歩いていこう
つい先日のこと。夜中遅くに風の音が強くなり、怖くてたまらなかった。
外の音が怖い。夜はなおさら怖い。
街中に暮らしていたときにはフクロウが啼いたりはせず、風で木が揺れたり空が鳴るのはあまり気にはならなかった。
当たり前に街灯が歩道を照らし、夜でもマンションの作りがしっかり防音されてもいたし、ベランダ越しにはまだ小さなお子さんのいるご夫婦が暮らしていておまけに隣はファミレスだった。
育った町は漁港があったが、港の地区とは離れていて。港近辺は 「はま」 と呼ばれ、私の育ったあたりは 「まち」と呼ばれていた。実家や暮らした家は、すぐ真横には明々と水銀灯が灯る県道があり、目の前にはスーパーも学校もあり表は明るくて県道は夜でも車の交通量も多かった。実家の裏手には田畑が広がっていたがJRの線路もそばにあり、夏はカエルの声とか聞いていたはずなのに。野鳥もたくさんいたし。ひばりが啼いたりメジロやらウグイスやらモズ、ひよどり、木々のざわめきや鳥の羽音には慣れていたはずなのに。 夜が怖い。
更に幼い頃に過ごした家のすぐ近くには神社があり、フクロウやゴイサギもいたのに。
真夜中のベランダは風が唸り白い雪が流れていて真横にある神社のご神木や裏山の木々がざわざわ揺れて雪と一緒に木の葉が舞っていた。R氏は眠っているからイヤホンしたまま音楽聴いたりしながらnoteをひらいたりYouTubeをみたりして外の妖しの囁きのような音にさらわれないようにデパスを噛んでからぬるいお茶を飲んで煙草は我慢した。
その日の夕方は髪も染めた。思うような青みのあるバイオレットがかった色に更に赤いカラーを足して仕上げた。
まだまだ体は本調子ではないのに翌日は朝、R氏を見送ったあと、リュックサックにハサミと新聞紙、水筒に軍手を入れて背中に背負う。
寒い。朝早くには風花が舞っていたが晴れた空は、裏山の木々は私を呼んでいる気がした。
仕事を再開したらなかなか朝の散策は難しくなるはずだ。
冷たくカミソリで肌を切り裂くような冷悧な空気が容赦なく顔の皮膚を刺していく。
寒い。ダウンジャケットのフードをかぶる。
木漏れ日が綺麗だ。
頭の中には、まだ松竹梅飾ってるままだわ。玄関をどうにかしないとカッコ悪すぎ、とか、R氏がこしらえてくれるって約束してくれた有刺鉄線のチョーカー(昔のL'Arc~en~Cielのハイドさんがつけていたやつみたいなの)、この鉄塔の囲いからかっぱらったら泥棒だよねーとか、あ、梅まだ咲かないかな、椿はどうだろうかの他、そして。
私の頭の中のラジオからは朔太郎の詩、「竹」が朗々と誰かの声で詩を読んでいるように流れてもいた。
まずは椿つばき、と藪椿を見に行くが夜の激しい風に花がポロポロ落ちていて、無事な枝には手が届かない。名前がわからないが深い赤茶色の椿はまだ咲いてもいないし大輪の八重咲きのピンクも深紅の大輪の変わった八重咲きのもまだまだ硬いつぼみだった。
うーん、と空を見上げて侘助にしよう、太郎冠者がいい、水仙とろうばいと椿はやはり似合いだ、そーだそーだ古典風でいい、春めいた花を豪華に玄関先に活けようと引き返した。
若松の枝はまだまだ美しいから枝ぶりの面白いろうばい(唐梅 からうめとも呼ばれている)も丁寧に切り足そうと山の中を引き返し、寄り道しながら写真を撮る。普段降りない場所にも降りて木漏れ日やら空やまた竹の写真を何枚も撮影した。
竹の写真を撮る。
するどきあおきものじめんにはえ
たけ たけ たけがはえ
