ミツメウナギ

灰へ

ミツメウナギ

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20240622

支離滅裂とした殴り書きである。 慢性的な窒息感と、混乱と諦念の対流。 26で死ぬと、ふと自身の末を直感した、高校の頃の私が囚われていたこの真綿に、未だ絡め捕られたまま、気付けばあと1年。 子どもたちは夜と遊ぶ。 懐かしい本を手に取った。齢だけ重ねたからこその景色の変化はあった。子ども。夜。薄暗いフィルムを通した世界を、追い求めるも虚しい月を信じて泳ぐ。刹那的に。背後に寄り添う種々の灯の全てを視界から除けて、破滅的な我儘を大事に抱えてゆく。 ねえ、あの日の私。 私は生きて

    • 或深夜

       保冷庫から、昨日保存しておいたタッパーを一つ取り出す。  鮮度は多少落ちてしまった。円やかになった彩りと臭気からは継続した満足を得ることが難しい。追憶の熱を込めて、少しずつその吐瀉物を呑下す。元は私のものではない、顔も知らぬ貴方との共反芻。舌上に、嚥下し喉に、鼻腔に広がる風味は自傷に似た満足感をもたらしてくれる。刃を仕舞った後の冷静さではない、宛がって徐に引き始める当にその瞬間の焼き付くような満足。世の如何なる美食を以てしても得られぬ、堪える程に濃く淀んだこの生の味を欲す

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        • 聢と験た、泥の感覚。 想像以上に、私は近づいていたと知る。

          Doppelgänger

           これから先を、代わりに生きてくれる人間を欲していた。私が死ぬことできっと壊れてしまうであろう唯二人だけが枷だから。その枷がいずれ消えゆく、その時を待つことさえ苦痛だから。私に宿る21gの本質を殺して、空いた隙間に幻を詰め込めてしまえたなら。そう願っていた。  死を共有つ存在を欲していた。生の美徳に縛られず強要することもない、退廃的で消極的に虚無な誰かと愉しく沈んでゆきたかった。微少にでも輝きを残す存在はその相手には相応しくない。詰まるところ、己の鏡像くらいでしかその条件は

          フラクタルと辺上の世と、語らむとす一人と。

           物心ついた時には既に、身の回りの事象を秤る癖が付いていた。常にある種の天秤に自身の行動基準を置く、そんな人間だった。  生じ得るリスク、望める成果、精神的な充足感、身体的疲弊、投資物、将来性・持続可能性の有無と程度、等々。総合的に判断し、及第点とそこそこの一般性を兼ねた結果に至るよう行動を起こす。彌(いや)に奇を衒うことはしない。評価が不確定になりすぎることはなるべく回避して、大衆の受けが良いであろう方向に身を委ねる。  そんな人間が、男子校などというかなりの異質に身を

          フラクタルと辺上の世と、語らむとす一人と。

          褥瘡

           汚らわしい光景を目の当たりにして漸く、貴様の無能を滓まで呪うのだと。良不良問わぬ帰納性の連続が、所詮は私の知覚し得る私の人生と現在であることを。私は分かっていた。世間の扱いでは短い精々二十数年の、しかしながらこの両の手で掬うには無理のある四半世紀弱の中。嫌という程に、分からされてきた。  残酷にも、理解と行動は同伴しない。己が矮小を咀嚼し反芻する、その行為を、繰り返す。繰り返す。脳に、身体に、刻み付けながら、繰り返す。繰り返す。繰り返す。繰り返す。………… 繰り返して、知

          ひととせの夢に入る

           事故物件に住みたいと思ったのは、ちょうど一週間前だ。  その名は誰もが知っている。しかし、実際に住んだことのある人間は存外少ない。それとはまったく縁のない人生を歩みながら過剰に恐怖を抱く者や面白半分にオカルトをばら撒く者を除けば関係者は表向きの半分も残らないだろう。  四月から地方の大学に通うこととなり、私は今現在大学付近の住居を探しているところである。家賃は安いに越したことは無い。勿論、最優先は生理的欲求がどこまで満たされる環境かという点だが。  そういった意味では

