「海を渡った猫」 ひいらぎ
~コノとの10年間~
ひいらぎ
娘と散歩していた時に、子猫の鳴き声が聞こえた。当時、娘は3歳だった。電柱の下に、目やにで目が開かない子猫がいた。
子猫を持ち上げた途端、自転車が猛スピードで去って行くのが見えた。中学生くらいの男の子が自転車の後ろに箱をつけて
去って行った。捨てたんだと直感した。
子猫が弱っていた事から、すぐにタオルでくるんで獣医さんの所に連れて行った。目やにを取って貰い、体を拭いてもらった。
すでに乳歯が生えていた事から、獣医さんは子猫用の餌を食べさせてくれた。雄猫だと教えて貰った。
「飼いますか?」
の、言葉に、一瞬困ったが
「はい。」
と、言ってしまった。
子供の頃、家には猫はいたが、飼い方をまるで知らなかったので、子猫のケアの仕方を獣医さんに教えて貰い、餌を買って家に連れて帰った。
帰宅した夫に子猫を見せて、飼いたい事を伝えると、二つ返事で了承を得た。夫も猫が大好きで、夫の実家には
「ねこさん」
と、いう名前の雌猫がいる。
とりあえず、箱にバスタオルをひいて、子猫の寝床を作った。飢えていただけの様で何度か食事を与えただけで子猫は元気になってきた。
娘は生まれて初めて見る子猫に興味を示し、膝の上に置いて離さなかった。娘を出産後、不妊症になってしまった私は丁度娘にいい家族が出来たんだと思い、喜んだ。娘は最初から
「コノちゃん。」
と、呼んでいたので、子猫の名前は、コノになった。
クッキーが入っていた空き缶の蓋にテッシュをちぎって、トイレを作ってやった。コノは賢く、トイレをすぐに覚えた。
コノが、とことこ歩ける様になった頃は、娘は遊びに来ているお友達を無視して、コノを追いかけた。夜も絵本を読んで
やっている最中もコノを離さずに自分のベッドに連れて来ていた。
「明日も、コノちゃんお家にいる?」
と、娘は毎晩きいてきた。よほど気に入ったのだろう。
私も子猫は初めてだったので、文字通り、猫可愛がりした。夫も、暇な時はコノで遊んでいた。牛乳瓶の蓋を与え、コノが遊んでいるのを
「楽しい?」
と、笑顔で、頭を指で突いたりしていた。
コノは我が家のアイドルになった。
だが、コノは娘が抱っこしかしてくれないのと、餌を与えてくれない事に素早く気が付き、娘には懐かなかった。ある日、コノが
いないので名前を読んだら、小さい声で、にゃーと聞こえた。部屋に違和感を感じて、娘のドールハウスを見ると、服が重ねて
かけてあったので、どけるとコノが閉じ込められていた。
コノを拾って、僅かひと月でコノと娘のバトルが勃発し始めた。
コノの成長は早く、数か月で娘よりうわてになってしまった。娘が笑い乍ら廊下を何度も走っていた時は、コノは身構え、娘が
角を曲がる前にジャンプして全身で娘の顔にぶつかっていった。娘がベッドに登ろうとすると背中にしがみつき、娘の手を噛んだ。
コノに首輪を付けた時も、娘はガムテープを持って来て、これも付けようね。と、ガムテープの芯のあたりにコノの首を入れ、
「ママ、見て、ライオン。」
と、ゲラゲラ笑っていた。懐く理由がない。
コノを最初に見付けたのは、娘だったので、いわば命の恩人なのだが、その恩人に色々と悪さをされて、コノは事ある度に娘に噛みつき、猫キックをしていた。娘は、わんわん泣いていた。
娘は好き嫌いが多かったので、コノちゃんが欲しがっていたからと、ブロッコリーや、ピーマンをコノのお皿に入れたりしていた。
コノは餡子が好きだった。アンパン等食べていると、猫パンチをして、おねだりした。とても賢い猫で暇な時はよくテレビを観ていた。ある夜、野生のインコの特集の番組がやっていた。コノはテレビにしがみつくようにインコを前足で押さえていた。
