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【アラサー独身OLの焦りと休職#1】うつ抜けを目指して今日からnoteを始めます

はじめに〜noteを始める理由〜


人のnoteはたくさん読んできたのに、
自分は書き始めようなんて今まで1度も思わなかったnote。

でも心のどこかでは本当は書きたかったnote。

似ている境遇の方のnoteをみると、響く言葉が多くて、
どうせ書くなら私も誰かの心に響くような文章を書きたい。

こう思ってしまう自分の傲慢さゆえの生きづらさに気づいてから、

「誰かのためではなくて、まずは内省をするために書いてみよう。
結果として誰かにも届くといいな」

という考えに落ち着き、今日から始めてみることにした。

書こうと思いたった理由は、
本当は話したい心の中のことを誰にも話せないから。
話せないことで、慢性的なうつ状態が続いているから。

書くことで自分のことを内省したい、結果としてうつ抜けしたい。


現在メンタルダウンで休職をしている。
でも、このことを知っている友人は少ない。

本当の心の中のことを近しい友人や家族に相談できないのだ。
というか、人への頼り方が全くわからないのだ。

よく「いつも明るくて、笑い上戸で、悩みなさそうだよね。
そんな風に生きていきたいよ〜」と、
悩み相談を受けることが多い。
こんな風に、周りが思ってる私と、本当の私は全然違う。

心の中のことを偽りなく吐き出せる人は、つよい。
たとえ悩むことがあっても、人に話すことで内省されて
何どうすればいいか結果として整理がつくし、
何よりもストレス発散にもなる。

でも吐き出せないと溜め込んだままだ。
ずっとそんな生き方をしてきた。でもこれを悲観視したいわけでも
自分を不幸な女扱いしたいわけでも何でもない。

とにかくそんな自分を変えたい、と思い立って
今日からnoteを書こうと思っている。
友人からみたら、
悩み事がなさそうな独身OLの赤裸々をこれから毎日綴っていこうと思う。

1.プロフィール(#経歴#価値観について)

1992年生まれ今年で31歳。
独身、都内で一人暮らし。
大学卒業後、大手総合職OLとして働いていて、
年初めから休職中。

仕事は正直うまくいっていないわけではなかった。
賞を何度か受賞したり、昇給したり、
査定も毎年プラス評価だったし、
そこそこ仕事は頑張っていたつもりだった。
(そうやって、自分の過去の栄光に縋りたくて、今書いている。
休職をしてしまうような落ちこぼれだったと自分を否定したくなくて、
誰にも求められていないのに、書いている。とっても情けない話だ。)

仕事を頑張る理由も、2の生い立ちにつながる話だが、
「自己肯定感の低さ」ゆえのものだった。

「誰かに必要とされなければ自分には価値がない」
「誰かに認められなければ自分には価値がない」
「給料=自分の値段。だから上げ続けなければならない」

いざ文字にするとゾッとするが、そういう価値観だった。
今もそうなのかもしれない。
それが自分の生きづらさとなり、人生に疲れて休職をしてしまっている。

自分の悩みは誰にも打ち明けられなかった。
誰にもわかってもらえるわけがないと思う諦め。
そして、自分の不の話をすることで、自分をさらに
「価値のないもの」「腫れ物」と扱われないか、怖かったんだと思う。
こういう状態のことを「プライドが高い」というのかもしれない。

友人の前では、ただただ明るく振る舞う。
まず、そもそもすっごく根暗なわけではない。
普通に冗談もたくさんいうし、毎日深刻に悩んでいるわけでもない。
でも、慢性的に心のどこかにシコリがあるような感じ。

どうしてなのか?自分の心について勉強したくて、
キャリアコンサルタントの養成講座に通ったり、
今も通信講座で心理学の勉強をしている。

結論、とにかくこの自分から脱却したいのだ。
生きやすさを求めて、
だからまずは自分を内省するために、ここに書き記していこうとしている。

2.生い立ちの話
(#母子家庭#生きづらさ#休職へ)


もともと4年前まで、母と弟と3人暮らしをしていた。
今はそれぞれ別々に生活をしている。そして今年弟は結婚する。

3人一緒に生活をしている時は、
警察沙汰になるような大喧嘩を毎日繰り返していたような暮らしだった。
母とも、弟とも最悪な関係だった。
一緒に暮らしていた2019年まで家族がしんどかった。
離れて、2〜3年経って、やっとお互いを尊重できるようになった。
母とは、今ではメールや手紙でやりとりできるようになった。
弟とも、いい関係になって、弟も定職について、今は結婚相手がいる。
あの時は本当に本当に本当にしんどかった。

