私の幼少期
お読みくださりありがとうございます
これを書いてる人の自己紹介をさせてください。
私は1981年生まれ 東京都出身
幼少期 両親から姉への虐待を見て育ちました。
大人の怒鳴り声、暴れる音、子供の泣き叫ぶ声が日常茶飯事、私は怖くてテーブルの下に隠れていつもそれを見ていました。
思い通りにならないと怒鳴り、終いには手を出す父
感情コントロールが出来ず全て周りのせいにする母。
家の上に親戚が住んでいるのですが
親戚一家も同様、なぜか泣き叫ぶ声がしょっちゅう聞こえるという日々。
書いていて、今は
地獄だな…と思えるのですが
あまりにもそれが日常だったものだし、
私は姉に比べたらあまり暴力も虐待もなかったものだから
それが当たり前だと
仕方の無い、割と大人になるまでそういうものだと思っていたんです。
両親は初めての子育てであり、
《きちんと育てなければ》
という思いで厳しくしてしまったと大人になってから聞きました
そして
2人目の子の私には、同じことをしないようにしようとしたそうなのですが
7歳離れた姉は思いっきり目の前で暴力を振るわれ
それを目の前で見せつけられているのに
「(2人目に)虐待はしない」
も何もないですよね(爆)
しかし幼い私は
「私はされなくて良かった…」
「でもお姉ちゃん可哀想、申し訳ない」
という気持ちを背負うことになります
私もたまに被害が飛んでくることがありました
幼いながらに身体を岩のように固くして
暴力を振るわれたり大声で何か言われても
「仕方ない」
「やり返さないで我慢してれば早く終わる」
と
その間の私は本当に実際の痛みよりもあまり痛みを感じず、音や声も遠くに聞こえ、でも時が止まったような
不思議な感覚に包まれていました
両親は姉に、姉は両親に
いつもやり合っていた家族は
私に構う余裕がある訳もありません
7つ離れた次女ですが
今思うと長女(なった事ないけど…)のようなイメージで過ごしていたのだと思います
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それは姉が
高一の二学期から海外へ留学する事になるまで続きました
一学期で中退し、
海外へ留学(編入)させることが出来るくらい
我が家は裕福でした
虐待された(見ていた)上に極貧とかではなく、
小1〜中1まで、毎年夏休みは海外旅行
物質的にはなに不自由なく生活させてもらいました。
最後に親に連れて行ってもらった家族旅行はモルディブで、過去最高の非日常を味わわせてもらったり
初潮は果てしなく広がる透明なブルーのインド洋で迎えました(爆)
しかしそれもバブルマジックであり
ハリボテであり
崩壊するのも時間の問題でした
《一攫千金》
(後にお金のトラブルに直面した時父のこの思考は私にも色濃く受け継がれていたことに気がつく)
バブルにのまれ
使うだけ使い
人と人 ではなく 金と金
やってもらって当たり前
時代がそうさせたのかもしれないし
スピリチュアル的な言い方をするならば先祖のカルマかもしれない
【足るを知るがわからない】=常に付きまとう不足感
【お陰さまの気持ちがない】=他責思考
が染み付いた我が家のバブル崩壊後の悲劇は言うまでもありません
(注)…もちろん現在はそれぞれがそれぞれのタイミングで沢山の学びを経て家族仲は良好です
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子供にとって家庭ははじめての
「世界」
そのもので「スタンダード」でしかありません
そんな私がどう生きてきて何を経験しどんな気づきを得たか
(昨年父が倒れました。
我が家はこの一大事により、全員の意識が、思考までも変わったことと思います)
大人になってある程度の過去の傷や痛みを自分で洗い流すことの出来るようになった今。
今思えば
笑えるほどにああすれば良かったのに…と思うことが山ほどあります
【親】という立場になり
子を持ち
初めて気がついたことかも知れません
心の変化
AC、IC、心理学、思考などを学んだ今だからこそ分かる過去の状況を紐解くこと
ではどうすれば良かったかを今に活かすこと
負の連鎖をここで終わらせること。
それを心がけながら
楽しく(楽しくはないか…笑)
ただの暴露話、身の上話しではなく
誰かの生きるヒントになったら、
私という人間の想いをすこしでも知ってもらえたら嬉しいです。
4歳の頃には車にはねられたり
だんだん肥満児になってきたり
父がヤ○ザに拉致されたり
まだまだ色々ありますが(爆)
またこんどに。
MIKA
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