わかうりじゃー

ひいらぎ

ワシは黒猫のわかうりじゃ。本名は

「若卯李白春」

と、ゆう長ったらしい名前やけどお姉はんとお母はん、色々と考えすぎて願いを込めすぎてこんな長い名前になってもうた。お母はんは猫はアホやから上の二文字だけをとって

「わか」

ってワシの事を呼ぶ。

ワシは猫のお母はんの傍で寝ていた所前の飼い主はんがワシを連れてマンションに行った。んで、ワシをゴミ箱に捨ててしもた。

ワシは目は少し見えてたんやけどゴミ箱の中は暗くて寒かった。ワシは必死になって猫のお母はんを呼んで叫んだ。諦めへんかった。1時間くらいした頃に、そのマンションに住んでた、お姉はんとお母はんがワシを探しに来てくれた。

「おった。おった。ここや。」

とゴミ箱を開けてワシを助けてくれたんはお姉はんやった。手が暖かくてワシはすぐにゴロゴロと喉を鳴らした。

そんで部屋まで連れていってくれた。

ワシはまだ赤ちゃんやったからすぐに腹が減る。腹が減ってたからお姉はんの指をちゅぱちゅぱ吸った。そしたらお母はんが牛のおっぱいを温めてスプーンでワシの口に入れた。猫のお母はんのおっぱいのんが良かったけどワシは夢中で飲んだ。そしたら脂肪分だけ吐いてしもた。

家には黒猫の笹姉はんと、志乃姉はんがおってんけどワシの傍に少しずつ近づいてきた時に志乃姉はんから猫のお母はんみたいな匂いがしたから志乃姉はんのおっぱいを吸ってしもた。志乃姉はんは驚いてワシを蹴っ飛ばした。

次の日病院に連れて行かれたワシは雄猫やと言われた。骨がしっかりしとるから獣医はんはワシはでかくなるよ。とゆうてた。お母はんが哺乳瓶とミルクを買おてくれたんでワシはお腹いっぱいミルクを飲むことができた。毎日3時間おきにお母はんはミルクをくれてうんちとおしっこをさせてくれた。ワシら猫は赤ちゃんの時はうんちもおしっこも自分で出来へんねん。普通は猫のお母はんがおしりあたりを舐めてくれるんやけど人間は出来へんから温めたタオルでおしりを拭いてもらう。お母はんはワシが自力でうんちと
おしっこが出来るようになるまで頑張ってくれた。

ワシが生後1か月くらいしたときに笹姉はんと志乃姉はんの後についてテレビやステレオが置いてあるラックに上ってみてん。そしたら、滑って落ちてしもた。そんときにラックにしがみつこうとして左前足でラックに引っ掛けたらボキって音がしてワシは「ぎゃん」って泣いた。

お母はんが飛んできてワシをみたら、きゃーってゆうてた。ワシの左前足がプラプラになっててん。骨折やった。

急いで車で獣医はんとこ連れて行かれてレントゲンを撮影してもろたら左前足が完全骨折しててん。獣医はんが針金で器用にワシにぴったりなギプス作ってくれてバンダナを切って巻いてもろた。

バンダナ姿のワシの事お母はんが可愛いってゆうてくれて記念撮影してん。

ギプスが取れたんやけどワシの左前足は曲がったままやった。獣医はんがリハビリのやり方を教えてくれてんけどリハビリせんでも自由になったワシは部屋の中走り回ってたら曲がってた所が真っすぐに戻ってん。みんなびっくりしてた。

ワシはねこじゃらしが好きやったからお母はんが部屋の中で投げてくれるとそれを拾ってくわえてお母はんの所に持って行ってまた投げてくれるねん。それが好きやったからねこじゃらしにじゃれるより投げてもろた方が良かった。ワシはご飯以外は寝てて起きるとねこじゃらしをお母はんの所にくわえて行って遊んでもろててん。

お母はんは漫画家やってて毎日締め切りに追われてたけどよお遊んでくれた。ご飯もくれた。

ワシはいつの間にか猫のお母はんの事を忘れてお母はんの事本当のお母はんと思うようになっていった。

お姉はんはワシを掴んでおしっこさせてくれた。テッシュのトイレに渦巻をくるくると描いて遊んでた。お姉はんは遊んでくれたけどご飯はくれへんかったからお母はんの方に懐いた。

