読書ログ6 『思考の庭のつくりかた はじめての人文学ガイド』 福嶋亮大
先月は六冊読んだ。このうち一冊はずっと前からの読みかけのものを片づけただけだったんでレビューからは外して、新しく読んだ五冊を挙げていってと。そうして先月中には間に合わなかったのが今回の一冊。予定より遅れたとはいえ、やっぱレビューしなきゃと思うと強制力があるから読めるんですよ。まずまずの成果といったところでしょうか。
じゃあ今月最初の一冊。
『思考の庭のつくりかた はじめての人文学ガイド』 福嶋亮大
星海社新書というのも若者向けのレーベルであろうけれども、不勉強なあたくしには有益である。それも「はじめての」と書いてあるような入門書であって、いやはや、こういう読書もいまさらで少々みっともないことですが、確認のために基礎をやるみたいなことといっていいですか。
だが読んでみれば基礎というには難しい。あるいは難しくはないんだけど、あたくしにとっては知らないことがいっぱいあったのだった。人文系の大学生こんなこと勉強してんのな。たいしたもんだ。ガッツリと学べたぜー。
読むことと書くこと、思考と批評などなどから話が始まる。わりと手取り足取りの丁寧な教え方をしてる。このあたりはものを書く人にはおもしろく読めると思う。恥ずかしながら、あたくしはテクストという言葉の定義をここで知った。テクストは不均質であり、孤立していないオープン・システムであり、ネットワークであるとのことで、あるテクストが書かれたときには必ず他のテクストとの関係があるという。このへんは読んでいてSNS以前のネット環境を思い出した。これはハイパーリンクの考え方に近いのだ。単にリンクといってもいいが、個人のwebサイトを見ていってリンクからリンクへとどこまでもたどれるあの状態。ならばあれらwebサイトたちも互いに影響し合うテクストの群れだったのだろう。
言葉の議題では言文一致体や「だ・である」「です・ます」の話に入る。日本文学の転換点に漱石がいたというのはわかるが、それどころか近代の日本語を基礎づけたのが小説家たちだったというのはものすごい事実ですけど。いまのこの国で小説によって国語、日本語を整備できますかというとちょっと無理でしょう。ただ小説を書いているだけなのとは話のスケールが違う。難易度も格段に違う。
他、話題は近代やポストモダンの社会の様相、政治論、及び戦争論、次には芸術論、などと続いていって議論の幅が異様に広い。それぞれ非常に読み応えがあるので、というかけっこう硬いので再読も考えなくてはまとまらぬ。
題にもある庭というのについては、これはいろんな生育状況の木や花がある中で、それらを手入れしていって育てていく精神生活みたいなこと、つまりは考える庭である、というようなことでいいんでしょうか。種々の木や花を成熟させていくモデルということらしいです。庭にはいろんなもんが生えてるからね。手入れだ手入れ。
といったところで今月一冊目でした。
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