野生のインコは断崖絶壁の岩肌に巣を作る様で、コノは夢中になってインコを取ろうとしていたが、インコが一斉に飛び立った
時に、真後ろに倒れた。痙攣して口から泡を吹いていたので、夫がコノを逆さまにして背中を叩いた。そうすると息を吹き返しゴロゴロ喉を鳴らした。
心配だったので、翌日、獣医さんの所に連れて行ったところ、異常は無く、事情を話すと
「とても賢い猫ですねーっ。」
と、驚いていた。診察料5000円。
予防注射も去勢も終わった頃に、夫に辞令が出て、私達はアメリカで暮らす事になった。獣医さんに相談をすると検疫用の書類を書いてくれたので、コノもアメリカに連れて行く事になった。
会社からの計らいで、最初は観光の為、ニューヨークで過ごした。コノは飛行機に乗り、ゲージに入れられ十数時間もいたせいか、
ひどく臆病になり、ベッドマットのスプリング部分を破って、中に潜り込み、数日間、ベッドから出て来なかった。
ホテルの係員に事情を話して漸くマットを解体して、コノを出した。マット代は無料で助かった。
家がニューハンプシャー州に決まったので、引っ越した。一通り片付けるとコノはアパートメントを気に入り、ソファで眠る事が多くなった。外にも行く様になっていった。もみの木を気に入ったみたいでコノは帰って来るともみの木の良い匂いがした。
最初は孤独だったが、ママ友が出来てきて、私は充実した日を送る様になった。学校にも通わせてもらい、娘は学校に併設している保育園に通う様になった。猫友達も出来た。コノは白地に茶トラの模様が入ったしっぽが短い猫だったので、アメリカ人はコノを可愛いと言っていた。猫友達の家の猫たちのほとんどが長毛種だった。
アメリカ人は犬や猫にも人間のような名前をつける様で、コノという名前は珍しがられた。それと家具を傷めないように猫を飼っている人のほとんどが猫の前足の爪を抜く手術をしていた。日本には無い事だったので驚いた。
コノはお客さんが食べ物に甘い事を覚え、家に誰か来ると、とても喜んで餌をねだった。
ママ友の中で、猫がいる家庭はうちだけだった為、子供達にもコノは人気だった。子供でも、食べ物をくれると覚えたコノは愛想を振り撒いていた。娘以外にコノが懐いたので、娘は不満そうだった。
学校で知り合った日本人の女性が猫を飼っていたのと、家が以外と近所だったのでコノは可愛がられた。ホームリーブで帰国した時は
コノを預かって貰った。その時に美食を覚え、ドライフードを食べてくれなくなってしまった。
やがて、湾岸戦争が始まり、私達は帰国した。帰りも会社の計らいでニューヨークに二週間程滞在した。コノはあちこち連れて行ったせいかホテルでは大人しくしていた。アメリカの獣医さんがくれた薬を飲ませて、飛行機に乗るためにJFKに行った。そこでたまたま修学旅行らしき日本人の女の子の集団と出会った。
「わー、猫だーっ。」
と、数人集まって来たが、薬の影響でコノが口から泡を吹いていたので、後ずさりしたのが印象的だった。
日本に帰ると、コノが住める家を探すのに苦労をした。当時、バブルの終わりかけで子供が住めるマンションを探すのも大変だった。
漸く埼玉県のある家が猫を飼っても良いときいたので、大家さんにかけあいに行った。
「猫でも、怪獣でも、何でも飼ってくれ。」
と、なげやりな調子で言っていたのが気になったが、ホテル住まいが続いていたので、とりあえずその家に決めた。
古い借家で、リフォームしても良いとの事で、家具が入る前に私は壁紙を貼ったり、土壁に漆喰を塗ったりして古民家風の内装にした。ただ、気になったのは私がリフォームの材料を買いに行っていた店で、私がリフォームをしていると話して、住所を言った所、お店の人が驚いて