笹姉はんは生まれつきの猫エイズやったから体がちっこかった。志乃姉はんは面倒見がええ猫でよう笹姉はんやワシの体の毛づくろいしてくれてた。気持ちよかったなぁ。

ワシは獣医はんがゆうてた通り4キロくらいにまで成長した。

お母はんはワシの頭をよく掻いてくれた。そのまま喉に向かって掻いてもらえるとワシはとろけそうになる。喉をぐるぐるならしながら掻いて欲しいところに体を移動させる。お母はんはワシの耳を頭のてっぺんあたりに引っ張って、うさぎ~。っていう遊びが好きやった。

ワシが5歳くらいになった時に左の後ろ足にウズラの卵くらいのできものが出来てたんをお母はんがみつけて、獣医はんところ連れてってくれた。腫瘍ってゆわれた。すぐに手術をした。

検体検査の結果を待つと悪性腫瘍やった。つまり、ワシは癌になってしもたんや。

治療するかワシを安楽死させるかお母はんと獣医はんが相談してた。獣医はんは時間をかけると治るってゆうてくれたからお母はんはワシを助けることにしてん。

ワシら猫には人間みたいに保険があれへん。最初の見積もりで250万くらいかかるとゆわれた。お母はんは100万くらい貯金があったから治療を受けさせてくれた。ワシは初めて入院した。後ろ左足の毛を剃られてセクシーになってしまったワシをお姉はんが喜んで写真を撮ってた。治療は痛かったわ。足に傷をつけて放射能を当てるねんけど足の傷はズキズキするし寝床は伸びができへんような狭いケージでご飯は豪華やってんけどワシは食欲がなかった。半年くらい入院した時に獣医はんが「わかちゃん」ってゆうてお母はんがするように頭を掻いてくれてそのまま喉の方を掻いてくれたらワシはお母はんの事を思い出してわめきながら床をガリガリ引っ搔いてん。爪がとれて足の指から血が出ても引っ掻き続けたらお母はんが獣医はんに呼ばれて、「入院は限界ですね。通院にしましょう。」って
ゆうてワシは懐かしい家に戻れてん。

首にエリザベスカラーを撒いて毛を剃った足は包帯でぐるぐる巻きにされてワシは過ごした。治療が辛くて遊ぶ元気もないくらいワシは疲れてた。もうどうにでもしてんか?って感じやってんけどお姉はんとお母はんは

「わか、頑張りや。」

って頭をなでてくれた。

そのころやった。お母はんと、お姉はんが引っ越ししてん。

お母はんが結婚したみたい。

半年の入院、治療ですでに200万以上かかってたんや。お母はんはクレジットカードでお金を借りて捻出してたから家賃が払えへんくらい貧乏になってしもて総額400万くらいかかってしもた。悪いことしたなぁと思う。

新しい家にはお父はんとお婆はんがおった。猫はあまり歓迎されてなかったんやけど居候として住まわしてくれた。

治療が終わってからも定期健診で獣医はんところに連れて行かれた。熟睡してる時にハーネスを付けられて車に乗せられた。病院に着いたとたん、ワシはおしっこを漏らしてしもた。熟睡してたから虹のようなおしっこがずっと流れ続けた。獣医はんがペットシートを何枚も持ってきてくれてん。恥ずかしかったわ。

ワシも含めてみんなが頑張ったお陰でワシは癌を克服した。

ワシが元気になってきたんでお母はんは安心したのか雌の猫を拾ってきてしもてん。鳴きながら近寄ってきてパンしかもってなかったらしくパンをあげたら1枚全部食べてしもて関心してお母はんは家に連れて帰ってしもた。

ゲージに入れられた猫は綾波と名前を付けられた。笹姉はんや志乃姉はんも近寄って臭いをかいだりしててんけどなんでかワシが近寄った時だけ綾波はシャーって威嚇するねん。生まれて初めて威嚇されたワシは腰が抜けてしもた。

