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あの鬱々とした女は、実は"私の1つの可能性"?
522社で働いた私は、たまに鬱々とした女性従業員がいる職場にあたる。
人生つまらないという顔をしており、
暗い表情をしていて、
口を開けば文句、悪口、不満が多く、
世の中のあらゆるものが許せないという感じ。
たまに笑っているかと思うと、
それは人を嘲るような暗い笑いのみ。
趣味や娯楽について、楽しくて笑うことはなく、もはや嘲笑という笑い方しか出来なくなっているのである。
自分より輝いている人を見ては「なんかムカつく」といい、新人や、少し仕事の覚えが悪い人を目ざとく見つけては、勝手に一人でイラついて、四六時中文句を言い、こき下ろして嬉しそうにしている。
その顔は翳りが濃いが、本人は気が付かない。
接客業ではこのタイプは少なく、日雇いで行く物流倉庫や中小・零細企業のオフィスにいる確率が高い。
まあ、どこの職場にもいたりするので、気にすることはないが、状況によっては気になってしまうことがある。
ユング心理学には、影(シャドウ)という概念がある。
影 (Shadow)
C.G.ユングがあげる元型のうちの一つです。
個人の意識によって生きられなかった半面、その個人が認容しがたい心的内容を意味します。
私は辛さ苦しさを乗り越えるために、山ほどの読書や、心理療法、スピリチュアルセラピーを受けてきたので、鬱々としたのなら内観療法でもやり、自己解決する。
辛さや苦しさは、複雑性PTSDや複合的神経症からくる半端ないものだったので、全力を尽くして解決するしかなかったのだ。
もしそれをやらずに、自分の心の葛藤や他者への羨望や憎しみに対処出来ない人間のままだったら、私も彼女のように鬱々として、ムカムカをばら撒くことしか出来ない、孤独な人生だったかもしれない。
無力で、人生を切り開く力がなく、他人のことばかり気にしているため、自分の内面と向き合うきっかけを無くしてしまった彼女。
彼女は「私が生きなかった人生」を生きている人なのかもしれない。
幸い、こういう人が今のオフィスにいるので、
彼女の存在を「嫌だな」で終わらせず、
「彼女は、私の生きなかった半面である」と
認識してみようと思う。
河合隼雄先生は『影の現象学』の中で、「影は統合しなくてはいけない」と書いている。
影と真剣に対話する時、我々は影の世界へ半歩踏み込んで行かねばならない。
それは自分と関係のない悪の世界ではなく、自分もそれを持っていることを認めねばならない世界であり、それはそれなりの輝きをさえ蔵している。
私は彼女に対して、心に余裕を持って
「私の"そうなり得る可能性"であった。影である」
と思えることが重要ではないかと思う。
必死に思おうとするのではなく、余裕のある立ち位置より、落ち着いて対処することが、肝心なのではないかと思う。
簡単そうだが、とても難しいことだ。
時折、軽く瞑想モードになりつつ、マインドフルな状態で取り組もうと思う。
「ローマは一日にして成らず」と、こころして。
ここからは、スピリチュアルな次元の話。
私はHSPのスポンジ体質(負のエネルギーを受けやすい)人間なので、心のなかではしっかりと
「あなたの苦悩は、私には関係のないことです。
助けませんし、知りません」と宣言(アファメーション)しないと、このタイプのネガティヴさんには、心的境界を侵食されて、エーテルコードを付けられてしまう。
心理学だけでなく、スピリチュアルな領域を無視することは出来ない。無視しても影響というのは少なからずあるので、万全に対策を練らねばならない。
これは30年以上、心のトラブルを抱えてきた、私の智慧である。
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