嫌われる勇気 No35 神器:他者貢献
さぁ、動き出せ
まず、「交換不能な”このわたし”をありのままに受け入れる」ことで、右手に自己受容という剣を持ち、そして、「他者に対して無条件の心理を寄せる」ことで、左手に他者信頼という盾を持った。
その時、「他者とは、どんな存在になりますか?」と哲人。
ふと、周りを見渡すと、同じ様に自己受容と他者信頼を備えた人々がいる。そして、皆、にこやかに笑ってこちら見て、進むべき方向を向いている。
青年は、戸惑いながらも言います。「…仲間ですか?」
「その通りです」と哲人。さらに、「共同体感覚とは自己受容と他者信頼だけで得られるものではありません。そこには3つ目のキーワードである他者貢献が必要になってきます」
踏み出す一歩の、その意味とは。
他者貢献
その3つ目のキーワード他者貢献。哲人は言います、「仲間である他者に対して、なんらかの働きかけをしていくこと。貢献しようとすること。それが他者貢献です」と。
自己犠牲と混同し、上手く理解できない青年に対し、哲人は説明します。「他者貢献とは、”わたし”を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ”わたし”の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです」と。
更に混乱し、「それはまさに、偽善の定義そのもの」と叫ぶ青年を諭すように哲人は、”仕事”を例に話します。「労働とは、金銭を稼ぐ手段ではありません。われわれは労働によって他者貢献をなし、共同体にコミットし、”わたしは誰かの役に立っている”ことを実感して、ひいては自らの存在価値を受け入れるのです」と。
”働く”ということ、わたしも働いて賃金を得ていますが、時々わからなくなります。自分の仕事の価値を。それは、自分で仕事に値段をつける時。少なくとも、時給で働いていた頃(今もそういう現場はありますが)は、考えもしなかった。
様々な考え方があるでしょう。自分の仕事の価値を低く見積るな、とか、そこでマネタイズせず、ファンを増やして他で利益を生む、とか。特にビジネスの文脈では様々なメソッドがある。このnoteだって、お金を生む装置にもなりますし、そのように利用されている方もいますよね。良いとか悪いとかじゃなくて。
自らの価値を実感するために
一生かかっても使いきれないほどの資産を抱えた富豪が、それでもなお忙しく働き続ける理由について、それは他者貢献のため、と哲人は言います。
「ここにいてもいいんだ」という所属感を確認するために働く。そこで、自らの価値を実感して、「ここにいてもいいんだ」と確認する。それで様々な活動をしている。
今はまだ総てがそうなっていはいませんが、私も、そんな働き方ができたらよいなぁ。そうなったら、もうそれは、仕事とか働くとかとは違う次元になるんだろうなぁ。”生きる”みたいな感じかなぁ。