「振り回されましょう」
スクーリング会場までやっては来たが、娘と私は宿舎に一晩だけ泊まって翌朝早く家に戻った。
本来、スクーリングに親は付き添わないのだが、娘の場合、初めての場所でほとんど見ず知らずの生徒たちと共に3泊4日を過ごすのは難しいという本人、親、学校の判断のもと、医師に書いてもらった意見書を提出した上で同伴していた。同じ状況の親子は他にも何組かいた。
初日の夜に娘が帰ると言い出して、私は相談のために先生の部屋を訪れた。
その直前、娘は「高校を変わりたい」とまで言い出していた。「絵を教えてくれる高校がよかった」「普通にみんな制服で登校する学校がよかった」「この学校の生徒と友達になれる気がしない」と泣きながら畳みかけられて、私は不覚にも、娘にとって馴染みやすい学校が他にもあるかもしれない…と気持ちが揺れ始めていた。
「親が同伴する場合に気をつけないといけないのは――」と、先生が言った。「周りに対して親子で世界を閉じてしまうことです。」
去年も、同伴した母親が、わが子が場に馴染めないのを見て自らも疎外感を感じ、子どもを連れて帰ると言い出した例があった。
しかし時間をかけてサポートし、その生徒はなんとか同級生と馴染んでスクーリングを終える事ができたという。
「娘さんの場合、無理やり4日間ここにいて単位を稼いだとしても、心が折れてそれっきり、となるのが今一番恐れていることです。」
「それに仮に本人の意向通りの学校を見つけて転校したとしても、じゃあ元気に通えるのかどうかは残念ながら分からない。」
「とにかくお風呂に入って、今晩はもうゆっくり休んでください。今日はもう十分頑張った。明日どうするかは、明日本人が決めた通りにしたらいいと思います。もし帰ったとして足りない単位をどうするかは、ゆっくり考えればいいですから。」
「周りの大人は、振り回されましょう。」
そうにっこり笑う先生の顔を見て、私は娘の感情に巻き取られてパニックになっている自分に気づいた。
そうだ。この問題は娘自身のものであって、おそらく学校という箱を変えてどうなるものではない。さっき娘が部屋で泣きながら言っていたあれこれは、「今の私にはもうこれで限界!」という意味なのだ。ドンと構えて振り回されよう。
そう腹をくくったら、娘に対して感じていた ❛❛1日しかいられない残念さ❜❜ が影を潜め、「今日一日、よくぞ精いっぱい頑張った」と素直に声をかけることができた。
するとふっと娘の表情が和らいだ。その上、風呂に入りながら「明日もいようかな、という気持ちが無くはない」とまでつぶやいて見せたのだった。
翌朝は「娘、頑張ったね!」「お母さんも頑張ったね!」と、お互いの健闘を称えあいながら、田舎道をのほほんとドライブして帰った。
リタイアする事実は変わらないのだから、自分を責めるよりも次に向けてエネルギーを高める方向に娘の気持ちを向けたい。
この娘を育てる中で本気でそう思えるようになった。やはりこの子を産んで初めて、私は自由になったのだろう。