「あの家に住むの?」
と、言った。
すぐに別の店員さんが
「あそこ、お婆さんが住んでいたんだけど、娘さんが迎えに来たわよね。」
と、とりなし顔で言ったので、何かあるな。と、思った。
事故物件だった。お年寄りが孤独死していた。
電球が何度も切れたり、コノと娘が同じ壁の方をじっと眺めていた。
私は心霊現象等信じない性質だが、その時ばかりは怖かった。
夫が転職したのをきっかけに、その家から横浜のペットが住めるマンションに引っ越しをした。
ペットもピアノも大丈夫だったので、私はとても気に入って、毎日ピアノを弾いた。
コノと娘のバトルは相変わらずで、小学生になり、漫画家になりたかった私は、そろそろプロになる準備をしようと思い、四コマ漫画を投稿した所、仕事を貰える様になった。ついでの様に娘とコノのバトルな毎日を漫画にして投稿した所、佳作だったが連載を貰える
様になった。
当時、ハムスターを飼うのが流行っていたので娘も2匹のハムスターを飼い出した。コノはハムスターに興味を持ち、籠を猫パンチしていた。
コノは病院が嫌いだったので、ゲージに入るのを物凄く嫌がった。コノが風邪をひいたときに、ゲージに無理矢理入れて病院に連れて行った。猫の点滴は背中の皮の辺りに液を入れて全身に回るのを待つといった感じだった。車に乗せて行ったのだが、コノがゲージから逃げて車の隅っこに隠れてしまった。何時間もかけて探したが、かすかににゃーと鳴き声が聞こえるだけで出て来なかった。次の日も
出て来なかったので、車屋さんを呼んで、車を少し分解してコノを見つけた。
夫の同僚がゲーム機をくれたので、娘はゲームをする様になった。コノもゲームに夢中になり、キャラクターを動かすと猫パンチして娘を困らせた。ドアを閉めても、コノはドアノブに飛びついてドアを開けていたので、娘のゲームを邪魔した。昼寝していても娘のゲームを起動する音で目を覚ましてテレビ画面に見入っていた。
私もゲームをする様になり、私に構って欲しかったコノはゲーム機の蓋を開ける事を覚えた。セーブしてない時は悲しかった。初めは偶然にopenのボタンを押してしまったのだなと思っていたが、私がゲームを始めるとゲーム機の前に座って、前足で器用にボタンを押していた。
やがて、夫の酒乱と不倫で、ボロボロに疲れた私は離婚する事にした。
大阪で住もうと思って準備をした。私が泣いていると娘とコノが近くに寄ってきた。猫でも飼い主の心が判るものだと思った。
コノは不思議な猫だった。私の顔色を感じ取り、機嫌が悪いと少し離れた所で毛繕いしていた。私が調子を取り戻すと、そばに来て前足で私の顔を触った。
娘には悪い事をしたと思ったが、大阪に着いた私は少し元気になった。
娘は関西弁が苦手だったので、転勤族の多く住んでいる街を選んだ。
当時、ネットサークルに入っていた私はよくオフ会に行った。コノは新しい生活にすぐに馴染み、外に出る様になった。
そのうちに、コノが帰らない日が続く様になった。居心地の良い家でも見付けたのか、私が付けたのではない首輪をつけて帰ってきた。
ある日、洗濯物を乾燥機から出していると、コノがにゃーにゃー鳴き乍ら1階のベランダによじ登ってきた。触ろうとしたら避けられた。その日を境にコノは家に帰らなくなってしまった。
コノを探そうとも思ったが、首輪を付けていた事から幸せな家を見つけたのだろうと、探すのをやめた。
コノの最期を看取れなかったのは残念だが、コノは本当に不思議な猫だった。妙に人間くさかった。私が漫画家になれたのもコノのおかげだ。
コノ、ありがとう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?