて行ってもらえた。 その時は父親がパチンコ依存症になっていた。箱を渡され 「玉集めておいで。」 と言われた。 自閉症の私には銀色の完全球体は魅力的だった。沢山の大人たちの足元にキラキラ光る玉が落ちていると 宝物のように拾って箱に入れていた。当時は規制も緩くパチンコ屋に子供がいても誰も不思議に思わなかった。 それ

          依存症と私

          わかうりじゃー

          ひいらぎ ワシは黒猫のわかうりじゃ。本名は 「若卯李白春」 と、ゆう長ったらしい名前やけどお姉はんとお母はん、色々と考えすぎて願いを込めすぎてこんな長い名前になってもうた。お母はんは猫はアホやから上の二文字だけをとって 「わか」 ってワシの事を呼ぶ。 ワシは猫のお母はんの傍で寝ていた所前の飼い主はんがワシを連れてマンションに行った。んで、ワシをゴミ箱に捨ててしもた。 ワシは目は少し見えてたんやけどゴミ箱の中は暗くて寒かった。ワシは必死になって猫のお母はんを呼んで

          わかうりじゃー

          ダーリンはゲイ

          ひいらぎ ダーリンとの出会いは高校のクラブ活動だった。漫画・アニメーション研究会に私が3年生の時にダーリンが入部して来た。 背が高かった。高校1年生で既に180センチはあった。ただおしゃれなんかには縁が無いらしく端正な顔立ちの割にはダサい恰好をしていた。1年生の割に絵が飛び抜けて上手かったので私はすぐに目をかけてやるようになっていった。彼も私の絵の上手さに尊敬してくれた。私たちはすぐに意気投合をした。 男性に対する好きというより人間としてダーリンが好きになった。 彼は

          ダーリンはゲイ

          「ゆきよと、とらじゃと、ひいらぎと」 ひいらぎ

          それでも生き残った私 ひいらぎ 恐怖を感じたのは三歳くらいの時だった。兄がガムを盗んだらしく両親が折檻していた。 裸にして殴る蹴るの暴力をふるっていた。私は恐ろしくてただ震えていた。 最後はどうなったのか覚えていない。 私が育った家庭では親は絶対の力をもっていた。夕食の間はテレビがついていたが テレビに気をとられて食事が遅いと箸の裏側で殴られた。 三歳の頃は母親は働きに出かけていて私は一人で留守番をしていた。テーブルにはおむすびと 二十円が置いてありお腹がすくとおむす

          「ゆきよと、とらじゃと、ひいらぎと」 ひいらぎ

          さらば、ダメ夫 ひいらぎ

          ひいらぎ ダメ夫:だめおと読む、人としてどうかなという男の事。私の夫の愛称である。 ダメ夫と知り合ったのは新宿のオフ会だった。当時、離婚した人を中心にネットサークルがあった。カラオケやボーリング、飲み会等をして和気あいあいとするサークルであった。私は離婚したばかりの時で、ダメ夫は離婚調停中だった。 天然パーマで前髪を下ろし、ジョンレノンのような丸い眼鏡をしていた。迷彩のベストを着て、紙袋。カバンはたすき掛け。一目でオタクだと思ったが関西に引っ越す事が決まっていたので宝塚

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          「海を渡った猫」 ひいらぎ

          ~コノとの10年間~ ひいらぎ 娘と散歩していた時に、子猫の鳴き声が聞こえた。当時、娘は3歳だった。電柱の下に、目やにで目が開かない子猫がいた。 子猫を持ち上げた途端、自転車が猛スピードで去って行くのが見えた。中学生くらいの男の子が自転車の後ろに箱をつけて 去って行った。捨てたんだと直感した。 子猫が弱っていた事から、すぐにタオルでくるんで獣医さんの所に連れて行った。目やにを取って貰い、体を拭いてもらった。 すでに乳歯が生えていた事から、獣医さんは子猫用の餌を食べさせて

          「海を渡った猫」 ひいらぎ

          “黒い鬼” ,“生霊” kuro

          “黒い鬼” 私が二十代のころ、夢の中で私が黒い鬼になって、天井に向かって何度も飛び跳ねて必死になって自分の部屋から抜け出そうとしていました。 鬼は天井を睨みながら、小さな緑色の炎を吐いていました。 夢を見ていた私がふと我に返ると、布団で寝ている私の上で黒い鬼が上に向かって飛び跳ねていました。 鬼は頭が異様に大きくて短い角が二本生えていて、手と足が長く鋭い爪が生えていました。 私は、その様子を離れた場所から見ていたのですが、必死に飛び跳ねる鬼を見て『哀れ、自分はとうとう鬼になっ

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          “神の通り道”,“天狗の御明” kuro

          “神の通り道” 神様は道の真ん中を通ると言われています。 特に神社などの神様の祀られている場所の道の真ん中を歩いてはいけないと言われています。 もし、道を通っている神様の進路をふさいで邪魔をしてしまうと死んでしまうそうです。 私が小学二年生のころの事です。そのころは、アパートの一階の一番奥の家に住んでいました。 秋のある日の夕方、なんとなく家の外に出てると、何となくいつもとちがう場所にいるような不思議な感覚がありました。 自分の家の換気扇が回る音は聞こえるのですが、それ以外の

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          “ぎすの復讐” ,“土蜘蛛の怨霊” kuro

          “ぎすの復讐” 私の田舎では、昆虫のキリギリスの事を「ぎす」と言います。祖母が言うには、“ぎす”は咬みついたら首を切られても咬みついたまま離なれないそうです。 私が子供だったころ、和歌山の山奥にある田舎の畑で手伝いをしていた時に祖母が何かの大きな虫を捕まえて、私に手渡そうとしました。 祖母は私を喜ばそうとして虫を捕まえたのですが、祖母に捕まえられているその虫は明らかに異様な姿をしていました。 私の田舎にいる生き物は普通の大きさよりも大きなものが多いのですが、その虫は黒豆の蜜煮

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          月下老人 kuro

          私が二十代のころ、夢から覚めると、部屋の一角が白く光っていて、そこに二十代くらいの女性と一歳くらいの女の子がいました。 女性は、肩にとどかないくらいの長さの髪形の黒い髪をしていて、白いえりつきのシャツを着て紺色のスカートをはいていました。 女の子は、茶色い髪と、くりくりした大きな目をしていて、もこもこしたピンクの服を着ていました。 二人は、いきいきとしていて、二人からは嫌なものを全く感じませんでした。 私は、二人に見覚えは無いのですが、二人は満面の笑みで「お父さんがんばってー

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          金色の龍 kuro

          私は龍の夢をよく見ます。 龍の夢は縁起が良いと言われていますが、龍の夢を見ても良い事が起きた事がありません。 特に、金色の龍がでてくる夢は、めったに見れる夢ではありませんし、金色の夢を見た数日後に、大出世をした人が実際にいます。 その人は、古い時代の人なのですが、その人が見た夢の内容とその後に起きた事が書かれた書物がちゃんと残っています。 夢占いでも龍の夢は、出世や縁起の良い出来事を象徴する夢だとされています。 私の場合は、良い事どころか、酷い扱いしか受けてきませんでした。

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