波間丿乀斎

中国は南北朝時代の皇帝「劉裕」迷です。血迷いすぎて伝記の全訳本とか出します。動画や様々な断片情報から、この時代で本格的に遊んでいただくための第一歩として機能してくれるようなものを作れれば、と考えています。

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「五胡十六国」入門

note をご覧の皆様、こんにちは。波間丿乀斎(なみまへつぽつさい)と言います。中国史上の人物劉裕を布教するために動き、そのために前提となる時代を解説した『「五胡十六国」入門』 や、劉裕の伝記が載る宋書、南史、魏書を訳註とともに訳出した『劉宋武帝劉裕伝』 を発刊しました。 こちらで頒布しております本は、原則として小説サイト「カクヨム」にて草稿を立ち上げ、改稿校正の上展開しております。このため上掲ページに載る作品は、だいたいがカクヨムにて読める内容となっております。 ま

    • Dhammapada 89

      七覚支(念・択法・精進・喜・軽安・定・捨)を正しく善く修めた者たちは喜怒哀楽の執着より解き放たれる。煩悩の奔流が消え去り、輝きを帯び、世にありながらにして到達する。 Yesaṁ sambodhiyaṅgesu, 凡是 完全覺 支 sammā cittaṁ subhāvitaṁ; 正確 心 善 修習 ādānapaṭinissagge anupādāya ye ratā, 拿起 對...無執著 無取 凡是 喜樂 khīṇāsavā jutimanto, 諸流向已被滅盡 具光輝

      • 3・3 命題と文章

        ○前段 1 : Die Welt ist alles, was der Fall ist. 世界は全てである。あらゆる何か、その現象がそこにあるに依る。 2 : Was der Fall ist, die Tatsache, ist das Bestehen von Sachverhalten. 事実、事実は、事態の存在です。 3 : Das logische Bild der Tatsachen ist der Gedanke. 事実の論理上の像が、思考。 3.01

        • Dhammapada 86・87・88

          86 おおよそ、正しき法に基づいた者だけが越えがたき現世の誘惑に打ち勝つことができる。 87-88 賢者は俗世のことわりを捨て、まばゆき法に接すべし。安住を捨て、安易なる喜びを打ち棄てよ――こうして、より深き喜びを獲得し、欲望を捨て、己の心の垢をそぎ落とし、まことの智者となるのだ。 Ye ca kho sammadakkhāte, 凡是 但是 確實 正確 宣布 dhamme dhammānuvattino, 法 法 隨...動 te janā pāram essanti,

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          3・2・5 命題の完全な分析は一つ

          ○前段 1 : Die Welt ist alles, was der Fall ist. 世界は全てである。あらゆる何か、その現象がそこにあるに依る。 2 : Was der Fall ist, die Tatsache, ist das Bestehen von Sachverhalten. 事実、事実は、事態の存在です。 3 : Das logische Bild der Tatsachen ist der Gedanke. 事実の論理上の像が、思考。 3.01

          3・2・5 命題の完全な分析は一つ

          Dhammapada 84・85

          84 欲に負けた法ならざる行いを、自らのためにも、他者のためにも、我が子の願いのためにも、財産のためにも、共同体のためにすら行わない。そうしたものの戒め、知恵は常に法に違わないであろう。 85 「至れる」者はきわめて少ない。彼の子孫もまた、至りはせず、此岸を巡るのだ。 Na attahetu na parassa hetu, 不 自我 因 不 其他人 因 na puttam icche na dhanaṁ na raṭṭhaṁ. 不 子 欲求 不 財 不 國 Na ic

          Dhammapada 84・85

          3・2 像をうつす写像の表現ーー命題

          ○前段 1 : Die Welt ist alles, was der Fall ist. 世界は全てである。あらゆる何か、その現象がそこにあるに依る。 2 : Was der Fall ist, die Tatsache, ist das Bestehen von Sachverhalten. 事実、事実は、事態の存在です。 …… 2.225 : Ein a priori wahres Bild gibt es nicht. アプリオリな真のイメージは存在しません。

          3・2 像をうつす写像の表現ーー命題

          Dhammapada 82・83

          82 深き泉が澄み渡るかのような状態。これが道理を得た智者の境地である。 83 善き人はまず欲を捨て、欲について語ることもない。賢き人は苦楽に触れても、どちらが善いかなど語ることはない。 Yathāpi rahado gambhīro, 像 亦 池 深 vippasanno anāvilo; 擴大明淨 無混濁 evaṁ dhammāni sutvāna, 如是 法 聽到 vippasīdanti paṇḍitā. 擴大明淨 賢智者 Sabbattha ve sappur

