「お天道様は見ている」

わたしは、自分で頑張れていないと常に思っている。

見た目は健康なのに、健康な人ができていることができていないし、正直社会不適合者だという自覚もある。

だけど、障がいを持っていても、社会不適合者だと自覚していようとも生きていくには働かなければならない。

そして、何よりも、今後生きていく上でわたしがわたし自身を理解し、許すということが必要だ。

ある日、支援してくださっているスタッフさんから
「Nagomiさん、何か調子悪いね。何かあった?」
と聞かれることがあった。

わたしは、仕事であったり就労移行支援の訓練などに対しては身体的な負荷は勿論あるけれど、精神的な負荷はそこまでない。
披露が溜まって精神面も下がることはあるけれど、基本は「業務(もしくは訓練)の一環だから仕方ない」と割り切ることがある程度はできていると思っている。

人間関係が近しくなればなる程、わたしは精神的にコントロールできない面があるらしい。
基本的に、就労移行支援に通うというということは、わたしは自分の課題であったり障がいの部分をある程度は提示する必要があると思っている。
全スタッフが把握しているわけではないので、何度も同じことを言うことはとても苦痛に感じるが、先述のスタッフさんはうっすらとしか事情を知らなかったので詳細を話した。

その時に言われた言葉は、こんな感じだった。


「お天道様は見てるから。今Nagomiさんが頑張っていることはいつか報われる時がくるし、Nagomiさんを傷付けた人には何かしら返っていく。」

わたしは、自分が頑張れていないと思っていた。
周りの知人や親戚からも「お前なんか甘えてる」と言われ続けられていた。

どんなに必死になっても、頑張っても、認められない存在なんだわたしは。
それは今でもそう思っている。

けれど、この言葉に救われた気がしている。
こんなわたしを支援してくださっているスタッフさん達からは、わたしは頑張っていると見えてるのかと思えた。

初めて、わたしを人として認めてもらえたような気がした。
そこには、ありがたい気持ちと、申し訳なさがあった。
言葉の持つ力は、わたしには過剰な程プラスにもマイナスにも作用してしまうということを改めて感じたのであった。


他人がなんと言おうが、わたしは、わたしのペースで沢山の人に支えられながらこの世に踏みとどまれているんだ。
新しいわたしになる為に、スタートラインに立つために、前を向こう。


お天道様は、ちゃんと見ているから。
旅立ってしまった大事な人達も、きっと見ているから。




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