頭の中のラジオの声の主は誰だろうな、とか思いながら。
ろうばいは蝋梅と書く。その黄色いトパーズのような透き通った花は宝石みたいだとポロリと落ちていたろうばいの花を拾いあげてじっと見つめた。蓮みたいだな、小さな丸いトパーズの蓮。
まるで臥龍梅みたいな面白い枝がある。花や蕾がまだまだたくさんついている。
綺麗。
もう少しわけてね、と小さくろうばいの幹にポン、と手をあて、挨拶をしてパチン、パチンと枝を切っていく。足元には枯れた草や乾いた笹や落ち葉。ザクザク踏みしめ花を落とさないように両の腕に抱えて枝についている花が下を向いている姿がいじらしく甘いスキッとした芳しさに気持ちが安らいだ。雪中四友とはよく言ったものだなとあらためて可愛らしいトパーズの細工を眺める。梅、水仙、椿そして蝋梅。雪の中でも美しく咲く花たち。
花や蕾をできるだけおとさないようにそおっと枝を抱えて深呼吸してから
ありがとね、とろうばいに挨拶をした。滑らないようにゆっくりと斜面をのぼる。
さて、椿。侘助。これまたたくさん花がついている。隣にある山茶花に負けてないくらいに咲いてはいるが。侘助の桃色の花が地面にたくさん落ちているのをみると小さな頃からなんだかよくわからない切なさを感じてしまう。太郎冠者。狂言なら主役(して)である成人男子で武士に仕える役割らしいが首から落ちる椿にこの名前がついているのもその潔さからかももしれない。
私の父は決して敷地には椿を植えてはくれなかった。いろんな花木や果実のなる木を植えてはいたが、それは首から落ちるから縁起が悪いからなのか、たまたま山茶花がたくさんあったから椿は要らないと思っていたのか今となってはよくわからないが。
写真は切り屑だけど、やはりどこか愛らしいのに勇ましい名前の花だと思うのだ。
ろうばい。椿。水仙。
如月の花の鉄板なのだ。
ふうっ、と一息つく。煙草に火をつける。
も少し歩きたいな。まだまだ体調は完璧ではないけど。
楽しいことを見つけられそうな青空じゃないか、と空を見上げてまた玄関から出る。小一時間山の中にいたよね、とまたしてもリュックサックの水筒にお茶を足して今度は反対方向に歩いて行く。
交通手段が歩きが基本であとは公共交通機関の私はこの道は歩くのにすっかり慣れてきたし今の季節、菜の花とかも咲き始めているかな、おおいぬのふぐりとかほとけのざやハコベの野の小さな花に会えるかもしれないな、と赤い靴の足元をキュッと絞め直した。
スマホ、持ったね。ハサミ、あるね。煙草は・・・やめとこ、っと電車が走る線路の下を歩く。いつこしらえたんだろうな、とひんやりした赤い煉瓦の壁に手をそっとあてて見上げて見るが錆び付いた看板の文字は読めなかった。
このカーブにタヌキさんと打出の小槌があるんだよね、とまたしてもパチリ。
この辺りは昔から住まわれているもうお歳を随分とっていらっしゃるおばあちゃんたちと越してこられたまだまだ子育てしている家庭がまざりあっていて、おまけに私みたいな「どこからかいつの間にかやってきたR氏の嫁さんなのかはたまた居候なのかわからないどこぞの馬の骨で酔狂な痴れものの変わり者のおなご」まで暮らしている。
地域のことはまだよくわからないがとりあえず道行く人にはきちんと時の挨拶をする。
真夜中の音は怖すぎるし、夜は真っ暗だけど昼間このあたりを歩くのは大好きだ。そしてまた空を見上げてずいぶん気温が上がってきたなと微笑む。
帰り道に「楽しいこと」を見つけた。
廃品の集積所に白い光の円盤が泥の中に光っていた。
なんだこりゃ?
