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読書ログ5 『物語は人生を救うのか』 千野帽子

 小説が読みづらくなってる。昔はむさぼるように読んでたものだったが、年齢を重ねると読むもんも変わってくるのかな。ゲームができなくなったことに似ている気がする。いまRPGとかできないもん。ドラクエのリメイクは気になるが。

 そうしてO・ヘンリーの短編集が詰まったので新書に手を伸ばした。

『物語は人生を救うのか』 千野帽子


 前著『人はなぜ物語を求めるのか』を数年前に読んで、なるほどなるほどと頷くその内容、続編があると聞いて買って積んでたものを引っぱり出したのがこちらの一冊となります。

 この本、ちくまプリマー新書ということでたぶん若者向けのものなのだが、さて簡単なのか難しいのか。中学生あたりで読んでたらたいしたもんだな。虚構表象(フィクション)と非虚構表象(ノンフィクション)とで読み手の期待の仕方が変わるというようなことがいわれている。虚構に求められるのは「ほんとうらしさ」、非虚構に求められるのは「ほんとうのこと」となる。さらにここに嘘というものもあり、フェイクニュースなんかが該当する。

 アリストテレスからこっち、フィクションの「ほんとうらしさ」は必然性であるから、あまり偶然が幅を利かすとご都合主義だとして批判されてしまうのだという。それでいうと古代ギリシャのデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)なんかがたぶん世界最古のご都合主義なんじゃね。当時から批判されてたらしいけど。それと個人的に思い出すのは、何年も前のとある集まりで、あたくしが小説に実体験を書いたところ、論評として「こんなことはぁ、ないのでぇw」といわれたことですか。そいついまどうしてるのかな。ともあれ実際に起きたことでも、ほんとうらしく必然性を備えて書かなければ「ないのでぇw」といわれてしまうのが小説やフィクションだ。似たようなことはたしか町田康もいっていた。嘘を書いたほうが信じてもらえるみたいな話をどこかでしてたはず。

 ノンフィクションのほうだと事情が異なる。読者はそちらには「ほんとうのこと」、事実を求め、それがどれだけ珍しいことであれども受け入れるらしい。この本の中で某脅迫事件の話が出るが、出版された犯人の手記などには別に必然性はいらんのでしょう。ただ犯人の声や事実が正確に書かれていればいい。

 様々な作品を見ていき、虚構とは、非虚構とはと考えていく。三百年間も世界を騙し続けた作品の話など、スケールのでかい話もある。すげえなそれって感じでおもしろかったわ。けっこうな名作らしいので読みたく思うも、アマゾンで買おうとしたら中古しかなかったので、それを買うべきか否か。その他、因果系のことやら、人間は人生で物語を作りだしてしまうということやら。この場合の物語は別に小説だとかではなく、個人がその人生、その世界観において、ものごとを納得できる形にしてしまうとか意味づけしてしまう、みたいなことで。あのときああしたからこうなったのだとか、ライフストーリーとかですね。

 虚構や物語を扱う文学理論の本なんだけど、終章はヘヴィでちょっとつらい。自己啓発本ならぬ自分啓発本でもあるとあとがきに書かれているので、そういった一冊として、なにかちょっと風変わりな感触がありつつの読書でした。

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金井枢鳴 (カナイスウメイ)
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