僕は、どう生きたいのか。
最近文字を読むのが苦手じゃなくなってきた、Qさんです。
ずーっと途中だった本を読み終わったから、まとめるよ!
☆マークは「後でお話載せておくよ」の意味なので、気にせず読み進めてね!
(o^^o){ れでぃご!
「君たちはどう生きるか」
吉野源三郎
この本をひとことでいうと…
自分で体験したことから、何を感じ、何を考え、何を学び、どう活かすかは、自分次第である。
…かな(; ・`д・´)?
本の内容
みんなから「コペル君」と呼ばれている少年の、心の成長のお話。コペル君の「コペル」は「コペルニクス」の「コペル」。
コペルニクスとは?
「地球って太陽の周りを廻っていて、
しかも地球自体も自分で回ってる
らしいで~!」って言った人。
地動説を提唱した天文学者。
読むきっかけ
Youtubeで紹介されていた。まとめてAmazonに配送してもらった内の1冊。
そう。Qさんは、本を読むのが遅いのである(; ・`д・´)
『え?ジブリで映画化??まだ読み途中なんですけど…!』と、慌てて続きを読み進めた次第である。
映画も観に行ったから、後で感想お話する予定。
え?時間軸がずれている?
き…きっと…気のせい…
だ…よ…?(; ・`д・´)←3ヶ月前に下書きしてた
読み始めの感想
登場人物が割と出てくるタイプのお話だ…。
覚えられるかな?
Qさんは、登場人物が増えると混乱して、物語が頭に入ってこなくなるのである。(普通に漫画に出てくるキャラクター覚えられる人なら、スラスラ読めるのでご安心を!)
コペル君の紹介&コペル君が東京へ
「あぁ、自分も、最初に東京に行った時に想ったことがいくつかあるなぁ。でも、コペル君と全然違うなぁ…。どちらかというと、ムスカ寄りだなぁ…。」
☆ 最近のQさんはムスカ寄りではありません。
コペル君のおじさんのNOTE
おじさんがコペル君の体験した話を聴いて、考えをまとめた「NOTE」!
この「note」と通じるものがあるなぁ。面白くなってきた!
読み終わっての感想
自分の体験は自分にしか知り得ないもの。
『自分で見たり、聴いたり、感じたりした感覚を大事にしよう。』と想った。
Qさんは、よく悩み事を相談される。
その時、悩んでいる人の心に寄り添うことは出来る。立場を想像して、気持ちを考えることもできる。
しかし、その悩んでいる人の気持ちや考えは、言葉にして伝えることは出来ても、実際にその人自身に成り代わって、体験することは出来ない。
寄り添うにしても、想像し考えるにしても、限界がある。
辛かったことや、怖かったこと。
楽しかったことや、嬉しかったこと。
すべて、自分の中でしか知ることのできない感覚。
例えば同じ物を見て、同じ場所で過ごしたとして、感じたことも、表現の仕方も人それぞれ、違ってくる。
その違いは何なのか?
「自分の在り方」だと、Qさんは想う。
「自分はどういう自分で在りたいのか」
これが感じ方や、表現の仕方の違いの根源なのではないか。
例えば…?
例えば、街中のイルミネーションを見たとしよう。
Qさんだったら『綺麗だなぁ。写真とりて~!』ってなる。
Qさんは「綺麗なものに関心があって、写真を撮るのがすきな自分。」でありたいから、こう想うのだ。
こんな人たちはどうだろうか?
『電気代かかりそうだな…。』『頭痛いのに眩しい!やめてくれ~。』とか、想っているかもしれない。
前者は、計算が得意な方で、何事にも損得を考えるタイプなのかもしれない。それがその人の考える「自分」かもしれない。
後者は、繊細さんで、今日はたまたま頭が痛くてイルミネーションどころではないのかもしれない。それがその人の今の「自分」かもしれない。
捉え方は人それぞれだ。
でも本当にその自分が「自分」なのかな?
さっきの人たちは「イルミネーションに興味の無い人」なのかな?
電気代さんは、まだお仕事のことが頭から離れないのかもしれない。
頭痛さんは、元気な時ならどうしていただろうか?
なんて。
こんな感じで「自分」や「誰かさん」を見つけてみるのもいいかもね!
「自分はどういう自分で在りたいのか」
この想いは常に自分の傍らに置いておかなくてはいけない、重要なものだ。
「自分」を見失ったら、身の回りで起きている出来事はすべて「他人事」。
その内、感覚や感情すらも、自分のものとして感じられなくなってしまう。そんなの操り人形みたいだ。
人形になってしまったら自分の意志で笑えない。
そんなん、くそつまんねぇじゃねぇか。←そこはかとなく口が悪い
matome…?
「他者からどう見られたいか」ではなく
「自分自身がどういう自分で在りたいか」
ここまで読んでくれたあなたへ。
あなたは、どういう自分で生きていきたいですか?
☆ ムスカ寄りではなくなったQさんのお話
ではでは!
まったね〜(o^^o)ノシ