好奇心のかたまりなので泥から引きずり出したらそれは古い水盤だった。ご丁寧に足までついている。こんこんと叩いてみる。割れてもいないのに捨てられて久しいのだろう。
捨ててあるからいいだろう。土にかえるから土に捨てられてあったんだな。ならば私がまだ生かそう!と泥を払い汚れたまま持ち帰り、庭先の井戸で洗ってみた。真っ白だ。綺麗。綺麗。いいことがあった。花を活けるのは大好きだから花器はあるに越したことはない。真っ白な水盤には欠けもない。
花を活ける方がいなくなったのか、ただ単に要らないと思ったのか。
水盤も 見つけてくれてありがとう、と言っている気がした。
さて、と。
玄関の瓶の松竹梅を解体。使うものと捨てるものと材料をわける。
瓶を洗い水を張る。ろうばい、椿、水仙、そして猫柳の登場でテーマは「如月の薫り」。
相棒を取り出す。華道鋏だ。
さて、活けよう。華やかに活けよう。私らしい自由花を玄関におこう。
パチッ、パキリ。枝を切っていく。花を揃える。いろんな角度から見てみる。瓶の中には更にガラスビンを仕込んであるから楽に花がとまる。
よっしゃー!できた。脱!お正月。春よきたれ、と切り屑や落ちた花を拾い掃除してから小さな花枝の侘助を竹の器に活けてやるか、と更に切り分けて小さな小さな自由花をこしらえた。
そして 自由花 「如月の薫り」。
花材
蝋梅
猫柳
古梅(苔枝)
若松
侘助椿
水仙
小菊
アオキ(黄 ふ入り葉)
銀の羊歯(造花)
上は活けたすぐあと。下の写真は夜の撮影。
R氏は玄関の外にも花が活けてある日常に慣れてしまっているようなので、
あのね、Rさん、松竹梅に使った孟宗竹ね、また小さく切ってね、と話すと
えーっ!花、活け替えたの?いつ?貴女はほんとにもう、 と呆れながらわかったわかった今度ねとビールをプシュッと開けて しょーがねーなー、って顔をして笑った。
私は歩いていく。自分の足で。そう。あるいていく。
空を見上げてもいい。足もとをみるのも歩みをとめて深呼吸するのもいい。
歩く。前に進む。歩いていく。
たまたまネットで私が師事していた華道の先生の名前を、もちろん雅号だが、そして作品を見つけた。
あ、先生の作品とスケッチ。
古典花の立華や正花。そして鬼百合だけ活けてあるのもあったのをみてポロリと泣いた。
市場では価値のないとされる鬼百合をどこで手にいれたか、鬼百合の茎は空洞であることなどが記されていて。他の逆副、逆勝手の正花や丁寧な作り込まれた松の枝を主材とした立華の解説文は確かに先生の作品だと感きわまって私は泣いた。
不肖の弟子ではあったが私は先生にいろんなことを教わった。
華道だけではなくて。先生は文章を書くのも素敵な文章を書かれる。絵を描くのも上手で家元研究部にいた立派な華道家であるのに奢ったところはなくて謙虚な姿勢の恩師であった。
礼節を、笑顔も、知識も。他にもたくさんのことを先生は教えてくれた。
私がみた作品の最後の日付は2018年となっていた。
私は不出来な生徒だったかもしれないが鬼百合だけを活けてある写真をみて。
ああ、私は山百合だけで作品を活けたな、noteにも出したな、あれ、削除したかなと写真を探してみた。そして私の鋏の中に先生の教えをみたような気がした。
山を登るなら二合目を目指せ。頂上からは下るしかない。何事も中庸がよい、ともおっしゃっていた。
若いとき、リスカの包帯でお稽古に臨んだ時も先生はなんにも訊かず、笑顔だった。普段と同じように花を活けることや鋏を握ることに私は一生懸命になれた。
そうだ。
今の自分の人生は自分で歩いて来た道程じゃないか。そしてもう私は昔を振り返りはしない。
歩いていこう。
歩いていこう。
それが山なら頂上を見上げて二合目を目指して。
歩いて、 いこう。
ゆー。
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