ラッパーを目指していたOLが、茶人に転向した理由
「もう来月から来なくていいよ」音楽仲間から声をかけられた。いつかそう言われるんじゃないかと思っていたセリフがどんぴしゃで降りかかってきた。
クラブ仲間にリストラされた!
200年代前半、小さいクラブがたくさんあった時代。毎月1回平日の深夜、小さな音楽イベントを友達と企画していた。まだYOUTUBEもそんなに普及してなかった時代、DJは足繁くレコード屋に通い直接レコードを買っていたもんだ。今ならいろいろなDJのプレイはオンラインでカンタンに見られるだろう。でもその頃のクラブ好きは実際にレコード屋にいって視聴し、実際にクラブに行って音楽を聴いて踊る、一部の超絶スーパーマニアの集まりだったのだ。
自分は音楽にぜんぜん詳しくはなかったが、スーパーマニアな人たちは音楽のみならず、漫画や小説、映画から政治や哲学までなんでも詳しい人たちだった。雑談を聞いているだけでもおもしろい。マニアな人たちと繋がっていたい…でも何も表現できない人間だと仲間にも入れてもらえなそうだ。そこで自分もDJやラップを始めてみた。
しかし仲間に見破られたのだ。今まで聞いてきた音楽の量が違う。OLで働く合間になんとか時間を作ってレコードやCDを買い集めたけれど、質の高いDJになるには程遠かった。クビを宣告された日はクラブでボロボロと涙もこぼしたが、そんなことで同情するような音楽仲間はいなかった。小さなクラブで放置され始発でトボトボ帰った。毎週末クラブにいくことは楽しかったけれど、自分が背伸びをしていたのも事実だった。リストラをされて悲しい反面、もう無理しなくていいんだといった開放感もあった。
戦国武将が茶道やってたの?
音楽コミュニティーを追い出されヒマになった自分は、アートやデザインに興味を持ち始め、とある画廊に出入りするようになった。日本でいちばん古い現代美術の画廊といわれている。1代目のオーナーは戦前は骨董品屋さんをやっていたそうだ。だから現オーナーも現代美術のみならず、日本の伝統文化にも詳しかった。
あるとき、オーナーが茶の湯漫画、山田芳裕『へうげもの』を教えてくれた。千利休にお茶を習った戦国武将が活躍する漫画である。この漫画は自分にとってはめちゃくちゃ新鮮だった。漫画を読む前までは茶道といえば、金持ち専業主婦が着物自慢でもしてるんだろ、くらいしか思っていなかった。しかし漫画の中では信長や秀吉をはじめいろいろな武将が出てきて、いかに自分がいい茶会を行えるか全力で争っている漫画だった。戦争で勝つことや、領内の経済を発展させることに命をかけていた戦国武将。ただでさえ激務だしいつ死ぬかわからない立場なのに、その合間をぬってさらに茶道具を集めて茶会をやってるだと!?
ハードボイルド千利休!!!!
茶道ってそんなにアグレッシブなものだったのか!急激に茶道に興味が出た私は、片っ端から入門書や初心者向けの雑誌を読み漁った。その中で千利休が作った国宝の茶室、「待庵」の存在を知った。『へうげもの』の中でも、主人公の古田織部がこの茶室に入った途端、宇宙空間に変わるコマがあった。ぜひとも見てみたい。
何かのジャンルを好きになりかけたときは、ポンポンとタイミング良くことがすすむことがある。運良く職場で関西出張が入ったのだ。利休の茶室「待庵」は関西のお寺の中にある。ネットが浸透した2010年代であったが、そのお寺は茶室の予約に往復葉書をまだ採用していた。必死に葉書を買って予約した。
「うわ!狭いっ!」私は思わず叫んだ。あまりの狭さに笑いが込み上げてきた。お坊さんに睨まれた。「静かにご覧ください」関西弁で嫌味たっぷりに声をかけてくる。ミーン、ミーン、ミーン、周りにいる蝉にも「この田舎モンが!はよ帰りなはれ」とバカにされているようだった。
楽しみにしていた茶室を前に、怒られるなんて想像もつかなかった。待庵に来る前、ガイドブックや雑誌をいくつも見て予習してしていた。わざと田舎しあげにした土壁、極小空間だが中に入れば宇宙のようだ、など誌面にはハードボイルドな千利休よろしく小難しい解説がたくさん載っていた。
室町時代、足利将軍たちが大広間で抹茶を飲んでいた時代。そのあと、堺の商人たちが四畳半の茶室をつくりシックな茶会をしていたらしい。しかし利休はもっと茶室を狭くして、亭主とお客のたった2名で茶会をしようと提案したようだ。チャラチャラした茶会とおさらばし、ストイックな精神性を求める利休の熱意がこもった極小の茶室だという。
しかし実際に茶室に案内されると、むちゃくちゃ狭かったのである。(正確には、往復葉書で予約しても平民は茶室の中までは入れない。外から窓を通して覗くだけだった。中に入ったら本当に宇宙空間かもしれない。)
オフィスこそ戦場!茶道をやる場所!
雑居ビルにある小さな給湯室くらいしかない。一説によると利休はロシアの血が混ざっていたのか180cmは身長があったという。こんな狭いところに大男と向かい合うんかい!狭すぎるやろ!滑稽すぎる!私は思わず笑ってしまったのだった。
しかしお坊さんに怒られてちょっと冷静になったところで、ふと想像した。イキった利休が「誰も作らんかった極小、2畳の茶室やで」とドヤ顔している姿を。茶人ってラッパーみたいなもんなんだろうな。ぶっちゃけこんな狭い茶室、窮屈だし不便なだけだ。いくらなんでももう少し広い方がいいに決まってる。でも利休がこれこそ究極の侘び、とかいろんな言葉で語りかけるとお客はなんだか宇宙空間のように思えてくる。言葉で相手を酔わせる…これが茶人の一つの魅力なんだろう。私は決意した、ラッパーにはなれなかったけど茶人になりたい!
こうして給湯室で抹茶をたてることを思いついた。狭い給湯室にヨガマットを敷いて正座すると、まさに「待庵」のような空間になる。また、信長や秀吉が戦場でも茶会をしていたエピソードがある。戦いの場で抹茶をのむことは戦国時代の正統派。私はパワハラや競合他社と戦うOLなので、自分の戦場であるオフィスビルで茶会をひらくことは戦国時代の茶会に近づくこともできる。こうやって、ビジネスの戦場でしか抹茶を飲まない「給湯流茶道」を結成した。