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喝采 そして 喝采。

昨日が冬至だったこともわかりませんでした。暦を確かめていなくて。ようやく日差しが長くなるみたいです。

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ステージの上でメイクアップアーティストとしてスポットライトを浴び、会場からの拍手と喝采を浴びてあれからもう20年経っている自分がいつの間にか、面差しが母と祖母によく似てきたな、って思えます。

その年は9.11の年だったことや、母親の夢を叶えてあげたい一心だったことも鮮やかに最近、思い出されます。

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子供の頃、年末になると昔はレコード大賞を観てから紅白を観る、それから一年に一度だけ、私たち子供も好きなだけ起きていてよかったことや、近くのお寺の除夜の鐘の音に耳を澄ませていた小さな頃の記憶が鮮やかによみがえる歌。               喝采。

喝采…。昭和に生まれた小さな私にはその歌詞の意味は当時、わかりませんでしたがメロディが素晴らしくてよく覚えています。

ちあきなおみさんの名曲です。今でも一番好きな歌謡曲は?と訊かれたら先ず、喝采だ、と答えますね。
喝采という言葉の意味すらわかりませんでしたが。
自分が後年、体験したこととシンクロしてしまう喝采。

作詞の舞台が旧小倉駅だともあとから知り、よく知っている風景だったのだ、とあらためてまた知ることにもなりました。

…黒い縁取りが       ありました

喝采。歌詞全容を読むと愛す
る人を亡くしたことをこらえてまた、ステージに立つ内容から恋人が亡くなったように感じますが。母親を亡くした娘、という内容のものなのだ、となにかで読んだのは少し、ショックでした。

同じ年にやはり愛する人を亡くした内容の歌詞でレコード大賞最優秀歌唱賞は和田アキ子さんのこの歌でした。
あの鐘を鳴らすのはあなた…。

もう明日はクリスマスイブなんですね。

年の暮れです。クリスマス前。なぜだか毎年、やはりこれらの歌を聴いているんです。

私の歩いてきた人生とはまた違いますが。
メイクアップやエステティックなどを母親からの強い薦めで仕事にして。

私がメーカー認定のメイクアップアーティストになった時、一人娘はまだ中学生。

全国大会の会場には学生は入れない規定で。ましてや娘は14歳。あまりにも幼い。

母からの強い願いや思いを胸に置きながらも葛藤して。

娘を連れていけないならば出ない!と言い張り、主催者側が折れて娘は偽名、年齢詐称で会場入りをしたのです。飛行機も偽名での搭乗でしたから。あのJAL123便の航空機事故がまざまざと頭をよぎり、恐怖のフライトでした。

無事に羽田に降り立ち、ほっとして破れかぶれでかなり強気だった私がいました。

しかしまさか自分がグランプリを獲るなんて思いもしませんでしたし、全ては母の夢のステージに立つだけでよかったのです。


ステージに向かう私が花道を歩いていた時、流れたBGMはABBAのダンシングクイーンでした。
会場入りして長い時間、娘は一人きりで待っていて。娘には大人っぽい服装をさせ、大人っぽい化粧を朝早くからさせ、自分は楽屋で離ればなれでした。
娘は一人きりで

「…なめるなよ?うちのママを…負けるわけがないから。…ママをなめんな!!」

と、口元を引き締めて黙ったまま、コンクール会場の中で座っていた、とあとから聞きました。

規定の時間は20分。ベースまでは楽屋で、でした。

初めてチャレンジすることでしたし、自分の顔にお化粧するのとは全く訳が違います。

ステージの上でモデルにメイクをすること。

そのステージはある意味、皆さんに観ていただく「ショー」なのです。

両親と私を繋いでいたのは1本の携帯電話だけ。

楽屋や会場では使えませんでした。

会場のライトが消えて真っ暗なステージで。とにかく早く終わって欲しい、娘の顔を見たい一心の中、ピンポイントでスポットライトを浴びて。
自分のことだとは思ってもいなくてぼんやりしていました。

