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『天命』を知ることは「経験」比例する~論語(為政第二(4)) 381(さわいち)ブログ vol.46

3/28(木)曇り☁
今日の章句は、孔子が70歳を過ぎて、自身の生涯を振り返ったものです。

若い頃は誰でもエネルギッシュで、やりたい事が沢山あって「自分、自分」と自己中心的になることが多いです。

しかし年を取ると、自分は他人に支えらている存在であることを知ります。

更に年を取ると、自分は天の下で生きている存在であることを知ります。

学而第一の9番目の章句で『我々の身体は借り物である』という概念がありました。

『自分の思うようにはならない』
『仲間に支えられて生きている』
『そんな私の天命は何なのか?』

『天命』に気づき、『天命』『志』とすれば、人の話を聞いても「自分、自分」のような言動にならない。
『志』を持った人が意のままに行動しても、それは『徳性』を持った人だと孔子は語っています。

真理の受け入れが自然に出来るようになったのは60歳になってからのことだと言います。
『天命』を知るのは遅効性なのですね💪
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『子曰、吾十有五而志于學。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲、不踰矩』
しいわく、われじゅうゆうごにしてがくにこころざす。さんじゅうにしてたつ。しじゅうにしてまどわず。ごじゅうにしててんめいをしる。ろくじゅうにしてみみしたがう。しちじゅうにしてこころのほっするところにしたがえども、のりをこえず
(訳)
先師がいわれた。「私は十五歳で学問に志した。三十歳で自分の精神的立脚点を定めた。四十歳で方向に迷わなくなった。五十歳で天から授かった使命を悟った。六十歳で自然に真理をうけいれることができるようになった。そして七十歳になってはじめて、自分の意のままに行動しても決して道徳的法則にそむかなくなった」
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今日も一日お疲れさまでした✨


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