第41回 『旅する練習』 乗代雄介著
こんばんは、JUNBUN太郎です!
今夜も「読書はコスパ最高のコスプレです」のお時間がやってきました。本は自分以外の人間になりきる最も安あがりな道具。この番組では、リスナーのみなさんから寄せられる、読書体験ならぬコスプレ体験を、毎週ひとつご紹介していきます。
ではさっそくリスナーからのお便りをご紹介しましょう。
ラジオネーム、ことりっぴーさん。
JUNBUN太郎さん、こんばんは。
今年の春、僕はいったい何をしてたんだろう。振り返っても、そこにはぽっかりと穴があいてるようです。思い出せるのは、品薄になったマスクやトイレットペーパーを探し回ってたことくらいで、予定してた旅行はキャンセルだし、毎年恒例だったお花見は流れちゃうし、テレビでは卒業式や入学式が自粛されたっていうニュースをやってて……僕だけじゃなく世の中ぜんたいが何かを失っちゃったような、そんな感覚を抱いてました。
そんな僕は最近、ある本と出会いました。
『旅する練習』という小説です。
小説家の「私」は、サッカー少女である小学6年生の姪っ子 亜美のために、鹿島アントラーズのホームゲームを観戦しに行くっていう旅行を計画してました。ところが、新型コロナウィルスの感染拡大で、状況は一変。旅行は白紙になりかけちゃうんですけど、通ってた小学校が休校になったうえ、所属するサッカークラブの練習も最後の試合も中止になってしまった亜美をかわいそうに思う「私」は新たな旅行のプランを立てるんです。それは、サッカーの練習をしながら、鹿島まで歩いて目指すっていう旅。小説家である「私」にとって、その旅は、道すがらの風景を言葉で描写していくっていう、執筆の練習でもありました。
「旅する練習」というそのタイトルから、僕ははじめ、旅をするための練習っていう、コロナ禍ならではの擬似旅行つまり本当には旅行しないんだって解釈していたんですが、実際にはそうではなく、「私」と亜美はリアルに家を出発して、川沿いを鹿島に向かって歩いてる。本当の旅。つまり、練習が旅しちゃう。なんてポップなタイトルなんだ! どうにもワクワクが止まりません♪
3月9日から始まったその旅は、亜美が川沿いをサッカーボールでドリブルやリフティングをしながら、叔父の「私」が目にする風景を書き記しながら、進んでいきます。
道中のキラッキラした景色がまるで目に見えるようで、亜美の蹴るサッカーボールの音が耳に聞こえてくるようで、僕は、失われた春をもう一度やり直すような気持ちで、夢中になって旅路を読み進めていました。
ところで、この小説は、旅を終えた「私」が過去の思い出として振り返るような体裁で綴られていくのですが、時折、感傷ともとれるような文章が出てくるんです。よくわからんけど、なんかエモいなぁーなんて思いながら、僕は楽しい旅路をどんどん先へ先へと急ぐように夢中で読んでいきました。そして、最後の最後でとんでもない事実に気がつくのです。まったくもって迂闊でした。
僕はすぐに始めから読み直しました──
サッカーが大好きな姪っ子とのかけがえのない旅を綴った『旅する練習』をまだ読んでいないというリスナーの方は、ぜひ読んでから、続きをお楽しみください!
亜美ちゃん、とってもすてきな女の子なんです。
いいかげんで、がさつなところもあるんだけれど、それが魅力的にみえてしまうほどサッカーがとにかく大好きで、サッカーがうまくなりたくってしかたがない。サッカーだけじゃなくって、人に対してもとことんまっすぐで、熱い心の持ち主。器がね、めっちゃ大きいんです。将来、亜美ちゃんはぜったいプロサッカー選手になるんだろうなーなんて読んでたんです。
だからこそ……2回目に読んでいくと、どうにも胸が詰まりそうでした。叔父の「私」がどうして、この旅を小説として書くことにしたのかがだんだんとわかってくる。それを書き上げることの覚悟や、その背景にある想いがいまさらのように文章の端々に見えてくるんです。例えば「私」のこんな感慨;
そして、本当に永らく自分を救い続けるのは、このような、迂闊な感動を内から律するような忍耐だと私は知りつつある。この忍耐は何だろう。その不思議を私はもっと知りたいし、その果てに心のふるえない人間が待望されているとしても、そうなることを今は望む。この旅の記憶に浮わついて手を止めようとする心の震えを静め、忍耐し、書かなければならない。後には文字が成果ではなく、灰のように残るだろう。(作中より引用)
この小説を書き始め、書き終えるまでずっと、「私」が持ち続けてきたのは、旅に心浮かれてた過去の自分と距離を置き、いま抱える感情を制御しながら、冷静に筆を進ませるっていう忍耐だったんだなー。
旅の中盤で、川沿いの土手にカワウっていう鳥の死骸をみつけるシーンがあるんですが、その場所に「私」は旅行から2ヶ月以上あとになってわざわざ訪ねて、その時の回想を織り交ぜながら風景を描写するんです。それで、あの旅について書かなければって自分を鼓舞する。
楽しかった旅の記憶を、もう一度「私」は書くという方法で辿り直したってことなんですよねー。そのことに気づかないなんて、僕はとんだうっかりさんでした。
読書に慣れてる人だったら、この作品を1回読んだだけで、まるっとわかっちゃうのかもしれません。僕は2回読んでようやくここまでたどり着きました。
でも、思えば、そのおかげで、1回目の読書では、その旅の最中に味わった「私」の気持ちを、2回目はいま現在の「私」の心境をそれぞれ体験(コスプレ?)できたのだから、一粒で二度おいしかったのかもしれません! 僕めっちゃ前向き笑 この前向きさは、スーパーポジティブな亜美ちゃんの影響かも涙
この小説を読んで、僕は日記をつけることにしました。僕は小説家ではないから、僕の書いた文字が活字になって誰かに伝わるわけでも、後世の人々に残されるというわけでもないけれど、喜びとか悲しみとか怒りとか、そういう日々の感動を忍耐でもってきちんと書き付けておくというのは、僕自身が生きていくためにも必要なことなんじゃないかなーと思いまして。もし、あの春、日記をつけていたら、ぽっかりとあいた穴のようだった僕の一日一日にも、何かやり過ごせないリアルが発見できてたのかもなーなんて。
僕の日記が三日坊主にならないことを、太郎さん、祈っててください!
ことりっぴーさん、どうもありがとうございます!
この作品は、読んでいるだけでどこかを旅しているような心地にさせてくれる、とっても生き生きとした情景描写が連なっているんですよね。とりわけ、道すがら出会うさまざまな鳥たちには心が癒されました。
また、旅先の土地にゆかりのある田山花袋や柳田國男などによる文学作品が引用されながら(さらにはサッカーの神様ジーコまで!)「私」の心が深く深く掘り下げられていく。この辺りは、作者の得意技というか、乗代ファンにはたまらない魅力ですよね。
ことりっぴーさんの日記がずっと続くように祈ってます! 読書日記をつけるのもオススメです!!
それではまた来週。