巻き起こる拍手と喝采に戸惑いながら。表彰され、偶然かもしれませんが、「あの鐘を鳴らすのはあなた」を作曲された森田公一さんの作った社歌を歌い、泣いて。母を思い出して涙が溢れて。


歩いてきた道、人生を振り返り、母が亡くなった2004年から今まで17年も経つのか、とも。
歳月が経つのは本当に早いものです。

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私自身はメロディラインや声の美しさで好きな歌でも、母が、聴いたらつらいことを思い出してしまう、と涙ぐんでいた歌もやはり苦しい年末に聴いていたりします。当時の母に何があったのか。今なら聞いてあげられたかもしれません。

古い歌ですが名曲です。


…由紀さおりさんの夜明けのスキャット。

母はよく泣く女性で。悲しくて泣く、嬉しくて泣く、そして童謡を聴いても泣く女性(ひと)でした。テレビでこれを観て聴いて、照れながら泣き、泣きながら笑って。照れ臭いのかばつが悪いのか。そんな子供みたいな一面を持つのが私の母でした。

本当に今ならば母をわかってあげられる、って染み入ります。

お母さん      …ママ。ありがとう。

疲れはてていた私に母が言ってくれた言葉の魔法。

「あなたは恋をしなさい、恋をしているあなたは輝いているのよ?」

しおれた花が水をもらえたようにイキイキすることもありました。

自分への喝采を自分にしてあげたい年の暮れですね。

母親になり、そして私には可愛らしい孫もできました。

孫からクリスマスプレゼントをもらいました。去年はツリーに下げるオーナメントを2つ、でしたが。
娘が届けてくれた飛び出す絵本のクリスマスカードを見てその成長を私はやはり自分の母親にも見せたいな、って。


母は私のことはともかく、孫は可愛くてたまらなかったようでした。

母と娘。その娘と授かった孫は私の母の「初ひ孫」なんですね。

今の私をみたらどんな顔をするんだろうな、と。母はやっぱり泣くのかもしれませんね。

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私が30代で右の乳房のしこりを取り出した手術の時も、娘を出産するときも母はやはり泣いていたのに。弱い姿をみられたくない、この人の前では絶対に泣くもんか!!と頑なな態度で振り向きもせず、バタリ、と自分から分娩室も手術室もドアを閉めた強気な私。

母から愛してほしくて。

愛されたかったその分、何倍も母を愛そう、って思えます。

母の命日となったクリスマスの夜更けが迫っている今。

あらためて私のマドンナ、母への喝采を一人きりの部屋で。

お母さん、ママ。

貴女の娘の人生には敗北の文字や負けることは決してないのです。誇らせてください。貴女の娘として生まれたことを。拍手や喝采を天国から私にください。

お母さん。ママ…。貴女の娘でよかった。

喝采…。

小さな頃、懐かしい小倉駅で貴女に手をつないでもらえたまだ幼い私の温かな記憶もよみがえる歌です。

カヴァーしている歌手の中に今年、意外なアーティスト、エレカシの宮本さんが歌っているのを見つけ、良い歌は歌い継がれるんだな、とあらためて思う日にもなりました。音楽の力や素直に涙を流すことも大切なことなんだと気づかされました。そしてきっと母なら宮本さんの喝采を好むのだろうなとも思いますね。

お母さんに会いたい。  お母さん、…ママからの喝采が聞こえた気がした年の暮れです。

                      ゆー。

(2021年12月28日         貼ったYouTubeの再生ができなくて悩みましたが。あらためて宮本浩次さんの歌唱の「喝采」を貼らせていただきました。)

                   

    シリーズ・戦士の休息(陸)

「戦士の休息」から始まる一人きりになった私の日々。

マガジンにまとめました。
シリーズ・「戦士の休息。」

こちらは連作となっております。
「戦士」、私のことですが。乳ガンをきっかけに一人になってしまった時間をどんな気持ちで過ごしているのかを音楽の調べにのせて書いていきます。散文やエッセイ、詩など、クリスマスがやってくる前の憂鬱、そしていろいろな葛藤、自分の思いを素直に書いていきます。

                  姫崎ゆー。

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姫崎ゆー
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