【私と本】夢の話はしないでくれ
私は夢をみることが少なくて、というか憶えていないだけかもしれないけれど、あまり印象的な夢というのがない。
できれば夢なんかみないでぐっすりと眠りたい。
眠るのがすきで、(生きるのしんどいな)っていう時期なんか特にねむるのがたのしみだった。日が沈むと気分が落ち着き、朝になって目が覚めると気もちが暗くなった。ねむっている時間は、まっくらで、静かで、私は私ですらなくて、そういうのがたまらなくすきだった。
今はわりと元気いっぱいに生きているけど、それでも眠る時間というのは前も後ろもないくらいまっくらというのがいい。
何年も前に友だちと夢の話になって、私が夢をあまりみないことや憶えていられないことを言うと、夢日記をつけるといいと言われた。起きてすぐ、何か夢をみたという感覚があったら、枕元に置いた日記帳に書き留める。それを続けたら夢を憶えていられるようになるよと。
何回かやってみたのか憶えていないけれど、すぐに飽きた。
勧めてくれた友だちは夢をみるのが大好きで、たのしみで仕方がないといった。特に旅先での初夜の夢がすごくすきなんだそうだった。ワクワクすると言った。
夢って、白黒が多いといいますね。私はいちおうカラーだけれど、それでも匂いや味という感覚はない。それは多くの人がそうなんだと河合隼雄さんがどこかに書いておられた。
でもその友だちは、匂いも味もはっきりと感じるという。
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この本は、夢記で有名な明恵上人のことを書いた本で、ずっと気になりながらも自分がみないものだから、長く手にとっていなかった。
読んでみるとおもしろい。身体を否定するところとか、性の欲求のみとめ方とか、そこらへんは興味深い。特に身体の否定という部分は、共感できるところがあったりした。
性のことに関して、他の仏僧との比較なんかはちょこっと書いてあるけれど、例えばカトリックのことなんかをおもうと、うーんと唸ってしまった。これから時代が進んで、このあたりをどんなふうに認め合うかというのは大きなことかもしれない。
最後に華厳の世界のことに触れている章があって、ここも印象に残った。ちょっと引用しておく。
生まれつき目の不自由な人が、成人になってから手術によって目が見えるようになる。そんなとき、まず見えてくるものは、光、光、光のみで、個々の事物の形態など全然見えてこないものらしい。これとまったく同然で、『華厳経』には光のみ満ち溢れていて、個々の章が何を表し、それらが全体としてどんな関係にあるのかは、まったく解らないのである。
しかし、解らないままでともかく読んでいると、不思議に心の中に何かが伝わってくる感じがしてくるから妙である。
(河合隼雄-明恵 夢を生きる- 354頁)
どうして印象に残ったかは、宮崎で同じようなことを友人が言ったからだった。華厳や明恵上人についてのことではまったくなく、話の中でそういう表現が出てきたのだけど、関係のないところからふいにおとずれるシンクロニシティな感じが心に残った。
あとがきに、明恵上人と聖フランシスコ(原文より)との類似性についての短いひとことが記してある。こちらは、先に『聖地アッシジの対話-聖フランチェスコと明恵上人』という本を読んだことがあり、これも大変おもしろかった。
どうでもいいことだけど、タイトルは何かの映画で誰かが言ったせりふらしく、安西水丸さんの文章の中に出てきたものを使わせていただいた。
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