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かどかわまほこ
2020年3月26日 18:13
母方の祖父が認知症になってしばらく経つ。だんだん孫や娘の顔を見ても名前が出てこなくなり、今では一緒にいても関係性が分かっていないようだ。「おじいちゃん、こんにちは!来ましたよ」と言うと「おたくの名前は?」と聞かれるので「まほこ!あなたの娘の娘、孫です」と笑顔で答える。「そうか、まほこか」と頷くが、3秒後には忘れてしまうので「で、おたくの名前は?」と聞かれる、といった具合だ。短時間の間に
2019年8月27日 12:05
昨晩はNEWS ZEROで、広島の高校生たちが被爆者からその経験談を聞き絵に起こす取り組みについて特集されていたので、一緒に見ていたパートナーと原爆について話をした。以前にも書いたけれど、私の父方の祖父母は広島の出身で被爆者であり、私の本籍は10歳頃まで広島にあった。そしてパートナーの出身は奇しくも長崎県である。でも長崎県の中でも佐世保市で、原爆が投下された長崎市とは近くなかったようで、身内
2019年8月6日 19:17
(1の続き)2016年の8月15日、私はイギリスにいた。ロンドン市街に出掛けていたのだけれど、ああそういえば今日日本は終戦記念日だなあと思いながらふと広場に目をやると、数メートルある大きなモニターに、でっかく「VJ」と表示されていて、街もお祭りみたいに賑やかな雰囲気だった。日本だと、テレビでは追悼式典が中継されていたり、玉音放送を流したり、戦争記録特集が組まれたりして、お盆の時期とも相ま
2019年3月14日 12:23
「落ちてしまいそうなほど高い空だ」と思う。私はいつも足元ばかり見ている。家から出ることが少ない。出ようと思わない。出たいと思わない。きっと「内」は守られていると思うから。外は放り出されたような気になる。少し怖い。のみこまれてなくなってしまいそうな気がする。私はいつも足元ばかり見ている。外へ出ても。空を見上げることはあまりない。足を見ている。地面を踏ん張る自分の足。足を見るよう
2019年2月26日 13:37
この、夜も眩しい大通りの先にきみがいるかもしれないと思っていたら、1週間で2回もきみが夢に出てきた。あなたに届いて欲しいと願いながら描いた絵を目の前に、その話を何人もの他人に話して、だけどいつまでもあなたには声をかけられずにいたら、タイミングを見計らったかのようにあなたから久しぶりに連絡があった。会いたいのに会えない人たち私が描き続けていれば書き続けていれば生きてさえいればまたどこ
2018年9月28日 18:37
ところでアンディーは「呪い」と言いましたが、パウル・クレーの「忘れっぽい天使」も私にとってもう拭えない記憶の一部です。あれは救いであり、絶望であり、夢であり、現実であり、幻想でした。あの天使はずっと先生の机の上にいて、私が、嘘か真実か自分でも分からないような話をしているときも、先生の話を聞いているときも、涙を流しているときも、死んだ目で机の上に視線を落としているときも、
2018年7月12日 22:00
大学院に進学して3ヶ月と少しが経った。人生で初めての一人暮らしや、大学院という新しい環境に慣れるのに大分時間を要している。生活を回していくのでやっとだ。でもなんとか日々が回っている。最近のこと。いま大学まで自転車で通っているのだけれど、先日思い切りコケた。自転車ごと派手に横転してしまった。履いていたジーパンに穴が空いて、膝と手の甲がえぐれて、膝小僧に大きな青タンをつくった。膝小僧
2018年2月16日 00:19
人間のあらゆる行いに対して深い絶望感を抱きまくっていた少女時代について書いたが、先日もまたそれを彷彿とさせる絶望感を味わった。トランプ大統領率いる米政権が2018年2月2日に核戦略NPR見直し、それに伴い小型核兵器の開発を打ち出したニュース。オバマ前大統領が広島を訪問し、かつNPRで核軍縮を打ち出した時に見えた光が、瞬く間に握りつぶされたような思いになった。同時に、河野太郎外相がそれに対
2018年2月9日 16:37
服飾に関して、あまりにも無頓着過ぎて妹に怒られた。母から珍しくLINEが来たと思ったら「あったかストールはいりませんか?」とのことだったが、別に代わりになるものが無い訳でもなく、困ってると思っていなかったので「特に要り用では無いです」と返信した。私から両親に連絡することは、実家を出てからというもの殆どなく、久しぶりの母からの連絡がそれだったので「お母さん急にどうしたんだろう」と妹に話した。