          ひととせの夢に入る

          雨の中、証明写真を撮りに家を出る。写真機に写された自分を見てから気付いた。そういえば、四ヶ月もの間髪を切っていない。せめて清潔感だけはきちんとしなければと無理矢理に髪を耳に掛けて後ろに流す。いざ撮ると、物凄い違和感。早めに切っておけば。でも、伸ばしていられるのも今だけなのだろう。

          雨の中、証明写真を撮りに家を出る。写真機に写された自分を見てから気付いた。そういえば、四ヶ月もの間髪を切っていない。せめて清潔感だけはきちんとしなければと無理矢理に髪を耳に掛けて後ろに流す。いざ撮ると、物凄い違和感。早めに切っておけば。でも、伸ばしていられるのも今だけなのだろう。

          光彩

           冬の草原、蜻蛉の群れに囲われる。さながらこの国の季節を知らぬ一芸術家の作品のような非現実。とはいえ動揺はない。夢の中では不思議と焦りも緊張も、不安定な感情が往々にして欠落しているものだ。私は恐らく私自身の現実での経験から生み出された半端にリアルなこの夢を、穏やかに達観する。  視界に光彩がちらつく。蜻蛉の翅の異様な輝き。これもまた現実と乖離した風景だ。輪郭の不明瞭なくすんだ虹の色彩とでも言おうか。それも絵画の色彩の系統ではなく、電子的な鋭さを孕む光彩。見ているだけで指の先

          風船

           ああ、割れる。  予兆に反して、それは呆気なく、見窄らしく萎んでいった。寧ろその方が有難い。割れた時のあの音は心地の良いものではない。それこそ初めの頃は毎度の様に怯々していたものだ。今ではもうその感覚も麻痺して、たかが日常の雑多の一片と化したが、それでも多少不快なものは不快なのである。  目の前のそれは、その彩色に似付かぬどす黒い風を勢い良く放ちながら地に傾れてゆく。気儘に浮遊する姿はもうどこにも無い。重力に圧倒され、その身を縛られゆく無残なこと。  完全に体積を失っ

          地底の月

           あの日、ぼくはお月さまをひろった。  いつものように、幼稚園に行って、先生と遊んで、みんなと追いかけっこをして、お弁当を食べて、そのあともたくさん遊んだ。りくくんはとってもサッカーが上手で、ぼくは一回もりくくんからボールをうばうことはできなかったけど、でもとっても楽しかった。明日もサッカーしようねって約束して、それで、家に帰っていたとき。いつも通る道に、なんだかピカピカ光っているものを見つけた。丸くて金色で、でもあちこちデコボコがあって、ずかんで見たお月さまにそっくり。く

          朱殷

           何故闇に眠る。  なぜ人は暗闇に身を休めるか。幼き頃、毎晩のように考えていた。当時の私は暗闇が怖かった。灯は私の視界を、私の世界を優しく包み込み、道を照らしてくれた。リビングには照明が灯っていて、それはすなわち父か母かがそこにいるという証であり、姿が見つからないときは大抵、他の灯に吸い込まれるように恐恐と足を進めると、そこにはやはり誰よりも見慣れた顔があって、不安も恐怖も霧散する。意識せずとも、そんな光景が余りにも救いとなっていた。しかしその光明と表裏一体に、暗闇は狂いな

          脱殻

           マトリョーシカ。名前はよく耳にするけれど、実物を目にしたことは、ない。  人形の器を開けると、中から先程と似たような人形が現れる。その人形を開けるとまたもや人形が。初めてそれを知ったとき、なんともいわれぬ面白さを、愉快さを抱く。想像の枠の外の事象。開けても開けても同じ顔。そして結局、なぜ人形を重ねているかということは誰にも分からない。なぜ個としてそれぞれが現出しないのか。知る者はいない。こういった不可思議に興味をそそられる。微笑む。愉しくなる。  傍から見たら、そうだろ