生きづらさの原因は、家庭環境起因なのだと思う。
職場うんぬんの問題じゃない。自分の歪んだ思考のせいだと思う。
振り返ってみると慢性的なうつ状態はこの時からあったように思う。
____

物心ついた時から、母子家庭という環境で育った。
祖父母の家でお世話になり経済的には何不自由ない生活を送っていたが、
中3のタイミングで、母の仕事の関係で東北から関東へ引っ越した。

高校生になったタイミングで、母の体調が悪くなり働けなくなって、
生活費がろくに払えない家庭環境となった。
インフラが止まるような状態で、半年ほど福祉のお世話になった。
そんな境遇がとても恥ずかしくて、しんどくて、
人間としての価値がないように思えて、どうにか抜け出したかった。

そこからアルバイトをがむしゃらに頑張って3人暮らしの家計を支えた。
高1〜社会人5年目くらいまで、3人の生活費を稼ぎ続けた。

こんな状況だったから、高校時代は、
大学にいくということも考えたこともなくて、
就職するか将来稼げそうな自衛隊看護学校にいこうとしていた。
そもそも大学という場所がどんな場所かもわからない、
バイトに明け暮れる高校生だった。

身体と精神を壊した母の存在に、ずっとしんどさを感じていた。
片親として、子供2人を育てることの大変さは重々理解していた。
インフラが止まることは当たり前だったし、
なにより「死んでしまいたい」と毎日母が泣いているのが辛かった。

大好きな母に死なれては困ると、とにかく必死だった。
高校が終わればすぐバイト先に向かい、毎月10万弱を稼いで、
ほとんどを3人暮らしの生活費に回していた。
それでも、福祉に頼ることの恥ずかしさ、制限の多さに比べて、
自力でお金を稼ぐほうが精神衛生上よっぽどよかったし、
バイト先で一緒に働く仲間やお客さんに感謝されることで、
自分の精神を保っていたように思う。
やりがいや生きがいを感じていた。

母と同性で、かつ長女ということもあり、
私を頼もしく思ったのか、母は次第に私を頼るようになった。
それくらい私は責任感が強い娘だったと自分でも思う。
最初はそれが嬉しかった。

ただ、こんな環境からとにかく逃れたいと思って、
女性でもお金をちゃんと稼ぐための道に進みたいと思った。

小学生の時から読書が好きだった私は、
たまたま読んだビートたけしさんの本に「貧乏の輪廻は教育で断つ」
という、ビートたけしさんの母親の言葉に影響を受けて、
選択肢になかった「大学」に進んだ。もちろん奨学金で。

いつか家族を楽にしたい、というモチベーションだった。
でも、その想いとは裏腹に、
どんどん母はエスカレートして、アルバイト代や、奨学金を無心した。
勝手にクレジットカードを使われたり、
お金を渡さないと機嫌が悪くなったり、包丁を向けるようなこともあった。

あの時の母は、精神疾患だったのだろうと思う。
今でいうところの「毒親」と呼ばれてもおかしくないような母だった。
とにかく、この家族から逃れたいという気持ちを持つようになった。

このような家庭環境だったこともあり、
弟も高校卒業後から引きこもりになった。
3人生きていくための生活費は高校時代から社会人になるまで、
全部私のアルバイト代と奨学金で賄っていた。

大学に入ってもアルバイト三昧で、
描いていたような大学生活を送ることができなくて、
「早く社会人になって、お金を稼げるようになろう」
「認められるような人になろう」
「今苦しいんだから、社会人になったら絶対に報われてやる」
とにかく社会人になってからの将来の自分に期待をした。

過去の自分の生い立ちがコンプレックスに感じすぎて、
就活も誰よりも力を入れた。
大学1年生からインターンもたくさん行って、
「今幸せな大学生よりも、絶対に幸せになるぞ」
と、未来の自分に縋りながら、日々過ごした。
大学生になってできた年上の彼氏が地方銀行に勤めることになった時には、
働いて間もないのに、転職を促すような最低な女になっていた。

そして社会人になってからは、
オーバーワークをして、とにかく誰よりも
パフォーマンスをあげて認められようと、とにかく必死だった。

稼ぎたいというモチベーションはもちろんだが、
何よりも、
「こんな生い立ちの自分に価値がないのだから、
誰よりも頑張らないとゴミ以下の存在だ。
ちゃんと認められるようにならないとダメだ。」と思う自己肯定感の低さと
「過去大変だった自分を認めてほしい」という自己愛の強さで歪んでいた。

