『美術はひとを救えるか』---弓指寛治 × 東浩紀 × 上田洋子。ゲンロンカフェ。2024.4.25。
ゲンロンカフェという場所ができたのは2013年のことだと覚えている。
それは、その年に、自分が厳しい状況にあって、そこで長い時間きちんと話をするトークイベントを見て、さらには当時ゲンロンの社長でもある東浩紀の話す姿を見て、気持ちがいいほどの頭の良さを感じ、それから何度か通った。
そこで、いろいろな人たちが真剣に話をする姿を見ていて、気がついたら考えることが増え、そのうちに気持ちの落ち込みや混乱が少しおさまっているのが自分でもわかった。
それから1年のうち何回かはゲンロンカフェのトークイベントに通った。ただ、2020年からのコロナ禍で、やはり、外出自体が怖くなった。だから、ゲンロンカフェにも行かなくなった。オンラインでトークイベントを見るようになっていた。
国立西洋美術館
国立西洋美術館という場所は、国立という名称でありながら、基本的には海外、それも西洋の芸術家の作品を収蔵している美術館だった。それは、特殊だとも思えるが、そんなことを考えるようになったのは、ここで行われた企画展を鑑賞してからだった。
この展覧会の中で、個人的には以前からずっと気になっていた弓指寛治というアーティスト(本人は絵描きと言っているが)の作品が圧倒的だった。
それから、少し経って、トークイベントがあるのを知った
「美術はひとを救えるか」という大きすぎるタイトルに対しては、やや戸惑いもあったものの、それでも、国立西洋美術館で初めて現代美術の展覧会が行われたこの時期に弓指氏がどんなことを語るのか。それもゲンロンの東浩紀や、現社長の上田洋子が話を聞くということも知り、急に行きたくなった。
午後7時から始まるイベントは、おそらくは午後11時は超えるはずだ。だから、妻とも相談して、それでも大丈夫ということになったので、出かけることにした。
個人的には、4年ぶりのゲンロンカフェだった。
ゲンロンカフェ
夕方にビルの一階にある外食のチェーン店で食事をし、それから、そのビルの6階に上がる。エレベーターは記憶にあるままの古く狭い作りだったけれど、6階のトイレに行ったら、以前と比べると違う場所のようにきれいになっていた。
ゲンロンカフェは、中に入ると、イスが性能アップしていたようだし、クッションもあったし、4年もあったのだからさまざまな変化も他にもあるはずだけど、中に入って、コーヒーを持ってイスに座っていると、その中の空気感は変わっていないと思った。
壇上には、すでに弓指寛治氏と、東浩紀氏がいて、すでに話が始まっている。それは、まだトークイベントの本番ではないのだろうけれど、そこでの言葉の端々ももちろん聞こえてきていて、やっぱり気になって、しばらくずっと見ていた。
午後6時40分くらいに会場に入ったら、だいたい20人くらいの人がいた。それが、イベントが始まるまでには60人ほどになっていた。
やはりある程度の人数がいて、一緒に同じ場所で、同じ話を聞く方が、気持ちが少しずつあがっていく。
ちょっとワクワクしていて、この感じは、オンラインとは違って、微妙な緊張感もあるものの、やっぱり来てよかった、と思えた。
トークイベント
午後7時に時間通りにイベントは始まった。
こんなにきっちりとスタートしたことは、ほとんど記憶になかった。
弓指寛治は、あいちトリエンナーレで、自作の解説をしてくれていた姿を見たのが2019年だったから、こうして直接話す姿に接するのは、やはり4年ぶりだけど、その間に明らかに活躍を続けていて、そのうちのいくつかの展覧会は見に行っていた。
だから、変化しているのかもという予想をしていったのだけど、壇上で話す弓指は、今回の国立西洋美術館での展示に対して、その意味づけと、さらにはかなりの高い評価をする東浩紀の言葉への反応に、いい意味でのぎこちなさを感じた。そして、誰かが話すときは、その相手をまっすぐに見つめていた。
それは、初心を忘れていない姿にも見えた。
そこから4時間、豊富なスライドを見せながら、今回の国立西洋美術館の展示のことを中心にして話は進んだ。展示を見にいった人でも楽しめるように、という弓指の言葉通りの時間だったし、できたら、このトークを見てからでも、展示を見たことがない人は、見にいった方が伝わってくるものは確実に豊かになるとは思うけれど、それでも、このイベントだけでも、見る価値があるものだと思った。
当初はホームレスをテーマにしてください、と学芸員からの依頼があり、そこから何のツテもないところから始めて、山谷に通い、そこでドヤの住民の人たちを支援する団体の人や、ケアする訪問看護ステーションの看護師の方たちと出会って、その人たちの助力があって、今回の作品を制作することができた、という話だった。
いわゆる制作の裏話という内容も多かったが、それは何かを隠したり、といったニュアンスはなくて、展示をしたあとのエピソードなども語られて、こうした表現は安直かもしれないが、それは感動的といっていいものだったけれど、それも弓指本人から押し付けがましく提示されたのではなく、受け取る側が感じたことだった。
何しろ、「美術はひとを救えるか」というタイトルを弓指自身は嫌がったらしい。救うつもりでやっていないし、救えるとも思っていない、といったことを言っていたし、その言葉で信頼感が増したけれど、それでも、結果として救われた人はいたのではないか、とも思っていた。
観客
弓指が最初に山谷へ行って、そこからかなりのサポートをしたのが山谷で活動する特定非営利活動法人「山友会」であり、訪問看護ステーション「コスモス」だった。それは、今回のトークを聞くと、よくそこまで協力をしてもらえた、と思えるようなことだったし、支援とは何か?といった本質的なことまで考えさせられる時間でもあった。
そして、その「山友会」も「コスモス」も弓指によって絵画になり、作品として美術館に展示されていた。そのモデルになった人たちも、今回のトークイベントにも参加して、さらには終盤にはコメントまでしてくれた。
作品を制作することで、そのモデルとなった人たちと、その後も良好な関係を作ることは、実は難しいとも思えるし、だから、そのことを自然に成立させているのも凄いと思えるが、そうした関係者の言葉も含めて、とても気持ちに伝わってくるもので、トークイベントが(言葉にすると安っぽくなってしまうが)ここまで深く感動的なものになるのは、とても稀なことだと思った。
私自身は、午後11時を過ぎ、終電が気になる頃に本当に残念ながらゲンロンカフェをあとにしたが、どうやらその後も1時間くらいはトークイベントは続いたようだった。
本当ならば、展覧会を見た後に、トークイベントを見た方がいいとは思いますが、もし、国立西洋美術館に来られないとしても、アーカイブは半年ほどは視聴可能な予定なので、映画一本分よりも高いかもしれないけれど、それだけの価値はあると思います。
今を生きているすべての人たちにおすすめしたいと思っています。
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