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第14回 『薬指の標本』 小川洋子著

 こんばんは、JUNBUN太郎です!

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 今夜も「読書はコスパ最高のコスプレです」のお時間がやってきました。本は自分以外の人間になりきる最も安あがりな道具。この番組では、リスナーのみなさんから寄せられる、読書体験ならぬコスプレ体験を、毎週ひとつご紹介していきます。
 ではさっそくリスナーからのお便りをご紹介しましょう。
 ラジオネーム、わたしさん。

 JUNBUN太郎さん、こんばんは。
 わたしは、高校2年生です。
 このまえ、授業で読書感想文を書くという課題が出されました。クラスメイトたちは、本を読むこと以前に、どの本を読むか選ぶことさえも面倒臭そうにしていましたが、わたしの心は決まっていました。

『薬指の標本』という小説です。

 わたしはこの本と学校の図書室で出会いました。なんとなく手にとった文庫本の表紙に惹かれて、読み始めると、もう止まりませんでした。それまでわたしはこれを書いた小川洋子さんという作家のことを知りませんでしたが、以来、彼女の作品を夢中で読み漁りました。どの作品もお気に入りですが、やはり、一番初めに出会ったこの本はわたしにとっては特別な存在で、感想文を書くなら、これしかないと思ったのです。

 学校から帰宅して、わたしはそのまま二階の自室へと駆け上がりました。
「帰ったのならただいまくらい言いなさいよ?」
 階下から母の険のある声が聞こえました。
「ちゃんと言ったし」
「聞こえなかったら意味ないでしょ?」
「そういうのウザイよ」
 ここのところ母とはいつもこんな調子です。
 ドアをばたんと後手に閉め、わたしは早速、机の上に原稿用紙を広げました。作品のタイトルと自分の名前を記してから、天井を見上げること1分、5分、10分──。いざ感想を書こうとすると、うまい言葉がひとつも浮かんでこないのです。気分転換しようと思い、洗面所で顔を洗って部屋に戻ると、まさか母が机の上の原稿用紙を覗き込んでいました。
「ちょっと! 勝手に見ないでよ!」
「見ないでって、まだ何にも書けていないじゃない。書けないの?」
「うるさいな。放っておいてよ」
 わたしは母の背中を無理やり押して、部屋から追い出しました。

 原稿はいっこうに進みません。
 すると、ドアをノックする音がします。
「お母さんだけど、ちょっといい?」
「もう、邪魔しないでよ!」
 文句を言おうと、ドアを開けると、母はどこか照れくさそうな笑みを浮かべています。その手には、なにやら古びた単行本が握られています。みると、そこには、わたしがいままさに感想文を書こうとしているのと同じタイトルが記されていました。

 どこか不思議な標本室で働くことになった女性の密やかな恋を綴った物語『薬指の標本』をまだ読んでないというリスナーの方は、ぜひ読んでから、続きをお楽しみください! 

 

「わたしもちょうどいまのあなたと同じ年の頃にこの本と出会って、夢中になったのよ」
 何度も読み込んだような、それでいて大切に長いあいだ仕舞われていたとわかる本を手にしながら、そう打ち明ける母に、わたしははっとさせられました。
 母はわたしが物心ついたときからずっと母だったけれど、母には母になる前の時代があったのだ。母にもいまのわたしと同じ高校2年生だった時があるのだ。考えてみれば当たり前のことに、わたしは思い至ったのです。
「わたし、この小説がとても好きなのに……」
 気がつくとわたしは母に悩みを吐露していました。何度も何度も読んだこと。読んでいるうち、主人公のわたしが工場で薬指の先端を切った時の痛み、不思議な雰囲気を放つ標本室をみつけた時の昂揚、弟子丸氏に体を触れられた時の緊張──すべてがまるで自分自身の記憶みたいに胸に刻まれて、そしてまた始めから読んでしまう。けれども、そのようにわたしを惹きつけるこの作品の魅力を言葉にしようとすると──
「なぜだかひとつも浮かんでこないんでしょう?」
「そう! そうなの! どうしてわかるの?」
 胸の内を言い当てられてびっくりしたわたしは、母に訊ねました。すると母は答えました。
「お母さんもクラスメイトにこの本の魅力を伝えようとして、うまく言葉にならなくってもどかしかったことあったから。だからあなたの気持ち、よくわかる」
 それから母はわたしに、無理して言葉にする必要はないとアドバイスしてくれました。やさしい声でした。
 わたしの書いた読書感想文は、予想どおり、優秀作には選ばれませんでした。
 けれども、あれ以来、母とは時折、おしゃべりを交わすようになりました。とりたてて何を話すというわけではありません。今日学校でこれをした、あれをした、というような些細な話です。でも、以前とは違って、お互いに何か同じものを共有しているような感覚があって、いつか好きなひとができたら、話してみてもいいかなあなんていまは思っています。

 わたしさん、どうもありがとう!!
 わかるわかる。うまく言葉にできないんだけど、すんごくいい! みたいな感覚を抱くことってあるよね。
 小川洋子さんの作品は登場人物の特徴や筋書きを超越した、独特の世界観があるよねー。
 それにしても、母娘二代で同じ小説に恋してしまうなんて(わたしさん、それはきっと恋です!)、さすがは小川洋子ワールド! いや、それもさることながら、さすが同じ遺伝子をもった母娘! 本ってほんとに奥深い……。
 お母さんと恋バナ、はやくできますように!!

 それではまた来週。

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