          Dhammapada 82・83

          3・0・0・1 命題を思考する

          ○前段 1 : Die Welt ist alles, was der Fall ist. 世界は全てである。あらゆる何か、その現象がそこにあるに依る。 2 : Was der Fall ist, die Tatsache, ist das Bestehen von Sachverhalten. 事実、事実は、事態の存在です。 …… 2.225 : Ein a priori wahres Bild gibt es nicht. アプリオリな真のイメージは存在しません。

          3・0・0・1 命題を思考する

          Dhammapada 80・81

          80 水路を導くもの、矢をまっすぐに伸ばすもの、木材を用途に応じ加工するもの。賢人が自己を整えるのは、こうした人物の仕事に等しい。 81 大きな岩が風に吹かれてもびくともしないような様。岩を賢人、風を毀誉褒貶と見ることができる。 Udakaṁ hi nayanti nettikā, 水 確實 引導 引水者 usukārā namayanti tejanaṁ. 作箭者 矯正 箭桿 Dāruṁ namayanti tacchakā, 木 矯正 木匠 attānaṁ damay

          Dhammapada 80・81

          3 事実の論理上の像が、思考である。

          ○前段 1 : Die Welt ist alles, was der Fall ist. 世界は全てである。あらゆる何か、その現象がそこにあるに依る。 2 : Was der Fall ist, die Tatsache, ist das Bestehen von Sachverhalten. 事実、事実は、事態の存在です。 2.1 : Wir machen uns Bilder der Tatsachen. 事実を写真に撮ります。 …… 2.19 : Das l

          3 事実の論理上の像が、思考である。

          Dhammapada 78・79

          78 悪しき者を友とし、下劣なる者と共にあれば、先に進めるはずもない。善き者を友とし、偉大なる者と共にあり、初めて進むことができる。 79 より良き法則に導かれる者は楽しみ、伏しながらにして心を清め、広げる。より良き者の言葉を浴び、より深き境地に赴くのである。 Na bhaje pāpake mitte, 不 前往到 惡 友 na bhaje purisādhame; 不 前往到 人 最下 bhajetha mitte kalyāṇe, 前往到 友 善 bhajetha

          Dhammapada 78・79

          2・2 「像」、確定のしようがないもの

          ○前段 2 : Was der Fall ist, die Tatsache, ist das Bestehen von Sachverhalten. 事実、事実は、事態の存在です。 2.02 : Der Gegenstand ist einfach. アイテムはシンプルです。 2.1 : Wir machen uns Bilder der Tatsachen. 事実を写真に撮ります。 …… 2.19 : Das logische Bild kann die Wel

          2・2 「像」、確定のしようがないもの

          Dhammapada 76・77

          76 我が罪過、悪へ転がりかねぬふるまいを制止してくれるようなことを、さも財宝のありかを明らかとするかのごとく伝えくる者と親しくせよ。かの者と共にあれば、悪の道に引きずり込まれることもない。 77 良き教えに従い、良き教えより背く振る舞いから引き戻すべく説くが良い。よき人より愛され、よからぬ人より憎まれよう。 Nidhīnaṁ va pavattāraṁ 貯藏物 如 透露者 yaṁpasse vajjadassinaṁ; 凡是 看 罪過 視為 niggayhavādiṁ

          Dhammapada 76・77

          2・1・6 像の感得

          ○前段 2 : Was der Fall ist, die Tatsache, ist das Bestehen von Sachverhalten. 事実、事実は、事態の存在です。 2.02 : Der Gegenstand ist einfach. アイテムはシンプルです。 2.1 : Wir machen uns Bilder der Tatsachen. 事実を写真に撮ります。 …… 2.15 : Dass sich die Elemente des Bil

          2・1・6 像の感得

          Dhammapada 74・75

          74 無知なる者は思い込む、なす者もなさぬ者もみな我が支配下にある、と。この傲慢は止めどなく膨らんでゆく。 75 目先の営利と、進み行く先にたどり着く境地。これは背反の位置にある。ならば進む者よ、その場限りの栄誉を手放し、遠くにめがけ進むことにて、更なる喜びを得られるものと知れ。 Mam' eva kata maññantu, 我 如此 作 思量 gihī pabbajitā ubho; 有家者 已出家者 兩者 Mam' ev' ātivasā assu, 我 如此 過度

          Dhammapada 74・75