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「振り回されましょう」
スクーリング会場までやっては来たが、娘と私は宿舎に一晩だけ泊まって翌朝早く家に戻った。
本来、スクーリングに親は付き添わないのだが、娘の場合、初めての場所でほとんど見ず知らずの生徒たちと共に3泊4日を過ごすのは難しいという本人、親、学校の判断のもと、医師に書いてもらった意見書を提出した上で同伴していた。同じ状況の親子は他にも何組かいた。
初日の夜に娘が帰ると言い出して、私は相談のために先生の部屋
その「帰りたい」大事
結局、3泊4日の予定だったスクーリングは一泊した翌朝にリタイアした。
前日、施設に到着する前に緊張は既に極限状で、昼食を摂ろうと途中寄った店では好物の唐揚げがほとんど喉を通らないほどだった。
にも関わらず、到着直後の開校式、からの「情報」の授業2時限という、日頃は週に一度登校するとき以外家でじっと絵を描いている娘にとっては驚異的なハードスケジュール。
授業の間、宿舎の部屋で待っていた私は、娘が
おっぱい嫌いの赤ちゃん
中3絶賛不登校中の娘は、すぐ上の兄と七つ違いで生まれたが、上の三人と違うことが多かった。
四人目ともなると、子育てなんて余裕のヨッチャンだと、正直思っていた。しかし、それまでの経験が役に立たない。
まず、おっぱいは生後4ヵ月で本人から拒絶された。
当時はアルコール依存症の舅と、その舅と共依存関係の姑、両親との関わりを避けて家に寄りつかない夫、小学6年、4年、1年の子どもと新生児というストレス満
高校進学を親子で考える
発達障害児に特化した通信制高校があると知り、娘を連れて個別相談に行ったのは7月だった。久しぶりの外出で、初めて会う人に相対して話をするというシチュエーションに、本人はガチガチに緊張して顔面蒼白。話半ばで帰らざるを得なかった。
その学校を嫌だとは言わないが、かといって行きたい風でもない。「そこでイイんじゃね?」という雰囲気が気になる。
昨日の外出のかいあってか機嫌の良い娘に、数日前に予定していた通
生まれて初めて救急車に乗った日
娘が小学5年生の冬休みが終わろうとする、ある日の夕方。
それまでいつものように、台所で夕飯の支度をする私と笑いながらテレビの話をしていた娘が、「あれ?足が痛い・・・」と言いだしたかと思うとそのまま体を硬直させて「痛い!痛い!」と泣き叫んだ。
あまりの痛がりように慌てた私は、「どこが痛いの?」と言いながら脚をさすってやろうとしたが、私の指先が軽く触れただけで叫び声を上げて痛がるためにどうする事もでき
今、ここで、出来ること
中学3年生の娘は、小学6年生から不登校だ。
小学3年生でADHDと診断され、その後6年生でASD(自閉症スペクトラム)と診断名が変わった。
この娘が生まれていなければ、今の私は無い。私は子どもを4人生まなければ、人として地に足を着けて生きられなかったのだ。
発達障害という名前は世間で話題になる機会が増え、耳に馴染んできた感さえある。また、実に多くの人が体験た知識を書き表している。今さら私が表明