翌日綾波をシャンプーしてから獣医はんとこに連れて行ったらすでに出産してて避妊手術も受けてたらしい。

綾波はお姉はんが気に入ったらしくご飯をねだる時も遊んで欲しい時もお姉はんの所におった。

お姉はんは初めて猫が懐いたのを喜んで好きなだけ食べ物を与えてた。綾波はブクブクと太っていった。

ワシを見ると綾波が威嚇してくるからワシは二階の本棚をテリトリーに加えた。家で一番高い場所やった。そのうちに綾波は威嚇せえへんようになってんけどワシはいつも本棚の上で昼寝するようになった。

お正月の事やった。笹姉はんがおらんようになってしもた。お母はんもお姉はんも家じゅう必死に探してんけど、どこにもおれへんかった。

そんな時綾波が急に痩せだした。獣医はんとこに連れてったら急性腎不全と診断された。ワシと入れ替わりに綾波が入院した。けど数日で綾波は死んでしもた。お姉はんが泣きながら綾波を裏庭に埋めた。

綾波にしたらおなか一杯食べて死ねたんやから本望やったんとちゃうかな?

半年くらいして大掃除をしている時にお母はんが笹姉はんを見つけた。引き出しの中で眠るように死んでたらしい。

「笹がおった。」

とお母はんが泣きながら裏庭に埋めてた。それでも笹姉はんが16歳まで生きたらしい。

「もう、猫はやめとこ。」

ってお母はんはゆうた。ワシで最後にするらしい。

綾波と笹姉はんが死んでからお姉はんが家を出て行った。

家を出て行く時に猫はやめようとゆうてたのにお姉はんが美姫という名前の猫をもらってきてしもた。そいつを連れてお姉はんは家を出て行った。

家にはワシと志乃姉はんが残された。お母はんは子供のようにワシらを可愛がってくれた。

綾波を死なせてしもたんが、心残りやったらしくワシらは人間が食べるものをあまりもらえなくなってしもた。志乃姉はんは人間の食べ物が好きで隙があると人間の食事に食らいついてた。パンやジャンクフードが好きやった。

ワシら歴代の猫で志乃姉はんだけ唯一、粗相をせえへん猫やった。

その優等生が死んだのはワシが15歳くらいになった時やった。お母はんのベッドの上で眠るように死んでた。

お母はんは志乃姉はんを裏庭に埋めた。

今では猫たちのお墓は草に覆われてどの猫がどこにおるんか分かれへんようになってしもたけど。せめてお墓を家の庭にしたんはお母はんの愛情やった。

ワシは一人っ子みたいになってしもてもうテリトリーを作らんでも自由に好きな場所で寝れた。お母はんは以前にも増してワシの事を可愛がるようになっていった。

ワシがやらかした最大のいたずらはお母はんが大事にしてた羽毛布団を引っ搔いて中の羽毛を半分くらい出してしもたことやった。
そんときばかりは、めちゃ叱られた。

「誰がやったの?」

とお母はんはワシの頭をつかんで叩いた。

それから何年経ったのかワシはあほやから分かれへん。お母はんによるとワシは今24歳らしい。人間でゆうたら100歳くらいになってるらしいねん。お姉はんは、ワシの事を化け猫とかゆう。

ワシの今の楽しみは一日一回お母はんがまぐろをくれる事と納豆を貰える事。食事の時間が待ち遠しくてワシは1時間くらいご飯をねだってお母はんを困らせる。運のええ時は晩御飯に煮魚を出してとりわけてワシの皿に入れてくれる。

年よりやからもうワシは遊ばへんようになってしもたけどお母はんは相変わらずワシを子供みたいに可愛がってくれてる。

ある日の事お父はんが死んでしもたんや。ベッドに寝てる恰好で死んでたらしい。お父はんの葬式が終わってワシはお母はんとグループホームって所で暮らす事になってんけど、お母はんが具合悪ぅなって入院してしもてん。

ワシは他の人に預けられててんけどお母はんと別れてすぐに寝てるうちに死んでしもた。お母はんはおらへんかったけどしようがない。ワシは死んだ。24歳やった。

最後に、宝塚生まれのワシが何で浪花弁なんかちゅうたらお母はんが生まれが浪花やったかららしい。ワシは幸せな猫やったわ。ほなさいなら。

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