そんな歪みを持ちながら、とにかく自分を追い込んだ。
でも不思議と追い込んでいる間は、
人からも求められるし、楽しくて、居場所を感じていた。
でも、ふとした瞬間に生きづらさも感じていた。

そして、気づかぬうちに体調不良になり、休職をすることになった。

____
ここまで書いて、胃もたれが半端ない。
みている人も、むしろ不愉快かもしれない。

でも、これは自分のために、書いている。
母も弟も辛かっただろうし、誰かを悪者にしたくて書いてるんじゃない。
誰かが悪いとも思っていない。

とにかく過去の自分をいたわりたいという気持ちと、
なぜ生きづらさを感じているかを、
過去を振り返りながら言語化していきたいから書いている。

暗い話にしたいのではなくて、過去の経験をどうにかこうにか
昇華させたいという想いに縋っている。

3.じゃあこれからどうしていくか
(#うつ抜けに向けて)

ここまで書いていて、お気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、
私は悲劇のヒロインになってしまっていたのだと思う。

今、家族とも離れて暮らしているし、もう自分のために生きれば良い。
奨学金の返済もあるけれど、払えない程苦しんでいたわけじゃない。
それでも、生きづらさを感じていたのは何なのか?

もしかしたら、
「こんな過去を経てきた自分はもっと幸せになるべきだと思う」
という強い傲慢さからくるものなのではないかなと思う。
とにかく自己愛が強い人間なのだと思う。はあ、しんどい。
仕事で思うように結果がでなければ、
「何で私の頑張りをみてくれないの、こんなに苦労してきたのに」
と自分が世界の中心にいるかのように、
上司を、会社を、世の中を憎んでしまっていたように思う。

そんな自分から、脱却したい。
もう自分のことを自分で認められるようになりたい。


じゃあなにをやるか。

①早寝早起き

休職してから、11時くらいに起きてしまっていた私は、
5日前から「早寝早起きチャレンジ」というものを始めて、
毎日朝5時台に起きるようにした。
そこから、心の調子が少しずつよくなってきた。

きっと、朝早く起きることによって、
小さな達成感が積み重なった結果だと思う。
これをまずはこれを習慣化していこうと思う。
ただ早く起きればいいのではなくて、睡眠もしっかり取ること。
そのためには早寝も大切になる。まずはこれをやりきろう。

②内省をすること(note)

書くことで、自分の感情を整理することができる。
今まで紙に書いていたが、早寝早起きで気持ちが前向きになったことで、
今まで興味があったnoteをやってみたいと思うようになった。
そして今書いている。
6月の1ヶ月間は毎日書き続けていこうと思う。
かっこいい言葉でまとめようとしないで、赤裸々に、自分の言葉で。

③日光を浴びること

今、実は一人暮らしをしながら犬を飼っている。
もともと3人暮らしをしていた時に、
母の精神状態が良くなるように、里親として引き取った愛犬。
実際毎日泣き叫んでいた母は、愛犬と出会ってから
表情が明るくなったし、私にも優しくなった。
結果的に、家族バラバラで暮らすことになり、私が育てることになったが、
愛犬は我が家の救世主だ。
だから、1人暮らしになってからも大切に大切に育てている。
毎日朝夕散歩をしているが、ちゃんと日光を一緒に浴びて、
セロトニンをしっかり分泌させようと思う。

④没頭できることを増やすこと

正直何をすればいいか、まだ定まっていない。
だからこれから見つけていく。
読書はずっと好きだから、最近は小説を読んだりして過ごしている。
でも、休職して間もない頃は、文字が全然入ってこなくて、
集中力もなくて、読書が全然できなかった。
まだやっぱり、読み続けるとしんどくなる時があるから、
読書以外の没頭することをもっとたくさん作りたい。

体を動かすことが大好きなので、筋トレもしようかなと。
あと7月からは、パデルというスポーツをスクールで習う予定だ。

「ネガティブの反対はポジティブではなく没頭だ」という
オードリー若林さんの言葉が結構刺さっている。
たしかに没頭している時は、悩んでたりしない。

みなさんのおすすめの没頭があれば、ぜひ教えていただけると嬉しいです!

そんな感じで、
文字にしてみたら、また前向きな気持ちがでてきたぞ・・・!
自己満のためのインプット、続けてうつ抜けするぞ〜〜〜〜



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