長い物には巻かれよ、の真偽
幸せになる勇気 No30 褒賞と競争
この国の首長が変わろうとしています。
世の中には、様々な首長がいますよね。
社長、校長、塾長、院長、村長、家長…
カッコ良く言えば、リーダー、でしょうか。
そして、世の中は、賞罰で溢れている。
褒賞、成績優秀賞、賞与、ご褒美、減給、出席停止…
幸せになる勇気、の中では、首長が支持を受けている理由について、
そこに苛烈な賞罰がある
としています。どういうことでしょうか?
それは、ルールに従えばほめられ、破れば罰せられる、ということ。
つまり、われわれは「ただ”ほめられること”や”叱られること”を目的として、従っているのです」
共同体は、褒賞をめざした競争原理に支配されている。
それは、物質的な褒賞もあれば、精神的な褒賞もあるでしょう。
では、そのわれわれが、褒賞を目指した競争原理の中にあるなら…
つまり、われわれを「競争原理のなかに置き、他者と競うことに駆り立てたとき、何が起こると思いますか?」
本書の中では、
「”他者はすべて敵なのだ”、”人々はわたしを陥れようと機械を窺う、油断ならない存在なのだ”というライフスタイルを身につけていく」とされます。
もし、その競争相手を”ライバル”と呼ぶなら、ライバルについてどう考えるか…。
哲人は言います。「ライバルと競争する必要はひとつもないし、競争してはいけないのです」と言います。
え、ライバルと競争してはいけない?ライバルって日本語で”好敵手”でしょ。戦わずしてどうするの?って思いましたのよね。どういうことでしょう?
賞罰をつけ、競争を奨励しているように見えるこの世の中、そのトップたる首長。それで安定しているかに見えるシステム。それは、
共同体の病…
では、次回。
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